あの日本人ドイツ兵グループの1人の正体が "古森善五郎" 氏と判明
 東部戦線に従軍した唯一の日本人とされる軍医、古森善五郎氏とは?

 WWIIサバゲイベント「ヒスサバウエスト16」
 2017年3月18日・19日、和歌山県 バトルランド-1 にて開催予定

 WWII日ソ戦リエナクトイベント「Reenactment 満州1945」
 開催計画中!

2014年08月27日

日本軍 三十年式銃剣 メーカーと刻印考察



今回は三十年式銃剣のメーカー刻印についてのお話です。
銃剣の歴史その他詳細については例によって例の如く専門サイトなどに任せます(=丸投げ)が、(推定も含む)メーカーと推測生産数は研究によると以下の通りです。

【参考サイト】
・日本の武器兵器(http://www.日本の武器兵器.jp/) / 軍用銃 / 3、銃剣
・日本刀の研究(鋼材・構造・性能)(http://ohmura-study.net/) / 軍刀 / 銃剣 / 三十年式銃剣
・Japanese Type 30 Bayonets(http://www.japanesebayonets.net/
・Lawrance Ordnance(http://www.lawranceordnance.com/) / Japanese Bayonets
・Nambu World(http://members.shaw.ca/nambuworld/) / Nambu World: Type 30 Bayonet Markings





【内地】
・東京砲兵工廠 / 小倉陸軍造兵廠:約331万2000振
株式会社 光精機製作所(※下請):約45万振
松下金属工業 株式会社(※下請):約90万振

・名古屋陸軍造兵廠:約8万7000振
愛三工業 株式会社(※下請):約35万振
金城削岩機(※下請):約30万振
株式会社 豊田自動織機(※下請):約140万振
理研鋼材 株式会社(※下請):約25万振

・大阪陸軍造兵廠:約12万振
・豊川海軍工廠:不明

【外地】
・株式会社 奉天造兵所:約27万振
・仁川陸軍造兵廠:約45万振
・天津造兵廠(※仮称):不明

【その他】
海軍陸戦隊用 メーカー刻印無し:不明





小倉陸軍造兵廠(東京砲兵工廠)は三十年式銃剣が採用された明治30年(1897年)から生産をしていますので、他のメーカーより圧倒的に生産数が多いです
第2位は名古屋陸軍造兵廠下請の豊田自動織機、第3位に小倉陸軍造兵廠下請の松下金属工業が続きます。

三十年式銃剣は明治30年(1897年)から昭和20年(1945年)までの48年間に約840万振が生産されたと伝わっています。
不明を除く上記のメーカー別推定生産数を合計すると788万9000振、先程の総生産数から引くと約51万1000振が残りますが、おそらく残りの大部分は豊川海軍工廠製とメーカー刻印無しのメーカー不明製になると予想しています(天津造兵廠は昭和20年(1945年)から生産開始と言われています)。

次に銃剣刀身の根本に刻まれている各メーカーの刻印を見ていきましょう。
刻印画像は写真を元に自作しましたが、アンチエイリアスを使っていませんので完成度はイマイチです…(苦笑)
刻印が2つある場合、一部の例外を除きそれは民間会社が造兵廠からの下請で生産したものになります。
なお、一部のメーカーは二式銃剣も生産しています。





【内地】
・東京砲兵工廠 / 小倉陸軍造兵廠

(実物刻印Google検索:Kokura Arsenal Bayonet

・株式会社 光精機製作所(小倉陸軍造兵廠下請)

(実物刻印Google検索:Hikari Seiki Bayonet

・松下金属工業 株式会社(小倉陸軍造兵廠下請)その1

(実物刻印Google検索:Matsushita Kinzoku Bayonet

松下金属製は刻印の配置で2種類のバリエーションがあります。
こちらは他の下請生産型の銃剣と同じ配置です。

・松下金属工業 株式会社(小倉陸軍造兵廠下請)その2

生産後期の松下金属工業製の中には、小倉陸軍造兵廠の刻印が入っていない、松下金属工業の刻印のみの銃剣があります
何故入っていないのかは、調べた資料の中で解明することはできませんでした(下請契約が切れた後の生産品?)。


