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2015年04月22日

日本軍 鉄帽の顎紐の結び方例 陸軍式と海軍式(実演有)


今回は日本軍の鉄帽、特に九〇式鉄帽における顎紐の結び方についてです。
日本には伝統的な結び方「兜結び」があり、陸軍でもそれを踏襲した結び方が主流となっていました(兜結び以外にもバリエーションはいくつかあります)。

その兜結びを実演してみようと思います。





用意したのはどこぞのネズミーランドの例のアレが入っている帽子を被る謎の人形です。
私自身を被写体にしてもよかったのですが、撮影セッティングがメンドクサクなったので、飾っていたコレを持ってきました。
やる気のない人形に見えますが、実はコレ、電動式でして、電源を入れるとキュインギュイン音を立てながら目と口が動きます


まずは鉄帽の中帽となる略帽を後ろに向けて被ります。
帽垂を略帽に装着している場合は後ろ向きだとシュールになりますので正面に向けて被ります。


次は鉄帽の顎紐の調整です。
鉄帽のループに顎紐を通し、写真のような三角形を左右に作ります。
この三角形は耳が通すスペースとなります。
私は鉄帽の縁を基準にして三角形を作っています。


鉄帽を被ります。


左右で垂れている顎紐をそれぞれ顎下を経由して反対方向にある三角形に対し、内側から通します。


左右それぞれの顎紐を折り返し、右頬付近で蝶々結びにします。
画像ではもう一度下顎を経由していますが、唇の下に顎紐を通して結ぶというバリエーションもあります(こちらの方がより伝統的な兜結びになります)。


最後に結び目の輪や余った長さを顎紐に巻きつけるなどで処置して完成です。
もし帽垂を使用している場合は、垂部を顎紐より外側へ出します。
ちなみに、鉄帽のオシャレな被り方として、顎紐のちょうちょ結びの輪を大きくして、最後の処置をせずにそのまま被るといったものがあります(主に将校の間で行われていたそうです)。





以上が陸軍における一般的な結び方です。

「陸軍」という言葉を念押しで使用していますが、実は海軍では陸軍と異なる別の結び方を採用していました






海軍の鉄帽を所有していませんので陸軍の鉄帽を代用品にして行います
海軍さんスミマセン・・・。

略帽を被り、顎紐で三角形を作ってから被るというところまでは陸軍と同じです。


ここからが陸軍と異なる部分です。
左右で垂れている顎紐をそれぞれ顎下を経由して反対方向にある三角形に対し、外側から通します(画像は左側です)。
海軍式の三角形部は耳を通すと言うより、顎紐を通す隙間な感じです。


後頭部の中央付近でチョウチョ結びをします。
後は陸軍と同じように顎紐の処置をしますが、処置をせずにそのままの状態で被っている当時の写真や映像もあります。
陸軍のようなオシャレ感覚があったのかはわかりません。


海軍版の完成です。
この結び方は結び目が顔の正面側にないのも特徴ですが、陸軍のように結び目が右頬に来るように顎紐を通している例も確認でき、陸軍同様バリエーションがあります。




実際に陸軍版と海軍版を試してみましたが、固定具合に優劣は感じず、両方共に鉄帽をしっかり固定することができました
海軍版の結び方には名前があるのでしょうかね・・・?
兜結びと同様に伝統的な結び方の1つなのかと思い、探してみましたがわかりませんでした。
そして、何故陸軍と海軍が異なる結び方になっていたのかも謎です・・・。

日本軍 鉄帽の顎紐の結び方例 陸軍式と海軍式(実演有)」はこれで以上です。  

2015年04月21日

日本陸軍 軍袴 腰紐の結び方例(実演有)


今回は日本軍の軍袴(ズボン)における腰紐の結び方についてです。

当初私は蝶々結びをするものだと思っていましたが、防暑襦袢を着用し始め、腰紐の上から帯革を締めるようになってから「帯革を締めると、軍袴の腰紐の結び目が身体に食い込む」という違和感を感じるようになりました。
「そういう仕様なのだろう」と思い、そのまま年月が過ぎていきましたが、ある日のWWIIイベントで「腰ひもでちょうちょ結びは基本的にしない」という話を聞き、チョウチョ結びでない結び方の1つを教えて頂き、後に同じ結び方を日本陸軍ベテランの証言からも得られました。

それを実演してみようと思います。




使用するのは中田商店製複製のの九八式夏袴、旧ロット品です
軍袴を穿く前に予め左右の腰紐を後ろと側面のループに通しておくと楽です。


ここからは着装状態で進めます。
ちなみに襦袢はオニヅカ堂製複製です


左の腰紐を右に、右の腰紐を左に引っ張りつつ、正面で交差させます。
腰紐はねじれないように真っ直ぐ張ります。


さらに側面のループに腰紐を通します。


画像は左腰のループです。

ループを通したところから腰紐を折り返し、ループをまたいで腰紐の下から通します。


余った長さは腰紐に巻きつけて処置します。
右腰も同じように処置します。


位置を調整し、シワを伸ばして完成です(と言いつつシワが残ってますが・・・汗)。
ちょうちょ結びをした状態と比較すると、スッキリした印象ですね。
大きな結び目がありませんので上から帯革を締めても快適です。
さらに、ちょうちょ結びをしている時より帯革をシッカリ締めることができます

