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2014年10月14日

WWIIドイツ軍 アンクルブーツ(編上靴)の靴紐の通し方(結び方)考察(実演有)


今回はドイツ軍のアンクルブーツの靴紐の通し方についてです。
今年夏に参加した日本軍の訓練会で編上靴の靴紐の通し方が間違えていることを教えて頂いたのですが(教えて頂いた方いわく「結構多い間違え方」)、そういえばドイツ軍の編上靴(アンクルブーツ)の靴紐の通し方もどうなっているんだろうと思い、ネットで調べてみました。

しかし、思いの外その情報が見つからず、それならば当時の写真から通し方を確認しようと思うも、ピントが合っていなかったり解像度が悪いなど、詳細の確認が非常に困難です…。
そして考え着くキーワードを駆使して調べ続けた結果、正確なのか否かは二の次とした三つの通し方が見えてきましたのでこれよりご紹介します。

ドイツ軍のちゃんとしたアンクルブーツは所持していませんのでテキトーに用意した靴と靴紐を使用、靴紐のホールは6つと想定して行っています(実物はホールの数にバリエーションがあります)。
何の靴を使用しているのかがわかった方は多分とっても凄いと思います。

それと、山岳猟兵の登山靴や他の紐靴にも共通するかもしれません。





(1)【S&Graf、カンプバタリオン!!、サムズミリタリ屋のカタログ式】

名前の通り、ショップのS&Graf、カンプバタリオン!!、サムズミリタリ屋のサイトにある見本写真で採用されている通し方です。
この方法は「クリス・クロス(Criss Cross Lacing)」、「ロック」とも呼ばれます。

最初は裏側からそれぞれ通し、以降は1ホールずつ互い違いでクロスさせて靴紐を通しています。
上記のショップ以外にも。海外ショップやアンクルブーツの紹介サイトなどでも広く確認できます。
トップの画像に写るアンクルブーツもこの通し方ですね。

【参考資料】
・S&Graf(https://www.sandgraf.jp/
・カンプバタリオン!!(http://www.kampfbataillon.com/
・サムズミリタリ屋(http://www.sams-militariya.com/
・岡山ゴムの靴ひもの結び方。結び方21種の図解や、ほどけにくい結び方等。Shoe Lacing。(http://okayamagomu.co.jp/shoelacing/) / ロック
・Ian's Shoelace Site (http://www.fieggen.com/shoelace/) / Lacing Methods / Criss Cross



(2)【検索で見つけたコレクションの写真式】

Google検索中に見つけたアンクルブーツのコレクション写真で時折見かける通し方です。
この方法は「オーバー・アンダー(Over Under Lacing) 」、「オーバーラップ」とも呼ばれます。

最初の紐を表側から通している以外は(1)と同じですね。

【参考資料】
・Google検索:German Army Ankle Boots WW2German Army Low Boots WW2、他色々なキーワードで見つかったコレクション写真など
・岡山ゴムの靴ひもの結び方。結び方21種の図解や、ほどけにくい結び方等。Shoe Lacing。(http://okayamagomu.co.jp/shoelacing/) / オーバーラップ
・Ian's Shoelace Site (http://www.fieggen.com/shoelace/) / Lacing Methods / Over Under



(3)【Der Erste Zug式】

アメリカのドイツ軍リエナクトグループのウェブサイト「Der Erste Zug」に掲載されている方法です。
この方法は「ストレート・ヨーロピアン(Straight European Lacing)」、「パラレル」とも呼ばれおり、ヨーロッパでは伝統的な形式だそうです。

解説によると当時の写真で確認できる一般的な通し方の一つだそうで、他のバリエーションも掲載されていますが、表側をクロスさせないのは共通しています。
さらに利点として「キツくシッカリ結べて、汚れや異物も入りにくく、足を負傷して脱がす際に靴紐を切断するのも楽」という解説もあります。
確かに素早く切断するのには都合のいい通し方ですね。

【参考資料】
・Der Erste Zug(http://www.dererstezug.com) / Articles / Landser Items / How to "Bar Lace" your Boots
・岡山ゴムの靴ひもの結び方。結び方21種の図解や、ほどけにくい結び方等。Shoe Lacing。(http://okayamagomu.co.jp/shoelacing/) / パラレル
・Ian's Shoelace Site (http://www.fieggen.com/shoelace/) / Lacing Methods / Straight European





以上が3つの通し方になります。
日本陸軍では部隊によって編上靴の靴紐の通し方が異なるケースある、と聞いたことがありますが、ドイツ軍ではどうだったのでしょうか。

私の中では「軍装をしている人の写真やショップの見本写真でよく見るのは(1)の方法」になっていますが…決定的な何かを見つけることができませんでしたので、考察の答えとしてはわからず仕舞いです(爆)
ちなみに3つの方法はいずれもキツくしっかり結ぶことができ、その点では特に差異を感じませんでした
また何か発見がありましたら続くと思います。