・名古屋陸軍造兵廠

(実物刻印Google検索:Nagoya Arsenal Bayonet

・愛三工業 株式会社(名古屋陸軍造兵廠下請)(※推定)

(実物刻印Google検索:Aisan Kogyo Bayonet

愛三工業が三十年式銃剣を生産したことは多くの書籍やウェブサイトで紹介されていますが、戦後、愛三工業は銃剣生産についての質問に「銃剣を生産した記録はない」と答えており、実際どうだったのかは不明瞭です。
この刻印が愛三工業とされている背景には、同社製八九式重擲弾筒の刻印が三角形(4つの三角形で構成)であることや、銃剣のメーカー刻印を特定していく内に「三角形で共通する」この刻印が残ったことなどが考えられます。
また、不明刻印と紹介している書籍やウェブサイトもあります。

<参考サイト>
・日本の武器兵器(http://www.日本の武器兵器.jp/) / コラム・書評 / 愛三工業、尊敬すべき軍需産業会社の典型 その2 - 2012年8月1日


・金城削岩機(名古屋陸軍造兵廠下請)

(実物刻印Google検索:Kaneshiro Bayonet

おそらく株式会社と思いますが、前株なのか後株なのかは資料が見つからず不明です…。

・株式会社 豊田自動織機(名古屋陸軍造兵廠下請)その1

(実物刻印Google検索:Toyoda Bayonet

豊田自動織機製の銃剣には2種類の刻印があります。
こちらは真ん中にある漢字「自」が通常の字体で刻まれているタイプです。

・株式会社 豊田自動織機(名古屋陸軍造兵廠下請)その2


こちらは漢字「自」の一番下が上記と異なるタイプです。

・理研鋼材 株式会社(名古屋陸軍造兵廠下請)

(実物刻印Google検索:Riken Kozai Bayonet

・大阪陸軍造兵廠(※推定)

(実物刻印Google検索:Osaka Arsenal Bayonet

昭和19年(1944年)から昭和20年(1945年)の終戦までに大阪陸軍造兵廠が三十年式銃剣を生産したと言われています。
参考サイト「Japanese Type 30 Bayonets」によると、小倉陸軍造兵廠の刻印の外周に小さなチェックマークがあるとされています。
これに該当する刻印を探した結果、参考サイト「Nambu World」の「Osaka」のページに「小倉陸軍造兵廠の刻印に小さいマークが刻まれている実物の三十年式銃剣」がありました。
国内サイトでは「日本刀の研究(鋼材・構造・性能)」にある三十年式銃剣のページで「刻印不明」というキャプションで掲載されているのが唯一と思います。
当記事ではこの刻印を大阪陸軍造兵廠と推定しています。

<参考サイト>
・Japanese Type 30 Bayonets(http://www.japanesebayonets.net/) / Osaka
・日本刀の研究(鋼材・構造・性能)(http://ohmura-study.net/) / 軍刀 / 銃剣 / 三十年式銃剣(2)

・豊川海軍工廠(※推定)

(実物刻印Google検索:Toyokawa Arsenal Bayonet

この刻印は豊川海軍工廠製としている資料もあれば、メーカー不明としている資料もありますが、当記事では豊川海軍工廠製としています。



【外地】
・株式会社 奉天造兵所

(実物刻印Google検索:Mukden Arsenal Bayonet

・仁川陸軍造兵廠

(実物刻印Google検索:Jinsen Arsenal Bayonet

Heijo Ordnance Factory(平壌兵器製造所?)製の三十年式銃剣にも同じ刻印が使用されているそうですが詳細不明です。

<参考資料>
・Lawrance Ordnance(http://www.lawranceordnance.com/) / Bayonets / Japanese Bayonets / Manufacturer's Markings
・Google検索:Heijo Ordnance Bayonet(https://www.google.co.jp/search?q=heijo+ordnance+bayonet