すぐに緩みそうな印象でしたが、しっかり結んでおくと激しい動きをしてもほぼ緩みません
半袴や略袴、袴下なども同じ結び方でOKだと思います。





という感じで実演してみましたが、例外は付き物でして、腰紐を蝶々結びしている当時の写真もあります。
また、今回実演した結び方以外の結び方もあると思います。
このような話を言い出すとキリがありませんが、私としましては「押さえておくとGOODなポイント」です。
海軍ではどうなっていたのでしょうかね・・・?

腰紐が短く同じ結び方ができない個体も実物(元からか、あるいは戦後民間使用時に加工したか)・複製品共にありますが、その場合は正面で交差させる時にU字で引っ掛けるように180度ねじり、腰紐に巻きつけるという手もあります。
軍の現場における腰紐の短さについては、各自で創意工夫していたものと思われます。


日本陸軍 軍袴 腰紐の結び方例(実演有)」はこれで以上です。  

2015年04月15日

日本陸軍 九九式背嚢(蛸足背嚢) 縛着例(実演有)


今回は「タコ足背嚢」という異名を持つ日本陸軍の背嚢「九九式背嚢」に装備を縛り付ける(縛着)方法の例をご紹介します。
ここ最近、日本軍な人の間では毛皮背嚢昭五式背嚢などが注目されているようですが、私は九九式背嚢が好みです
1950年に設立された警察予備隊では九九式背嚢に酷似した(実質改良型?)ものが採用されており、保安隊を経て陸上自衛隊になっても長く使用されてきました。


これが九九式背嚢です(Hiki Shop製複製品)。
中身には気泡緩衝材、プチプチを入れています。
「タコ足背嚢」と呼ばれる理由は、装備を縛着するための紐が多い(16本)ためです。
戦後民間で転用されたタコ足背嚢の中には「邪魔だから紐を切断した」という改造品もあります。



ということでそろそろ本題へ入りましょう。

今回縛着する装備は以下の通りです。



・毛布(実物)
・地下足袋(現行民生品)
・携帯天幕(中田商店製複製)
・九八式小円匙(刃部のみ実物、他中田商店製複製)
・兵式飯盒 再塗装品(現行民生品)
・身体偽装網(メーカー不明複製)



縛着するものは状況によって変わりますので上記の組み合わせは一例です。





それではさっそく縛着してみましょう。
なお、縛着方法についても部隊や個人で差異がありますので一例です。
私は日本軍ベテランの証言や仲間からのアドバイス、当時の写真や映像、イベントで見た例などを基にした組み方で行っています。
勘違いで間違った縛着をしている可能性もありますので、その点はご了承ください。






まずは毛布です。
毛布の巻き方については別記事で紹介していますので、そちらをご覧ください。

【関連記事】
・日本陸軍 毛布の巻き方 九九式背嚢(蛸足背嚢)取付時(http://uag.militaryblog.jp/e577645.html


背嚢の外周に被せるように毛布を置きます。
左右2ヶ所、上2ヶ所を仮止めで結んでおくと仕上げが楽になります。
また、背嚢の底と毛布の両端を一直線で揃うようにすると綺麗に見えます。


毛布の巻き終わり位置は背嚢の背面、向きは外回りで合わせ、背負った際に見えないようにします。
結び方は団子結びでもOKですが、なるべく背嚢側面の根元で結びます。
また、紐がねじれないように気をつけましょう。


紐を結んだ際にできる毛布のシワはできる限り綺麗に伸ばします。
毛布に限らず、いかにシワなく縛着するかが背嚢を美しく見せるミソです


毛布の両側面の内、片方には地下足袋を縛着します。


地下足袋の靴底を外側にして毛布の上から縛着します。
なお、写真では左側面に縛着しています(通常は右側面です)。


結び終わったら、両側面共に余った紐を毛布の中に入れます。
背負った際に結び目が見えなければOKです。
入れにくい時は、毛布の巻き終わり位置や結び位置を調整しましょう。


毛布を両側面で固定した状態です。
上の仮止めは解きます。
写真では地下足袋を背嚢に対してよぼ真横に縛着していますが、これに限らず縛着する装備を横に出し過ぎると行軍の際に引っかかり支障が出る可能性があります
地下足袋の場合の対策としましては、位置を手前寄りにするなどがあります。


次は携帯天幕と九八式小円匙(スコップ)です。
両方共に縛着状態にしています(携帯天幕の畳み方については別の機会で・・・)。
写真の円匙は柄と刃部を結ぶ紐を柄だけに巻きつけていますが、刃部の柄差込口と一緒に巻き付けるとより確実な固定となります。


まずは携帯天幕を乗せます。
位置についてですが、背嚢を立てた状態でイメージすると、毛布の手前にに置く感じです。
また、毛布の時と同様、巻き終わり位置は背面(外回り)にして、正面から見えないようにします。