WWIIドイツ軍 アンクルブーツ(編上靴)の靴紐の通し方(結び方)考察」はこれで以上です。  

2014年10月08日

WWIIドイツ軍 銃剣とスコップ(シャベル)の携行方法考察(実演有)


今回はドイツ軍の銃剣とスコップの携行方法についてです。
スコップとシャベルの違いについて語り始めるとそれで記事が終わってしまいますので、本記事ではスコップで統一します。






【用意したもの】
ヴァイスブラウレジデンツ製:SG84/98銃剣 / 鞘 / 剣差し
東ドイツ軍実物:ストレートスコップ(再塗装済み)
S&GRAF製:ストレートスコップ用ケース






ドイツ軍では基本的に銃剣とスコップはウエストベルトの左側に装着します。
具体的な位置は規定に関する資料を見ていないのでわかりませんが、概ね左脇の下辺りです。
なお、銃剣はグリップの膨らみがある方が前方になるように鞘へ入れ、スコップはブレードを裏面にしてケースへ入れます。

この写真では銃剣とスコップを別々に装着しています。
この状態ですと動いた際に銃剣とスコップが別々に揺れてしまい、安定感に欠けてしまいますが、当時の写真でも確認できる装着方法です。


タミヤのプラモデルで有名になった装着方法」と言われているらしい、銃剣の鞘をスコップの固定ベルトで縛り、重ねて装着する方法です。


銃剣がスコップに固定されます(ウエストベルトと合わせて二点保持)ので、別々に揺れるという問題が解決します。
確かこちらが同時携行時の規定装着方法だったと思います。
また、写真にはありませんが、折り畳みスコップのケースには銃剣固定用のループがありますので、そのループに銃剣の鞘を通して固定します


【元写真:海外フォーラムで拾ってきた写真】

銃剣とスコップを重ねて装着している姿が確認できます。
次は変則的な装着方法の例をご紹介します。


【元写真:Youtube動画「Battle for Berlin April 16 1945-May 2 1945」における「1:10~1:12」のシーンのキャプチャー】

ベルリンの戦いでソ連軍と交戦中のドイツ兵です。
手前の兵士は背中に背負っている荷物と一緒にスコップを装着しています
スコップをウエストベルトで吊ると結構重さが偏りますので、重量バランスを考えるとこちらの装着方法もいいかもしれませんね


【元写真:海外フォーラムで拾ってきた写真】

バルジの戦いで撮影された有名な武装親衛隊の写真です。
ちょっとわかりにくいですが、カメラ目線の兵士の腰周りにある装備で写っている鉄板みたいなものはスコップのブレードで、ウエストベルトにスコップを挟んでいます
その兵士の左側にいる後ろ姿の兵士で、右腕から見えている角ばった黒いものもウエストベルトに挟んでいるスコップのブレードでしょうかね?
この装着方法ですと必要な時はすぐに取り出すことができますので即応性に優れます
また、とっさにスコップを使用して敵兵をぶん殴るという話も大体この装着方法だと思います。


ちなみにカメラ目線の兵士はバトルフィールド1942(Battlefield 1942、BF1942)のWWII MOD「Forgotten Hope(FH)」の背景にもいます。

【参考資料】
Forgotten Hope公式サイト(http://forgottenhope.warumdarum.de/


マップのロード中でもあなたを見ています(「1944」周辺に注目)





最後は関係ない話へ脱線してしまいましたが、「WWIIドイツ軍 銃剣とスコップ(シャベル)の携行方法考察」はこれで以上です。  

2014年10月05日

WWIIドイツ軍 Kar98k用弾薬ポーチの装着位置考察(実演有)


今回はKar98k用の弾薬ポーチにおける規定装着位置についてです。

ドイツ軍の規定ではバックルから3cm離す」という話をどこかで読んだか聞いたかしたのですが思い出せず、それらしいキーワードを並べて片っ端から検索した結果、「STEINER WW.II ドイツ軍 軍装品 武器類」と「MP44.nl」のKar98k弾薬ポーチ解説の中でそれぞれ「規定ではベルトバックルから3cm離して付ける事とされていた」「According to the regulations the pouches had to be worn at distance of 3 cm from the belt buckle(管理人翻訳:ポーチはベルトバックルから3cmの間隔を取って装着する規定となっています)」という文章が見つかりましたので、本記事ではそういうことにします。

【参考資料】
・STEINER WW.II ドイツ軍 軍装品 武器類(http://steiner.web.fc2.com) / 小銃用弾薬盒
・MP44.nl(http://www.mp44.nl/) / German Field Gerar / 98k ammo pouches