・天津造兵廠(※仮称)

(実物刻印Google検索:Tientsin Arsenal Bayonet

Tientsin Arsenal(正式名称不明)が生産した三十年銃剣には2つの刻印が入っていますが、下請生産ではありません。
参考サイト「Nambu World: Type 30 Bayonet Markings」によると、天津にある中国軍軍需品工場を日本軍が押さえ、昭和20年(1945年)から終戦まで少数の三十年式銃剣を生産したとのことです。
参考サイト「Japanese Type 30 Bayonets」の「Chinese Manufactured Bayonets」に掲載されている「Tientsin # 1」と「Tientsin # 2」が該当するものですね。
形状はいわゆる最末期型に分類されるタイプでしょうか(鞘は木製と思われます)。
「North China Type 19」には別の場所に「『丸の記号』の中に片仮名の『テ』」の刻印が入っていますが、品質の差が大きいことから、戦後中国がTientsin Arsenalを再稼働させて生産したものではないか、と考えています。

<参考サイト>
・Japanese Type 30 Bayonets(http://www.japanesebayonets.net/) / Chinese Manufactured Bayonets



【その他】
・海軍陸戦隊用 メーカー刻印無し

参考サイト「Japanese Type 30 Bayonets」の「Unmarked Naval」に実物写真が掲載されています。
写真を見ると、いずれも血抜きの溝がありませんね(たまたま写真の銃剣がそうなのかもしれませんが)。
また、参考サイト「25番 銃・絵・バイクのサイト」の三十年式銃剣の解説には「刻印の無い海軍陸戦隊仕様」という記述があります。
本記事では参考サイトの情報を基に海軍陸戦隊用としました。
刻印が無いためメーカーは不明ですが、おそらく既存の生産ラインの基で生産されていたと思われます。
推定ですが豊川海軍工廠製の銃剣がありますので、同製銃剣が海軍のみの納品であれば、途中で刻印が無くなった又は刻印が加えられた可能性も考えられるでしょうか
(※教練用の三十年式銃剣は無刻印が多いので混同に注意です)

<参考サイト>
・Japanese Type 30 Bayonets(http://www.japanesebayonets.net/) / Unmarked Naval
・25番 銃・絵・バイクのサイト(http://taka25ban.sakura.ne.jp/) / 武器庫 / 銃剣 刀剣 小銃アクセサリー 軍装品 / 日本 三十年式銃剣





かなりざっくりとした内容でしたが、改めて見ると、ホント様々なところで生産されていますね。
これにて「日本軍 三十年式銃剣 メーカーと刻印考察」は以上です。  

2014年08月24日

日本軍 陸訓第二号 決戦訓 原文と現代語訳

昭和20年(1945年)4月8日、本土決戦に向けて陸軍大臣 阿南惟幾大将が陸訓第二号で示達した訓令の原文(※参考にしたのは当時の書き写し)と、その現代語訳です。
ふと原文を読んだ際に「現代語訳にしたらどんな感じになるのか」と思い作ってみました。
かなり意訳していますが、原文よりは(多分)幾分読みやすくなっていると思います。

※原文の旧字体は、お使いの環境によっては正常に表示されない場合があります。





【原文】
決戰訓

仇敵擊滅ノ神機ニ臨ミ、特ニ皇軍將兵ニ訓フル所左ノ如シ。

一、皇軍將兵ハ神敕ヲ奉戴シ愈々聖諭ノ遵守ニ邁進スヘシ
聖諭ノ遵守ハ皇國軍人ノ生命ナリ。
神州不滅ノ信念ニ徹シ、日夜聖諭ヲ奉誦シテ之カ服行ニ精魂ヲ盡クスヘシ。
必勝ノ根基茲ニ存ス。