携帯天幕の上に円匙を乗せ、毛布の時と同じように背嚢背面の目立たない位置で紐を結び、余りの紐を処置します。
天幕にできたシワも伸ばします。
円匙を左側面に縛着する場合もありますが、九九式背嚢では規定上、上に縛着することになっています。
円匙の横付けは昭五式背嚢や昭和十三年制背嚢からの流れを受けているもので、どちらに統制するかは部隊長の判断になります。
また、円匙カバーの上から紐を結んでいますが、(反対側にあるので写真では見えませんが)カバーのループに紐を通すやり方もあります


次は飯盒です。


背嚢の中央に置きます。


背嚢下部にある紐をループに通し、飯盒の吊り手内側から2回持ち手に巻きつけます。
これは飯盒の吊り手を固定するための処置です。


飯盒のループと、背嚢の2つ目のループに紐を通します。


背嚢上面に残っている紐1本を持ってきて結びます。
ここは蝶結びの方がいいでしょう。


飯盒側面からの紐を、同じように吊り手に巻き付け、正面で結びます。


最後は身体偽装網です。


身体偽装網をねじって細くし、天幕と円匙の上から8の字で巻きつけます。
余った長さは、背面の目立たない位置で処置します。


あとは全体を調整して、完成です。
綺麗とは言いがたいですが、以前よりは格段に綺麗に組めたと思っています(当社比)。
なお、仕上げの際に、円匙カバーを通る紐(左側)をカバー側のループを通るようしたので途中で隠れています。


背面はこんな感じです。
雑ですね・・・。


九〇式鉄帽を飯盒に被せて顎紐で固定してみました。





慣れない内は(今もですが)紐結びが面倒と思いますが、実際にタコ足背嚢の使用経験がある陸上自衛隊隊員の証言で「73式背嚢は画期的な新型だった」「タコ足背嚢が嫌なので73式背嚢のPX品(私費の私物品)を購入した」といったものがあります。
また、「背嚢縛着の完成度で兵隊の練度がわかる」という話もあります。


ちなみに2年前、2013年の私はこんな感じです(身体偽装網はありません)。


成長はしていると思います・・・多分・・・(汗)



日本陸軍 九九式背嚢(蛸足背嚢) 縛着例(実演有)」はこれで以上です。  

2015年04月12日

日本陸軍 編上靴(アンクルブーツ)の靴紐の通し方(結び方)例(実演有)


今回は日本軍の編上靴における靴紐の通し方についてです。
本記事では「陸軍の5ホール編上靴における一般的な通し方」という前提で進めます。
陸軍と海軍では差異があったのでしょうかね?

それでは、前置きが長くなる前に早速やってみましょう。






用意したのは中田商店製複製の昭五式編上靴です。
靴底の改良がメンドクサクなったのと、ABCマート代用編上靴の使い勝手の良さから箱入り娘状態です。
再現性を考えると中田商店製の方がいいのですが・・・使用するのがもったいないとも思う今日この頃です。
ムーンスター製の複製編上靴、大幅値下げされた時に購入しておけばよかったですねえ・・・アレって再販されるのでしょうか。


話が進まなくなりますので靴紐を通しましょう。
解説は左足用の編上靴で進めます。
まずは1ホール目、両ホール共に表から通します。


2ホール目です。
左1ホールの裏より出る靴紐を右2ホールの裏から通し、さらに左2ホールの表に通します。
右1ホールの裏より出る靴紐は左1ホールの裏から出る靴紐の上を跨ぐ様にします。


3ホール目です。
左2ホールの裏より出る靴紐を右3ホールの裏から通します。
右1ホールの裏より出る靴紐は左3ホールの裏から通しますが、2ホール目の時と同様に重なり部分は上から跨ぐようにします。


4ホール目です。
靴紐を通す方向は両方共に表からですが、右ホールから出る靴紐を上にしてクロスを作ります。


5ホール目です。
今度は裏でクロスを作り、裏から靴紐を通します。
このクロスも右ホールから出る靴紐を上にします。


靴紐をしっかり締めたら、余った分を履き口近くで巻き付けて適度な長さに調整し、正面で結びます。
靴紐の長さは左右対象になるようにしましょう。


左足はこれで完成です。


右足の靴紐は左右反転させて通します。


両方完成です。





私は「4ホール目を表からではなく裏から通す」という勘違いをしていましたが、正しい通し方を教えて貰った際、一緒にいたもう一人も私と同じ勘違いをしていました。
「同じ勘違いをした資料を見て同じ勘違いをしたのだろう」という話になりましたが、間違いを直して靴紐を閉め直した際はよりしっかり結ぶことができ、また緩めるのも楽になりました(クロスのところに指を入れて上に引き上げます)。

今回ご紹介したのはあくまで「数ある例の1つ」ですので、「これ以外はすべて間違い」ということはありません(横線のみ、クロスのみといった例もあるそうです)。
ですが、冒頭で述べたようにこの方法は「一般的な通し方」ですので、再現においては押さえておきたいポイントだと私は思います。
当時の写真からバリエーションを探すのも面白いかもしれませんね。