上記の情報を基に片方を装着してみました。
ちなみに写真のポーチとバックルは海外製複製品、ベルトは東ドイツ軍の実物(代用品)です。


定規を置いて間隔の拡大です。
「3cm間隔」とはありますが、参考資料ではベルトとバックルのどこを基準に3cmなのかが明記されておらず、もう一度探しても答えが出ませんでしたので、ひとまず写真のように「ベルトを正面から見て、ベルト上面の縁を基準にして当たる部分の間隔が3cm」としました。


カンプバタリオン!!製M43野戦服の上から装着してみました。
バックルの位置も野戦服を重ねた部分の境目に合わせます。
この状態を基にして当時の服装が整った写真を探してみましたが、いいアングルと高解像度の写真が見つからず、基準はわかりませんでした。
第一次世界大戦時の帝政ドイツ軍の写真は色々見つかりましたが、当時も3cm間隔の規定だったのでしょうかねえ。


上から見るとこんな感じです。
調整の際はイチイチ定規で測るわけにもいきませんので、「自分の手の指の第一関節までが大体3cm」や「野戦服のこの辺りが大体3cm」、「ベルトの裏にコッソリ印をつける」といった工夫をするといいと思います。



WWIIドイツ軍 Kar98k用弾薬ポーチの装着位置考察」はこれで以上です。  

2014年10月04日

WWIIドイツ軍 水筒と飯盒の装着方法 雑嚢編(実演有)


今回のお題は「ドイツ軍の水筒と飯盒を雑嚢に装着する」です。
WWIIドイツ軍装備でサバゲをしている人は金属音が騒がしい」というサバゲ都市伝説の由来の一つですね(謎)


【用意したもの】
西ドイツ・ベルリン警察実物:1960年代型飯盒(※フラットブラックに再塗装済)
東ドイツ軍実物:1950年~1960年代型水筒
東ドイツ軍実物:1962年製 WWII型装具ベルト
東ドイツ軍実物:WWII型雑嚢



写真に写るものはすべてWWII実物でもなく複製品でもなく代用品(東西ドイツ軍)です。

WWII終結後編成された東西ドイツ軍が初期に使用した装備の中にはWWIIの面影を残しているものがあり、現在も代用品として使用されています。
東西ドイツ統一(1990年)後の東ドイツ軍装備放出ラッシュでは日本でも大量かつ格安で投げ売りされていたそうですが、現在は希少価値が出ているものもあるそうです。

水筒と飯盒の装着位置は部隊や個人で異なるケースがありますが、当記事では一般的に知られる「右に水筒、左に飯盒」で進めます。
なお、飯盒の固定に使用するベルトは飯盒専用ベルトを所有していませんので別のベルトで代用します。






【水筒の装着方法】

水筒についているナス環を雑嚢上部のDリングに通し、ナス環側のベルトを雑嚢下部のベルト通しループに通します。


ループに通したベルトを水筒下部で固定します。
ここでは前後のベルトが交差することになりますが、上に来るのは後ろから通したベルトです
なお、水筒によってはベルトの素材が革ではなく布になる場合があり、固定方法も若干異なります。


完成です。



【飯盒の装着方法】

装具ベルトを雑嚢のDリングとループに通します。
装具ベルトの向きは金具がある方が下になります。


装具ベルトを飯盒にある2つのベルト通しの穴に通して固定します。


使用している装具ベルトが飯盒専用のものでないため長さが足りず再現できませんが、本来は飯盒のハンドルも動かないように固定します。


イメージとしてはこんな感じです。
飯盒専用ベルトではベルト金具に通した後の余った長さでループを作り、その間に飯盒のハンドルを通して固定します。
実物飯盒でハンドルが変形している場合、この処置を怠ったことで装備中に変形させた可能性もあるそうです。
なお、水筒同様固定に使用するベルトにも革製以外に布製があります。


水筒と飯盒を装着した状態です。





雑嚢への装着解説はこれで以上です。

最後に、装着解説前に述べました「水筒と飯盒の装着位置は部隊や個人で異なるケースがある」についてを、当時の写真を使用して見てみましょう。




【元写真:海外フォーラムで拾ってきた写真】

ヘルメットのデカールから判断すると武装親衛隊ですね。
乗馬する将校の前に周りが集まっています。
この写真に写る兵士の後ろ姿を見ると、水筒は雑嚢左側に装着し、飯盒は両肩から掛けたサスペンダーらしきものを使用して背中で吊っていますね
この部隊では装備の装着位置と方法を統一していると思われます。



水筒と飯盒の装着は指揮官の判断のよって、どちらか片方だけ装備する、あるいはまったく持たないケースもあり、他の装備でも共通しますが作戦行動で必要ないものは外した方が身軽になる、という理由から来ています。

もしWWIIイベントで部隊編成があった場合、指揮官に水筒と飯盒の携行について確認するのもいいかもしれませんね。
皆で統一すれば部隊全体もカッコヨク見えると思います。