二、皇軍將兵ハ皇土ヲ死守スヘシ
皇土ハ天皇在シマシ、神靈鎭マリ給フノ地ナリ。
誓ツテ外夷ノ侵襲ヲ擊攘シ、斃ルルモ尚魂魄ヲ留メテ之ヲ守護スヘシ。

三、皇軍將兵ハ待ツ有ルヲ恃ムヘシ
備有ル者ハ必ス勝ツ。
必死ノ訓練ヲ積ミ、不抜ノ城壘ヲ築キ、鬪魂勃々、以テ滅敵必勝ノ備ヲ完ウスヘシ。

四、皇軍將兵ハ體當リ精神ニ徹スヘシ
悠久ノ大義ニ生クルハ皇國武人ノ傳統ナリ。
挙軍體當リ精神ニ徹シ、必死敢鬪、皇土ヲ侵犯スル者悉ク之ヲ殺戮シ、一人ノ生還無カラシムヘシ。

五、皇軍將兵ハ一億戰友ノ先驅タルヘシ
一億同胞ハ總手是皇國護持ノ戰友ナリ。
至嚴ナル軍紀ノ下、戰友ノ情誼ニ生キ、皇軍ノ眞姿ヲ顕現シテ率先護國ノ大任ヲ完ウスヘシ。

右ノ五訓、皇軍將兵ハ須ク之ヲ恪守シ、速カニ仇敵ヲ擊滅シテ、宸襟ヲ安ンシ奉ルヘシ。





【現代語訳】
決戦訓

仇敵撃滅の神機に臨むにあたって、特に皇軍将兵に訓することは左の通りである。

一、皇軍将兵は神敕を謹んで頂き、いよいよ聖諭の遵守に邁進するべし
聖諭の遵守は皇国軍人の生命である。
神州不滅の信念に徹し、日夜聖諭を奉誦して、これを行うことに精魂を尽くすべし。
必勝の根本はこの場所にある。

二、皇軍将兵は皇土を死守するべし
皇土は天皇の領域であり、神霊が鎮座なさる地である。
誓って外国からの侵攻を撃退し、斃れた者も魂魄を留めてここを死守するべし。

三、皇軍将兵は十分な備えがあることを頼りにするべし
備えを持っている者は必ず勝つ。
必死に訓練を積み、強固な城塁を築き、勃々たる闘魂を持ち、これをもって滅敵必勝の備えを完うするべし。

四、皇軍将兵は体当たり精神に徹するべし
悠久の大義に生きることは、皇国の武人の伝統である。
軍を挙げて体当たり精神に徹し、必死に敢闘し、皇土に侵入する者はことごとく殺戮し、一人も生還無きものとするべし。

五、皇軍将兵は一億戦友の先駆となるべし
一億同胞は総じてこの皇国を尊んで守護する戦友である。
至厳なる軍紀の下で、戦友の人情や誠意に生き、皇軍の真姿をはっきり現し、率先して護国の大任を完うするべし。

右の五訓を、皇国将兵は当然これを遵守し、速やかに敵を撃滅して、天子のお心に安心を差し上げるべし。  

2014年08月23日

アドベン製 九六式軽機関銃 デコガン 新型・旧型の見分け方考察


今回は既に絶版となって久しいものの、中古で時折見かける「アドベン製 九六式軽機関銃 デコガン」についてのちょっとしたお話です。

(注)この記事は独断と偏見の塊で記述されています。





【アドベン製 九六式軽機関銃の付属説明書】
96式は本体ABS製です。各部接着組み立て方式は13年前と同じです。
今回は資料も見つかり、前回よりも一回り大きくなっています。
バレル内にパイプを入れ強度を増しています。
ギミックスペースは確保しています。工夫して入れて見てください。
日本軍のアイテムは少なくお役に立てば幸いです。
製作数は少なく木部、鉄部、ABS部とかなりコスト高でした。
ABSは塗装に適しており、塗料の食いつきもいいです。
ご自分で貴方の96式にして下さい。
仕上げ、エッジはペーパー等で取り、下地はスチールウールで磨き
自作パーツを添加したりパテ盛り、補強用ビスなど工夫してください。





上記の内容はたまたま見つけた説明書の内容です。
13年前」という内容がありますので、2007年頃(正確な発売日はわかりません…)に再販された方の説明書ですね。
2007年発売と仮定して計算すると、以前の生産品は1994年が最後ということでしょうか。