【関連記事】
WWIIドイツ軍 アンクルブーツ(編上靴)の靴紐の通し方(結び方)考察(実演有)



日本陸軍 編上靴(アンクルブーツ)の靴紐の通し方(結び方)例(実演有」はこれで以上です。  

2014年08月27日

日本軍 三十年式銃剣 メーカーと刻印考察



今回は三十年式銃剣のメーカー刻印についてのお話です。
銃剣の歴史その他詳細については例によって例の如く専門サイトなどに任せます(=丸投げ)が、(推定も含む)メーカーと推測生産数は研究によると以下の通りです。

【参考サイト】
・日本の武器兵器(http://www.日本の武器兵器.jp/) / 軍用銃 / 3、銃剣
・日本刀の研究(鋼材・構造・性能)(http://ohmura-study.net/) / 軍刀 / 銃剣 / 三十年式銃剣
・Japanese Type 30 Bayonets(http://www.japanesebayonets.net/
・Lawrance Ordnance(http://www.lawranceordnance.com/) / Japanese Bayonets
・Nambu World(http://members.shaw.ca/nambuworld/) / Nambu World: Type 30 Bayonet Markings





【内地】
・東京砲兵工廠 / 小倉陸軍造兵廠:約331万2000振
株式会社 光精機製作所(※下請):約45万振
松下金属工業 株式会社(※下請):約90万振

・名古屋陸軍造兵廠:約8万7000振
愛三工業 株式会社(※下請):約35万振
金城削岩機(※下請):約30万振
株式会社 豊田自動織機(※下請):約140万振
理研鋼材 株式会社(※下請):約25万振

・大阪陸軍造兵廠:約12万振
・豊川海軍工廠:不明

【外地】
・株式会社 奉天造兵所:約27万振
・仁川陸軍造兵廠:約45万振
・天津造兵廠(※仮称):不明

【その他】
海軍陸戦隊用 メーカー刻印無し:不明





小倉陸軍造兵廠(東京砲兵工廠)は三十年式銃剣が採用された明治30年(1897年)から生産をしていますので、他のメーカーより圧倒的に生産数が多いです
第2位は名古屋陸軍造兵廠下請の豊田自動織機、第3位に小倉陸軍造兵廠下請の松下金属工業が続きます。

三十年式銃剣は明治30年(1897年)から昭和20年(1945年)までの48年間に約840万振が生産されたと伝わっています。
不明を除く上記のメーカー別推定生産数を合計すると788万9000振、先程の総生産数から引くと約51万1000振が残りますが、おそらく残りの大部分は豊川海軍工廠製とメーカー刻印無しのメーカー不明製になると予想しています(天津造兵廠は昭和20年(1945年)から生産開始と言われています)。

次に銃剣刀身の根本に刻まれている各メーカーの刻印を見ていきましょう。
刻印画像は写真を元に自作しましたが、アンチエイリアスを使っていませんので完成度はイマイチです…(苦笑)
刻印が2つある場合、一部の例外を除きそれは民間会社が造兵廠からの下請で生産したものになります。
なお、一部のメーカーは二式銃剣も生産しています。





【内地】
・東京砲兵工廠 / 小倉陸軍造兵廠

(実物刻印Google検索:Kokura Arsenal Bayonet

・株式会社 光精機製作所(小倉陸軍造兵廠下請)

(実物刻印Google検索:Hikari Seiki Bayonet

・松下金属工業 株式会社(小倉陸軍造兵廠下請)その1

(実物刻印Google検索:Matsushita Kinzoku Bayonet

松下金属製は刻印の配置で2種類のバリエーションがあります。
こちらは他の下請生産型の銃剣と同じ配置です。

・松下金属工業 株式会社(小倉陸軍造兵廠下請)その2

生産後期の松下金属工業製の中には、小倉陸軍造兵廠の刻印が入っていない、松下金属工業の刻印のみの銃剣があります
何故入っていないのかは、調べた資料の中で解明することはできませんでした(下請契約が切れた後の生産品?)。


・名古屋陸軍造兵廠

(実物刻印Google検索:Nagoya Arsenal Bayonet

・愛三工業 株式会社(名古屋陸軍造兵廠下請)(※推定)

(実物刻印Google検索:Aisan Kogyo Bayonet

愛三工業が三十年式銃剣を生産したことは多くの書籍やウェブサイトで紹介されていますが、戦後、愛三工業は銃剣生産についての質問に「銃剣を生産した記録はない」と答えており、実際どうだったのかは不明瞭です。
この刻印が愛三工業とされている背景には、同社製八九式重擲弾筒の刻印が三角形(4つの三角形で構成)であることや、銃剣のメーカー刻印を特定していく内に「三角形で共通する」この刻印が残ったことなどが考えられます。
また、不明刻印と紹介している書籍やウェブサイトもあります。

<参考サイト>
・日本の武器兵器(http://www.日本の武器兵器.jp/) / コラム・書評 / 愛三工業、尊敬すべき軍需産業会社の典型 その2 - 2012年8月1日