WWIIドイツ軍 水筒と飯盒の装着位置考察 雑嚢編」はこれで以上です。  

2014年10月03日

WWIIドイツ軍 ツェルトバーンの畳み方(巻き方)考察 外付け編(実演有)


今回のお題はドイツ軍のツェルトバーンを外付けする場合の畳み方(巻き方)についてです。
巻き方が何種類あるのかはわかりませんが、今回は参考資料をいくつか目を通し、それを基にした畳み方でいこうと思います。



【参考資料】
・STEINER WW.II ドイツ軍 軍装品 武器類(http://steiner.web.fc2.com) / 国防軍のツェルトバーン
・MP44.nl(http://www.mp44.nl/) / German Field Gerar / Tent (Zeltbahn) / methods of wearing
・TUTORIAL – HOW TO – COME FARE – COMMENT FAIRE – COMO HACER – WIE MACHEN(http://www.revgraph.com/tutorial-how-to-come-fare-comment-faire-como-hacer-wie-machen/tutorial-how-to-come-fare-comment-faire-como-hacer-wie-machen.htm) / HOW TO FOLD A ZELTBAHN
・30th Infantry Division(http://30thdiv.weebly.com/) / Folding your ZELTBAHN
・Zeltbahn.net - German and related camouflage(http://www.zeltbahn.net/) / Use and wear / Folding and carriage





(1)
解説で使用するのは海外製複製品(メーカー不明)のM31ツェルトバーンです。
まずツェルトバーンの真ん中にある開閉口が縦になるようにしながら全体を広げます。
一応表裏があるのですが、基準がよくわりませんでしたので解説では迷彩色が全体的に暗い方を上にします。

季節によって変えているのでしょうかね…?
ちなみに横幅は部屋ギリギリで何とか広げることができました(笑)


(2)
三角形の頂点を底辺側の縁の中央部に合うようにして畳み、逆三角形を作ります。


(3)
左右どちらからでもいいですが、ツェルトバーンの端を持って逆三角形側へ畳み、両方のアウトラインを合わせます。


(4)
反対側も同じように畳んで横長の長方形を作ります。


(5)
次も左右どちらからでもいいですが、縦のアウトラインを中央の縦ラインに合わせて畳みます。


(6)
反対側も同じく畳み、今度は縦長の長方形を作ります。


(7)
過程(5)~(6)と同じように、もう一度中央の縦ラインに合わせて畳みます。


(8)
反対側も畳みます。
この段階でツェルトバーンの横幅が決まります。
規定では横幅35cmだそうです


(9)
その次もどちらが先でもいいですが、横のアウトラインを長方形の中央に合うように畳みます。


(10)
反対側も同じように畳みます。


(11)
最後は鳩目から遠い方、写真を基準にすると上から下に向けて強めに巻くように3回畳めば完成です。
後は装具ベルトで締めたり、Aフレームに取り付けたりします。


横から見るとこんな感じです。





以上が参考資料を基にした畳み方ですが、実は参考資料にある解説は若干差異があります。
一次資料を読んでいないので何とも言えませんが、端と端を隙間なくしっかり揃えながらこの方法で畳むと既定の35cmに近い数字が出ました。


この写真は最初からスタートして3回畳み終わったところ(過程1~4)ですが、この写真では先に両サイドを中心線に合わせて畳み、それから上を畳んでいます。


私が行った方法との違いがわかりますでしょうか?

この方法で同じように隙間なく畳むと横幅が若干狭くなります。
参考資料によっては若干隙間を開けて畳んでおり、これが横幅の調整に繋がっていると思いますが、どちらが正確なのかはわかりません。

最後に畳み方の見本動画もご紹介します。


参考資料:Zeltbahn Fold And Roll Technique】(YouTube

この動画の方法は両端から先に畳んでいますね。
そしてこの方法は私の解説(9)以降と異なっており、一気に巻いています。


WWIIドイツ軍 ツェルトバーンの畳み方考察 外付け編」はこれで以上です。  

2014年10月02日

WWIIドイツ軍 ガスシートケースの装着方法考察


今回はドイツ軍のガスシートケースの装着方法についての考察です。
ガスシートバッグ、ガスシートポーチ、ガスケープポーチなど呼び名は色々ありますが、このブログではガスシートケースで統一します。

ガスシートケースは1939年の開戦時からありますが、規定の装着方法は終戦までに2回変更されています。

【参考資料】
・STEINER WW.II ドイツ軍 軍装品 武器類(http://steiner.web.fc2.com/) / ガスシートとガスシートケース
・東部戦線的泥沼日記 ~WW2 German Military Collection(http://gerhard03.blog61.fc2.com/) / ガスシートとポーチ (Gasplane mit Tasche)