・金城削岩機(名古屋陸軍造兵廠下請)

(実物刻印Google検索:Kaneshiro Bayonet

おそらく株式会社と思いますが、前株なのか後株なのかは資料が見つからず不明です…。

・株式会社 豊田自動織機(名古屋陸軍造兵廠下請)その1

(実物刻印Google検索:Toyoda Bayonet

豊田自動織機製の銃剣には2種類の刻印があります。
こちらは真ん中にある漢字「自」が通常の字体で刻まれているタイプです。

・株式会社 豊田自動織機(名古屋陸軍造兵廠下請)その2


こちらは漢字「自」の一番下が上記と異なるタイプです。

・理研鋼材 株式会社(名古屋陸軍造兵廠下請)

(実物刻印Google検索:Riken Kozai Bayonet

・大阪陸軍造兵廠(※推定)

(実物刻印Google検索:Osaka Arsenal Bayonet

昭和19年(1944年)から昭和20年(1945年)の終戦までに大阪陸軍造兵廠が三十年式銃剣を生産したと言われています。
参考サイト「Japanese Type 30 Bayonets」によると、小倉陸軍造兵廠の刻印の外周に小さなチェックマークがあるとされています。
これに該当する刻印を探した結果、参考サイト「Nambu World」の「Osaka」のページに「小倉陸軍造兵廠の刻印に小さいマークが刻まれている実物の三十年式銃剣」がありました。
国内サイトでは「日本刀の研究(鋼材・構造・性能)」にある三十年式銃剣のページで「刻印不明」というキャプションで掲載されているのが唯一と思います。
当記事ではこの刻印を大阪陸軍造兵廠と推定しています。

<参考サイト>
・Japanese Type 30 Bayonets(http://www.japanesebayonets.net/) / Osaka
・日本刀の研究(鋼材・構造・性能)(http://ohmura-study.net/) / 軍刀 / 銃剣 / 三十年式銃剣(2)

・豊川海軍工廠(※推定)

(実物刻印Google検索:Toyokawa Arsenal Bayonet

この刻印は豊川海軍工廠製としている資料もあれば、メーカー不明としている資料もありますが、当記事では豊川海軍工廠製としています。



【外地】
・株式会社 奉天造兵所

(実物刻印Google検索:Mukden Arsenal Bayonet

・仁川陸軍造兵廠

(実物刻印Google検索:Jinsen Arsenal Bayonet

Heijo Ordnance Factory(平壌兵器製造所?)製の三十年式銃剣にも同じ刻印が使用されているそうですが詳細不明です。

<参考資料>
・Lawrance Ordnance(http://www.lawranceordnance.com/) / Bayonets / Japanese Bayonets / Manufacturer's Markings
・Google検索:Heijo Ordnance Bayonet(https://www.google.co.jp/search?q=heijo+ordnance+bayonet

・天津造兵廠(※仮称)

(実物刻印Google検索:Tientsin Arsenal Bayonet

Tientsin Arsenal(正式名称不明)が生産した三十年銃剣には2つの刻印が入っていますが、下請生産ではありません。
参考サイト「Nambu World: Type 30 Bayonet Markings」によると、天津にある中国軍軍需品工場を日本軍が押さえ、昭和20年(1945年)から終戦まで少数の三十年式銃剣を生産したとのことです。
参考サイト「Japanese Type 30 Bayonets」の「Chinese Manufactured Bayonets」に掲載されている「Tientsin # 1」と「Tientsin # 2」が該当するものですね。
形状はいわゆる最末期型に分類されるタイプでしょうか(鞘は木製と思われます)。
「North China Type 19」には別の場所に「『丸の記号』の中に片仮名の『テ』」の刻印が入っていますが、品質の差が大きいことから、戦後中国がTientsin Arsenalを再稼働させて生産したものではないか、と考えています。

<参考サイト>
・Japanese Type 30 Bayonets(http://www.japanesebayonets.net/) / Chinese Manufactured Bayonets



【その他】
・海軍陸戦隊用 メーカー刻印無し

参考サイト「Japanese Type 30 Bayonets」の「Unmarked Naval」に実物写真が掲載されています。
写真を見ると、いずれも血抜きの溝がありませんね(たまたま写真の銃剣がそうなのかもしれませんが)。
また、参考サイト「25番 銃・絵・バイクのサイト」の三十年式銃剣の解説には「刻印の無い海軍陸戦隊仕様」という記述があります。
本記事では参考サイトの情報を基に海軍陸戦隊用としました。
刻印が無いためメーカーは不明ですが、おそらく既存の生産ラインの基で生産されていたと思われます。
推定ですが豊川海軍工廠製の銃剣がありますので、同製銃剣が海軍のみの納品であれば、途中で刻印が無くなった又は刻印が加えられた可能性も考えられるでしょうか
(※教練用の三十年式銃剣は無刻印が多いので混同に注意です)