【開戦時の規定装着方法】

ガスシートケースの裏にある2つのループにガスマスクコンテナのストラップを通し、胸付近に置く開戦時の装着方法です。
しかし、参考資料のSTEINER氏の記事によると元々この装着方法はゴム引き布製ケースに合わせたものであり、ゴム引き以外のケースとは相性が悪く、現場では「体を動かすと位置がすぐ下にズレる」と酷評されました
(いつからガスシートケースが採用されているかはわかりませんが、訓練段階でわからなかったんでしょうか)
ちなみに写真のモデルはK氏で、このケースはS&GRAF製の通常の布製複製品です。



【1940年改正の規定装着方法】

写真は使い回しです(汗)
1940年3月18日に通達された「陸軍規定40年第381号(HM.40 / Nr.381)」で改正された装着方法は表からパッと見た感じでは何も変わっていないように見えますが、ガスマスクコンテナのストラップをガスシートケースのループに通す際に、1回巻き付ける方法になりました
しかし、この方法でも「体を動かすと位置がすぐズレる」の解消はできず、依然現場では不評が続きました。
なお、「1回巻き付ける」の方法が「ループごとに巻き付ける」のか「まとめて巻き付ける」のかはわかりません…。



【1942年改正の規定装着方法】
当記事用再現写真無し、参考資料のSTEINER氏の記事内に再現写真があります
1942年12月11日、「陸軍規定42年第1130号(HM.42 / Nr.1130)」が通達され、約2年9ヶ月ぶりにガスシートケースの装着方法が再改正されました
待望(?)の新しい装着方法は「ケースの位置を胸の中央からコンテナ側面に変更」です。
最初から限界まで下にズラしておけば問題解決!」と思っていたのかはわかりませんが、現場では「これだとシートのループの強度に難有あり」という新たな問題が発生し、結局不満の矛先が変わっただけで装着方法の問題は解決されませんでした

ちなみにこの装着方法をする当時の写真と映像はこの記事を投稿する段階では発見できませんした。




結局軍の規定で現場を満足させることはできませんでしたが、一方現場では独自の改善方法を早くから生み出し、広く伝わっていきます
ドイツ軍をやっている方でしたら大抵ご存知のアレです。





【現場独自の装着方法】

ガスシートケースをガスマスクコンテナに縛り付ける、広く取り入れられた装着方法です。
写真はWWIIイベント時に撮影したもので、装具ベルト1本で縛っていますが、それが2本なったり、別のものを使用する例もあります。
これなら問題ないし、邪魔にもならない」と現場は大満足したのでしょうが、風の噂か何かでこれを知った軍は「勝手なやり方はけしからん!」と怒ってしまい「ちゃんと規定通りに装着せよ!」と禁止命令を通達しました(いつ頃なのかはわかりません)。
しかし、現場の多くはこの通達を無視し、引き続きガスマスクコンテナに縛り付けて運用していきます。
その後「禁止命令通達→無視」が何度も何度も繰り返され、42年改正の装着方法は「ガスマスクコンテナの横に付けてもいいから、縛り付けるな」という声が入ってるような気もしますが、結局終戦まで禁止命令が完全に守られることはありませんでした





まさに「事件(装着方法の不満)は会議室で起きてるんじゃない! 現場で起きてるんだ!」ですね(謎)
これでガスシートケースの装着方法については以上ですが、一つ疑問があります。





装備をきちんと整える必要がある場面でも禁止命令を破って装着しているのか



いくら便利で効果的な装着方法とはいえ、命令で正式に禁止されている方法ですので規律の面では問題があるでしょう。
もっとも、禁止命令無視が顕著になってきたという戦争中期からは「赤信号、皆で渡れば怖くない」状態になっていたのかもしれませんが…。


(元画像:海外フォーラムで拾った「赤信号、皆で渡れば怖くない」状態の写真)



とりあえず1944年~1945年で探してみましょう。





【参考資料1】

HD Historic Stock Footage WWII GERMAN BLITZ BATTLE OF THE BULGE(Youtube動画
「3:38~3:40」のシーン



まずは1944年12月から1945年1月に掛けて行われたドイツ軍最後の大攻勢、通称「バルジの戦い」の動画からです。
該当シーンがバルジの戦いと関係ない動画、特に年代を遡ることになると大いに問題アリですが、とりあえず1944年末~1945年初頭の資料とします。

該当シーンの一部を静止画にした画像を2枚用意しましたので、ご覧下さい。




(該当シーン1)


(該当シーン2)



戦地に向かっているのか、別の場所に向かっているのかはわかりませんが行軍中の映像です。
少々見にくいと思いますが、少なくない人数の兵士がガスシートケースを1942年改正以前の位置に装着しています。
胸の真ん中ではなく、右脇腹付近に寄っていますが、おそらく左肩からタスキ掛けしてるストラップにケースのループを通しているのでしょう。
ガスシートケースを持っているなら通常ガスマスクコンテナも持っていると思いますので、そっちに縛り付けることもできるでしょうが、こちらを選んでいるということは何かしら理由があると思います。

続いての資料はこちらです。



【参考資料2】

(元写真:海外フォーラムから拾ってきた写真)



1944年に撮影された武装親衛隊の第13SS武装山岳師団「ハンジャール」(クロアチア第1)の写真です。
左から1人目と4人目の兵士がガスシートケースを1942年改正前の位置に装着していますね。
左から4人目の兵士のケースはかなり下の位置にあります。
他の兵士はケースを別に装着しているのか、持っていないのか、単に隠れているのかは不明です。





参考資料はこれで以上です。
これでもかなり探した方なのですが、「この時代のもので多分あってるだろう」という資料は上記の2つで精一杯でした。
YouTubeでは当時の動画を色々見ましたが、解像度が悪い以外にも「タイトルでは時代や場所を絞っているのに、それと関係ないシーン(見覚えのあるシーン)が写っているので、どこまで関係ある動画なのかわからない」ということが多かったので、記事に記載した動画を見つけるのにも苦労しました。



さてさて、ここで2つの仮説を立てみましょう。
1つ目の仮説ですが、参考資料1の該当シーンからイメージして、「装備を整えて行動する場合は指揮官の指示でガスシートケースの位置を決めていたのでは」と考えています。
例えば日本陸軍の場合ですが、九九式背嚢に円匙を縛着する場合、規定の位置は背嚢上面ですが、部隊長が旧型背嚢の時と同じ背嚢右側面の方がいいと決めてその部隊の背嚢の円匙の位置が右側になった、という話があるそうです。

重装サスペンダーの考察時と似た感じですが、「正す時は正して、それ以外(戦場など)の時はどちらでもOK」だったのかもしれません。
ただ、重装サスペンダーの場合はソコソコ資料写真で検証できたことに対し、今回の件の資料数はご覧の状態です。
散々禁止命令を出した規定違反の装着方法が終戦まで続いていたのは間違いないと思いますが、シチュエーションに関係なく無視していたのかについてはわかりません。

もう1つの仮説は「ガスシートケースをガスマスクコンテナに縛着したいが、それに使えるものがなく、かといって1942年改正の装着方法は不安があるのでそれより古い装着方法にした、または指揮官からそういう指示が出ていた、あるいは実行している兵が1942年改正以前の教育を受けている関係では」です。
もう1つ、と言いながら3つ述べているのは気にしないでください。



果たして真実はどうだったのでしょうか。
続報が入りましたら続きます…。

WWIIドイツ軍 ガスシートケースの装着方法考察 」についてはこれで以上です。  

2014年09月24日

WWIIドイツ軍 ヘルメット用偽装網代用 雑嚢ストラップ ヘルメット装着方法(実演有)


今回はドイツ軍における、雑嚢のストラップをヘルメットの偽装網として代用する際の装着方法のお話です。

ヘルメットを偽装するために使用する偽装網(ネット)はもちろんドイツ軍でも採用されていますが、支給されていない部隊でヘルメットに偽装を施す必要がある場合はそれに代わるものが使用されます。

その一つが雑嚢のストラップです。
野戦装備においては特に出番がない雑嚢ストラップですが、これをヘルメットに巻くことで偽装網の代用品になります。
ですが、ただ単にストラップをヘルメットの外周に沿ってグルグル巻くのではなく、一定の決まりがあります
巻き方が軍で規定されているのかはわかりませんが、当時の写真でも多く見られる一般的な巻き方をご紹介します。


用意するものはヘルメットと雑嚢ストラップです。
ちなみにヘルメットはS&GRAF製のM42ヘルメット、雑嚢ストラップは東ドイツ軍の実物(代用品)です。
まずは雑嚢ストラップの長さを一番長い状態に調整します。


次に雑嚢ストラップの取り付けですが、調整金具から遠い方の引っ掛け金具をヘルメットの側面に引っ掛けます。
位置は後で調整できますが、大体チンストラップより少し後方です。
写真では右側面に引っ掛けていますが、右側面が起点のもとの、左側面が起点の二種類があります。
今回は右巻きで行いますが、方向はおそらく部隊で統一されていたと思われます。

それとですが、金具を引っ掛けるとヘルメット側のその部分の塗装がガリガリ削れ、傷も入りますので気になる方はご注意ください


雑嚢ストラップを反対側まで引っ張り、大体の位置で折り曲げてヘルメットの後方に行くようにします。


反時計回り、左回りで一周巻き付けます。


もう片方の引っ掛け金具を雑嚢ストラップの隙間に通し、ヘルメットの左側面に金具を引っ掛けます。
位置は反対側と対になる方がいいと思います。


雑嚢ストラップの位置を調整し、長さ調整金具でしっかり締め付ければ完成です。


正面から見た完成図です。
右側起点の場合は雑嚢ストラップの調整金具がヘルメット前面に来ます。
左側起点の場合は後方に来ますが、こちらは金具が前面に来ないようするための巻き方かもしれませんね。