<参考サイト>
・Japanese Type 30 Bayonets(http://www.japanesebayonets.net/) / Unmarked Naval
・25番 銃・絵・バイクのサイト(http://taka25ban.sakura.ne.jp/) / 武器庫 / 銃剣 刀剣 小銃アクセサリー 軍装品 / 日本 三十年式銃剣





かなりざっくりとした内容でしたが、改めて見ると、ホント様々なところで生産されていますね。
これにて「日本軍 三十年式銃剣 メーカーと刻印考察」は以上です。  

2014年08月24日

日本軍 陸訓第二号 決戦訓 原文と現代語訳

昭和20年(1945年)4月8日、本土決戦に向けて陸軍大臣 阿南惟幾大将が陸訓第二号で示達した訓令の原文(※参考にしたのは当時の書き写し)と、その現代語訳です。
ふと原文を読んだ際に「現代語訳にしたらどんな感じになるのか」と思い作ってみました。
かなり意訳していますが、原文よりは(多分)幾分読みやすくなっていると思います。

※原文の旧字体は、お使いの環境によっては正常に表示されない場合があります。





【原文】
決戰訓

仇敵擊滅ノ神機ニ臨ミ、特ニ皇軍將兵ニ訓フル所左ノ如シ。

一、皇軍將兵ハ神敕ヲ奉戴シ愈々聖諭ノ遵守ニ邁進スヘシ
聖諭ノ遵守ハ皇國軍人ノ生命ナリ。
神州不滅ノ信念ニ徹シ、日夜聖諭ヲ奉誦シテ之カ服行ニ精魂ヲ盡クスヘシ。
必勝ノ根基茲ニ存ス。

二、皇軍將兵ハ皇土ヲ死守スヘシ
皇土ハ天皇在シマシ、神靈鎭マリ給フノ地ナリ。
誓ツテ外夷ノ侵襲ヲ擊攘シ、斃ルルモ尚魂魄ヲ留メテ之ヲ守護スヘシ。

三、皇軍將兵ハ待ツ有ルヲ恃ムヘシ
備有ル者ハ必ス勝ツ。
必死ノ訓練ヲ積ミ、不抜ノ城壘ヲ築キ、鬪魂勃々、以テ滅敵必勝ノ備ヲ完ウスヘシ。

四、皇軍將兵ハ體當リ精神ニ徹スヘシ
悠久ノ大義ニ生クルハ皇國武人ノ傳統ナリ。
挙軍體當リ精神ニ徹シ、必死敢鬪、皇土ヲ侵犯スル者悉ク之ヲ殺戮シ、一人ノ生還無カラシムヘシ。

五、皇軍將兵ハ一億戰友ノ先驅タルヘシ
一億同胞ハ總手是皇國護持ノ戰友ナリ。
至嚴ナル軍紀ノ下、戰友ノ情誼ニ生キ、皇軍ノ眞姿ヲ顕現シテ率先護國ノ大任ヲ完ウスヘシ。

右ノ五訓、皇軍將兵ハ須ク之ヲ恪守シ、速カニ仇敵ヲ擊滅シテ、宸襟ヲ安ンシ奉ルヘシ。





【現代語訳】
決戦訓

仇敵撃滅の神機に臨むにあたって、特に皇軍将兵に訓することは左の通りである。

一、皇軍将兵は神敕を謹んで頂き、いよいよ聖諭の遵守に邁進するべし
聖諭の遵守は皇国軍人の生命である。
神州不滅の信念に徹し、日夜聖諭を奉誦して、これを行うことに精魂を尽くすべし。
必勝の根本はこの場所にある。

二、皇軍将兵は皇土を死守するべし
皇土は天皇の領域であり、神霊が鎮座なさる地である。
誓って外国からの侵攻を撃退し、斃れた者も魂魄を留めてここを死守するべし。

三、皇軍将兵は十分な備えがあることを頼りにするべし
備えを持っている者は必ず勝つ。
必死に訓練を積み、強固な城塁を築き、勃々たる闘魂を持ち、これをもって滅敵必勝の備えを完うするべし。

四、皇軍将兵は体当たり精神に徹するべし
悠久の大義に生きることは、皇国の武人の伝統である。
軍を挙げて体当たり精神に徹し、必死に敢闘し、皇土に侵入する者はことごとく殺戮し、一人も生還無きものとするべし。

五、皇軍将兵は一億戦友の先駆となるべし
一億同胞は総じてこの皇国を尊んで守護する戦友である。
至厳なる軍紀の下で、戦友の人情や誠意に生き、皇軍の真姿をはっきり現し、率先して護国の大任を完うするべし。

右の五訓を、皇国将兵は当然これを遵守し、速やかに敵を撃滅して、天子のお心に安心を差し上げるべし。  

2014年08月21日

日本陸軍 昭和十二年型以降 雑嚢 蓋の紐の結び方







今回は昭和十二年採用の雑嚢から見られる、蓋を固定する紐の結び方の一例をご紹介します。
使用する雑嚢は中田商店製の昭和十三年型雑嚢です。
中にはモノを入れています。