右側面です。
外周を回る雑嚢ストラップは上から通ります。


背面です。


左側面です。


上面です。
上面を通る雑嚢ストラップはヘルメット中央を通るようにするといいですね。



これで巻き付けは完成です。
後はストラップの隙間に草を入れたりして偽装を施します。

何も偽装せず雑嚢ストラップをヘルメットに巻いている当時の写真もありますが、単に偽装していないのか、何かの識別なのか、別の意味があるのかはわかりません…。
ただ、ヘルメットの外観が特徴的になりますのでサバゲなどにおいては個性が出るかもしれませんね。

これにて「WWIIドイツ軍 偽装網代用 雑嚢ストラップ ヘルメット装着方法」のご紹介は以上です。  

2014年09月23日

【続】WWIIドイツ軍 サスペンダー類と肩章の関係考察(実演有)


前回記事:WWIIドイツ軍 サスペンダー類と肩章の関係考察

「サスペンダー類は肩章の下から通すのが制式な着用法だろう」という答えを出した前回の記事ですが、後日某高名な狼氏よりとある質問を受け、そこまで考えておらず「わからない」でその日を済ませてしまいましたので、改めて調べることにしました。
前回同様、「サスペンダー類」は重装サスペンダー前提で進めます





さてさて、その「考えていなかった」内容ですが、それは「重装サスペンダーに肩章を通す場合、(1) 肩章のループの間から通すのか、(2)野戦服と肩章の間から通すのか」です。

わかりやすいように写真を掲載します。






(完成図)肩章の下から重装サスペンダーが通っている状態


(1) 肩章と肩章を折り返した部分の間から通した状態


(2)野戦服と肩章の間から通した状態





こんな感じです。
それでは当時の写真を見てみましょう、と言いたいところなのですが、この部分が明確に写っている写真はこの記事を書いている段階では発見できませんでした。
肩章の下部は影で黒くなっているため確認できません。
ですが、それだと「わかりませんでした」で終わってしまうため、根気よく探した結果、「多分こうなっているだろう」という写真を2枚見つけましたのでご紹介します。






【元写真:海外フォーラムから拾ってきた写真】
1枚目です。
M40野戦服と、略帽で兵科を示す山型を確認できることから1940年春~1942年9月辺りの間に撮影されたものと思われます。
中央の二人は肩章の下から重装サスペンダーを通していますね。
注目するのは左に写る略帽を被った兵です。
該当部分を拡大し、さらに画質を変えてみましょう。


拡大したものです。
写真真ん中の肩章の折り返し部分に注目してください。


赤線を加えてみました。
この赤線は折り返した肩章の縁です。
明確に見える部分はここまでですが、その部分の湾曲具合から推測すると、重装サスペンダーはこの赤線より下、つまり「(2)野戦服と肩章の間から通した状態」のように見えます。


【元写真:海外フォーラムから拾ってきた写真】
2枚目です。
元写真を誤って消去してしまい、どこで拾ったのかも忘れてしまいましたので掲載するのは別の場所で使用した編集後の写真になります。
矢印で拡大した部分。同じく肩章の折り返し部分周辺に注目してください。


同じく赤線を加えてみました。
1枚目の写真より明確に見えると思いますが、この赤線の部分は肩章の縁に当たると思います。
そしてこれを基に考えると、この写真も重装サスペンダーが下、「(2)野戦服と肩章の間から通した状態」になります。







写真2枚だけで検証するのはどうかと思われるでしょうが、Google先生で探しまくった結果「都合よくそれっぽいのが写っている写真はこの2枚しか見つからなかった」ので勘弁してください…。
ひとまず今回の個人的ま答えとしましては、「『(2)野戦服と肩章の間から通した状態』が正式な装着法だろう」とします。

考えてみたのですが、「(1) 肩章と肩章を折り返した部分の間から通した状態」では動いた時に重装サスペンダーと肩章が擦れて肩章が痛むかもしれませんね

【続】WWIIドイツ軍 サスペンダー類と肩章の関係考察」はこれにて以上です。  

2014年09月21日

カンプバタリオン!!製 複製 / レプリカ:WWIIドイツ陸軍 下士官兵用 BEVO製国家鷲章 1944年型


商品名:末期兵陸軍鷲国家章
販売元:カンプバタリオン!!(ウェブサイト
定価:1,000円(税抜)





今回はドイツ陸軍が1944年に採用した野戦服用国家鷲章のBEVO製末期型の複製品をご紹介します。
メーカーはカンプバタリオン!!です。


この国家鷲章はおそらくM44野戦服の制式採用に合わせて同時期に採用されたと思われます。
今までの国家鷲章と異なり、国家鷲章の形状に切る工程を省略するため逆三角形の形状をしているのが特徴です。
基本的にこの国家鷲章はM44野戦服に合わせて使用されましたが、M43野戦服などでの使用例もあるそうです(当時の写真ではまだ未確認ですが…)