蓋を開けた状態での雑嚢全体です。


蓋の拡大写真です。
それまでの雑嚢は金具にベルト状の革又は同状の紐を通して固定する方法でしたが、昭和十三年型からは幅が3分の1ぐらいに細くなった紐に変わり、固定方法も金具ではなく紐で直接結ぶ形になりました。
(昭和十二年型は中央のみ非金具式になるハイブリット式です)


まずループの上面から紐を通します。


通した紐でループを作ります。
ループを作る紐の方向は左右どちらからでも構いません。


ループの中に紐を通します。


しっかり縛ります。
いわゆる団子結びですね。
蓋側に縫い付けられている紐の根元で縛るのが一番いいと思います。
縛る位置が悪いと蓋がしっかり閉まらず、振動で雑嚢に入れているものが落ちる場合があります。


出来上がりです。


余った紐は雑嚢の中に入れておくと、外観的にもいいかと思います。


残り2ヶ所も同じように結んで完成です。


今回ご紹介した結び方は従軍経験のある方に教えて頂いた方法です。
私は教えて頂くまで紐はテキトーに結んでごまかしていましたが、複雑な結び方なんだろう、と勝手に思っていましたので、団子結びで終わりというのには少々拍子抜けしました。
結び方はこれ以外にも色々あると思いますので、この記事のやり方が「すべてにおいて正しい」ということではありません。
あくまで一例に過ぎません。

これにて「日本陸軍 昭和十二年型以降 雑嚢 蓋の紐の結び方」のご紹介は以上です。  

2014年08月20日

日本陸軍 毛布の巻き方 九九式背嚢(蛸足背嚢)取付時







今回は九九式背嚢(蛸足背嚢)に毛布を付ける際の巻き方をご紹介します。
「巻き方」と一言で言いましても、方法はいくつかありますので、今回の巻き方はその中の一例になります。
なお、使用する毛布は実物です。
※記事では「九九式背嚢用の巻き方」としていますが、それ以前の旧型背嚢でも使えると思います。


まず毛布を目一杯広げます。
毛布はかなり大きいですので、広い場所で広げましょう。
この際、表面を上にするのが通常ですが、肝心な私が表裏の基準を把握していませんので、写真右下にある星マークがある方を表と仮定して進めます。
(検定印と記名欄がある布は剥がされています)
これは「汚れをなるべく表側につけない」という理由から来ており、外套などの畳み方にも共通しています。


写真で言うところの上面と下面を、毛布の真ん中ラインに合わせて内側に畳みます。


両側面を内側に畳みます。
畳む程度ですが、九九式背嚢に合わせる分には、畳んだ際の横の長さが約1mあればOKです。
正方形にする必要はありません。


下面から上面に向けて内側に巻いていきます。
巻く際はなるべくシワができないようにするのが見栄えをよくするコツです。
写真では雑ですが。


上面付近まで巻きましたら、上面にある、左右から内側に畳んだ方の側面の上面縁を少しだけ内側に畳み、三角形を作ります。
これがポケットになり、下から巻いてきた方をその中に入れます。


拡大するとこんな感じです。


ポケットの中に巻いてきた方を入れます。
巻きが緩い場合は適時調整してください。
毛布の汚れは気にしないでください。


ひっくり返すとこんな感じです。


上手くいくと毛布の両端はこんな感じになります。
巻いている部分が隠れていますね。
最後に両端の形状を綺麗に整えれば完成です。


まだまだ練習中ですので見た目はイマイチですが、流れはこんな感じです。
いつ頃から現れた巻き方かはわかりませんが、時代によって巻き方も色々あるのでしょうかね?
以上で毛布の畳み方のご紹介を終わります。  

2014年07月23日

Hiki Shop販売 海外製 複製 / レプリカ:日本陸軍 下士官兵用 四五式軍袴 長袴 冬用


商品名:WW2 IJA Taisho 45 T45 Wool Pants Trousers
販売元:Hiki Shop(ウェブサイト
定価:60ドル





今回はHiki Shopで販売されている「下士官兵(下士卒)用 四五式軍袴 長袴 冬用」の複製品をご紹介します。
今年2014年は第一次世界大戦(WWI)開戦から100年目という節目なので、「WWIの日本陸軍歩兵軍装を始めよう!」というノリの一環で入手しました。


それでは早速色々見て行きましょう。
まずは全体の正面です。
袴の両側面には、四五式の特徴となる「緋線」が縦一直線に入っています。
先に購入した四五式軍衣同様、茶色が強めの色です。


フックと釦の部分の拡大です。


こんな感じになっています。


フックの形状です。


こちらはフックを引っ掛けるリングです。
入手した時点ではリングと生地の隙間がかなり狭く、フックを引っ掛けにくかったので少々タイトにしました。
といっても、リングを軽く引っ張って隙間を強引に作った程度ですが…
私が見た実物の未使用品もリングの隙間がかなり狭かったので、これはこれで実物を再現した感じですね


袴の釦は緑色の樹脂製です。
こちらも私が見た実物の釦は、経年で変わったのか元からなのかはわかりませんが、この複製品より濃くて暗めだったものの緑色でしたので、実物を意識した選択だと思います


背面です。


腰紐は少々長過ぎる気がしますが、短いよりはマシです。


腰紐をどかした状態です。
腰紐を通すループがあります。
この写真で特に際立ちますが、生地の末端処理は雑です


腰紐もよく見ると歪んでます
実用上は問題ありません。


腰紐の末端処理は淵の少し前を縫って、それ以上解れないようになっています。


緋線の上部は腰紐が通る辺りまであります。
大正11年(1922年)の改正で緋線が取り外された袴の中には、緋線の切れ端が残っているものがあります。


腰ポケットです。
緋線はポケットの淵に沿って縫い付けられています。


正面から見た股の部分です。


裾の部分です。
内側に生地が縫い付けられていますね。


裏返してみました。
これは当て布ですね。
しかし、実物の改四五式軍袴の話になりますが、それにはなかった気がします…。
ちなみに昭五式軍袴では確認できます。

そういえばHiki Shopには昭五式軍袴の冬用長袴の複製品もありますので、この四五式軍袴はそれを使いまわして作っているのでしょうか


緋線の末端は裾の内側で処理されています。
実物ではこちらも大正11年(1922年)の改正で緋線が取り外された際の切れ端が残っている場合があります。


裏返した状態の正面です。


同じく裏返した状態の背面です。
ここだけ見たら昭五式軍袴の長袴に見えます。





四五式軍衣袴の複製品はかつて中田商店で販売されていましたが、現在は他の多くの複製品と同じく、プレミア級の希少品になっています。
ちなみに、かつて店舗のマネキンが着ていた詰襟軍服は四五式軍衣袴で、映画「永遠のゼロ(2013年)の影響でマネキンが衣替えした際に放出され、誰かに嫁いで行きました。
以前ヤフオクで見た中田商店製の四五式軍衣袴はそれだったのでしょうか。

これで四五式軍衣の冬用の上下が揃い、四五式軍帽は既に所有していますので、一応これでそれっぽい姿はできますね。
ですが、三十年式水筒や大正三年型雑嚢など、突き詰めていくとまだまだ足りないものは多いです…。

これにて「Hiki Shop販売 海外製 複製 / レプリカ:日本陸軍 下士官兵用 四五式軍袴 長袴 冬用」のご紹介は以上です。  

Posted by Y.A.S. at 19:42Comments(0)日本軍装備

2014年07月21日

中田商店製 複製 / レプリカ:日本軍 軽機弾入れ(九六式 / 九九式軽機関銃用弾倉装弾器嚢?)


名称:軽機弾入れ(商品ナンバー:N-501)
メーカー:中田商店
定価:2,500円




今回ご紹介するのは中田商店製の複製品、「軽機弾入れ」です。
「軽機弾入れ」という名称は中田商店の商品名なのですが、これが何を示しているのかがよくわかりません。
軽機手装備をするためにとりあえず購入しましたが、果たして真相やいかに…?

なお、外観撮影時は中にモノを入れて形を整えています。


それでは早速正面から見て行きましょう。
大雑把にサイズを測ってみたところ、縦横で170mm x 140mmでした。


蓋は革ベルトを金具に通して固定します。
革ベルトの調整穴は1つだけです。
指定のものを入れるなら調整は必要ない、という理由でしょうか。


裏側です。
ここはすべて革製です。
ちなみに購入時点ではここに「MADE IN CHINA」のシールが貼られていました。


上からです。
自立できなかったのでウチのクマに手伝って貰いました。


左側面です。
幅も縫い目を基準に大雑把に測ったところ、50mmでした。


底面です。


蓋を開けた状態です。
過去に見た個体には蓋の裏に中田商店製を示す印があったのですが、私が購入した個体にはありませんでした。
おそらく生産ロットによる差か、個体差と思われます。


中身です。
仕切りも何もなく、極めてシンプルです。




さて、この「軽機弾入れ」が一体何を再現した複製品なのか、についてですが、中田商店の商品名とモデルになった実物の用途がリンクしていると信じて色々探してみた結果、「九六式軽機関銃又は九九式軽機関銃で使用する弾倉装弾器嚢」が最も近い形状をしていました。

【参考資料】
・鎮魂の旧大日本帝國陸海軍(http://cb1100f.b10.coreserver.jp/):旧軍関連収集品 (軍装品...etc) Part IVb
・日本の武器兵器(http://www.日本の武器兵器.jp):機関銃 / 4 、機関銃手装具その3

果たしてこれが正解なのか…真相は中田商店の中の人のみぞ知る、です。
とりあえず記事タイトルには「九六式 / 九九式軽機関銃用弾倉装弾器嚢?」と入れました。

ちなみにサバゲでの用途ですが、M14系マガジンが複数入りますので、Viva Arms製のZB26(チェッコ機銃)を使用する際に弾倉嚢の代用で使用しています。

これにて「中田商店製 複製 / レプリカ:日本軍 軽機弾入れ(九六式 / 九九式軽機関銃用弾倉装弾器嚢?)」のご紹介は以上です。  

Posted by Y.A.S. at 12:00Comments(0)日本軍装備