続きまして拡大写真です。
まずは鷲の左側の翼いきます。


胴体です。


右側の翼です。


足元のハーケンクロイツ(鉤十字)です。

縫い付けはカンプバタリオン!!の業務用ミシンで行われています(別料金)ので頑強です。


野戦服の内側から見た縫い付け状態です。
これを外すのは大変そうですが、この方法が当時に倣ったものなのかはわかりません…。


野戦服(写真はM43)全体で見るとこんな感じです。
ちなみに右袖にある旭日旗は日本人義勇兵が付けていたとされるシールドの自家製複製品です。



1944年(1945年?)のいつ頃から本格的に使用され始めたのかは手元に資料がないためわかりませんが、この国家鷲章は末期感を出すのにいいものだと思います。
これで「カンプバタリオン!!製 複製 / レプリカ:WWIIドイツ陸軍 下士官兵用 BEVO製国家鷲章 1944年型」のご紹介は以上です。  

Posted by Y.A.S. at 12:00Comments(0)WWIIドイツ軍装備

2014年09月06日

WWIIドイツ軍 サスペンダー類と肩章の関係考察(実演有)


今回はドイツ軍のサスペンダー類と肩章についてのお話です。
サスペンダーについては基本的に重装サスペンダーに焦点を当てます。

お題は「重装サスペンダーを装着する場合、サスペンダーは肩章の上から通すのか、下から通すのか、どちらが正確なのか」についてです。

まずは私の装備写真での比較です。


【重装サスペンダーを肩章の上から通した場合】
※当時の写真を見ると、肩章の上からではなく、肩章より内側から通す例もあり。


【重装サスペンダーを肩章の下から通した場合】

両方を試した感想としましては、「後者のやり方は重装サスペンダーの脱着時に肩章を外すのが面倒臭い」です。
サバゲ前提での話になりますが、何らかの理由で脱着する時にそう感じます。
前者の場合でしたら肩章のことを気にする必要がありませんのでスムーズに脱着できます。

続きまして、当時の写真を見てみましょう。


【元写真:海外フォーラムから拾ってきた写真】
休憩中の写真でしょうか。
少々わかりにくいですが左側の兵は肩章の上から、右側の将校は肩章の下から通しています。
被っている略帽に兵科を示す山型があり、兵の襟が同色に見えることから撮影時期は1940年~1942年9月か、山型廃止の過渡期と思われます。

当時にも「面倒臭い」といる理由があったのかはわかりませんが、写真を見ていくと同じ部隊でも両方が混同しています。
また、主に調べたのは陸軍ですが、肩章の下に通していないスタイルは前線らしき場所で撮影された写真に多いように思えます。


【元写真:海外フォーラムから拾ってきた写真】
1943年1月撮影の陸軍グロース・ドイッチュランド師団のMG42班です。
左の下士官は肩章の下から、中央の兵は肩章の上から通しています。


【元写真:海外フォーラムから拾ってきた写真】
空軍の砲兵でしょうか。
肩章の下から通っていますね。
個人的な感想ですが、空軍の地上部隊の写真を見ると、肩章の下から通すスタイルが陸軍より多数派と思えます。


【元写真:英語版WikipeidiaのBattle of Berlin(Wikipedia)】
1945年3月9日撮影、二級鉄十字章を受章しヨーゼフ・ゲッベルスと握手するヒトラーユーゲントのヴィリー・ヒュブナー(Willi Hübner)、当時16歳です。
他の兵はコートの襟で隠れているためわかりませんが、ヒュブナーは肩章の下に通しています。


【元写真:海外フォーラムから拾ってきた写真】
1935年撮影、歌いながら行進しています。
背嚢のサスペンダーは全員肩章の下から通していると思われます。





さて、個人的な考察ですが、少なくとも式典や訓練時など、ピッシリする必要がある場面では肩章の下から通すスタイルが主体、おそらくこの形式が軍が定める制式な着装法と思われます
逆に戦地では肩章に通さないスタイルが目立ちます。
写真を見た限りでは部隊で着装法を統制いるようにも見えませんでしたので、個人の判断でどちらかを選んでいたのでしょうか。
見栄え的には肩章の下から通す方がいいと思います(上からサスペンダーで押さえると肩章が痛む可能性もありそうです)。
おそらく肩章の脱着については、一人で行う以外に、周りの人と協力して行うこともあったと思います。

どちらが正しいか」についての今回の個人的な答えは「肩章の下からサスペンダーを通すのが正式だが、戦地では上から通す形式が多数派」です。
もしWWIIイベントでの部隊編成式など、ピッシリ装備を整える場面がありましたら、肩章の下からサスペンダーを通しておくと、見栄えがさらに「カッコよくなる」かもしれません。

WWIIドイツ軍 サスペンダー類と肩章の関係考察」はこれにて以上です。