ところで、この説明書の内容で1つ気になる記述があります。





今回は資料も見つかり、前回よりも一回り大きくなっています。





そうです、再販版と旧版ではサイズが違うらしいのです。
記述から想像するに、おそらく再販版はより実銃に近いサイズになったのでしょう(つまり旧版は一回り小さい?)。
この説明書を読むまではただの再販と思っていましたが、サイズが変わっていることは知りませんでした。

それでは、どれぐらいサイズが変わっているのでしょうか?
過去に撮影したアドベン製九六式軽機関銃の写真を探して比較してみました。


【その1(フラッシュハイダー装着、フロントサイトの右サイドガード破損、リアサイト欠品)】


【その2(マガジンハウジングを東京マルイ系 AK系スタンダード電動ガン用マガジンを使用可能にカスタム、木製ストックは非純正、リアサイト欠品)】


【その3(下の2丁が該当。上がその1、下がその2の個体)】


【その4】





サイズの違いはイマイチわかりませんね…。
ただ、気になる部分がいくつかありましたので、私が資料として保存している再販版の写真を比較用で掲載します。
※出典元不明の写真ですが、もし問題がございましたらお手数ですがご連絡ください。


【再販版資料その1(説明書の写真)】


【再販版資料その2(フロントサイト)】


【再販版資料その3(キャリングハンドル)】


【再販版資料その4(マガジンキャッチ)】





気になった部分は「フロントサイトの位置、キャリングハンドルの角度、マガジンキャッチの形状、バットプレートの有無」です。

これを基に私が出した仮定は以下の通りです。


【その1=旧版】


【その2=再販版】


【その4=旧版】


【見分けるポイントその1:フロントサイトの位置】

【仮定・旧版】


【再販版資料】

旧版は再販版よりフロントサイトの位置が前になっており、デザインも若干異なります。
また、よく見るとバイポット基部の形状も異なっています。


【見分けるポイントその2:キャリングハンドルの角度】

【仮定・旧版】


【再販版資料】


【再販版資料】

旧版はキャリングハンドルが前のめりの角度がついていますが、再販版は水平になっています。
また、木部の色も異なります(旧版は仕上げ直している可能性もありますが、別写真の色と大差がないのでオリジナルの色と判断しました)。

【見分けるポイントその3:マガジンキャッチの形状】

【仮定・旧版】


【仮定・旧版】


【仮定・再販版】


【再販版資料】


【再販版資料】

再販版のマガジンキャッチは旧版より高さがあります。
またマガジンの残弾カウンターを確認する穴の大きさも異なるように見えます。

【見分けるポイントその4:バットプレートの有無】

一番下が再販版、その上が旧版


【再販版資料】

旧版はバットプレートがありません。
が、旧型に分類できるものでバットプレート付きの個体が他のサイトにありました。後付けなのか元からついていたのかは不明です




私の理論はこんな感じです。
が、これらの特徴に該当しないアドベン製九六式軽機関銃の写真を後々検索で見つけた結果、正直これで合ってるのかがわからなくなりました(爆)


また、一番下が再販版で、その上が旧版としたこの写真からもサイズの違いは判別できませんでした…。
アドベンが九六式軽機関銃の生産をファーストロットで終わらせたのか、生産終了までに何度か改修を挟んだのかも不明です。
そして何より九六式軽機関銃のデコガンは「万両」というメーカーからも出ており、フラッシュハイダーに加えて木製ストックの部分が九九式軽機関銃になっているBV式ガスガンの存在も忘れていましたので、もうゴチャゴチャです
アドベン製にフラッシュハイダー付き、または別売オプションパーツでありましたっけ?





ここまで書きましたが、果たしてこの記事を公開する意味はあったのでしょうかね…?



写真のみでしか確認できない中古を見つけた時、どちらかを見分ける資料になれば」という理由で作った今回の記事ですが、とりあえず「こんなことを考えてみました」程度の記事、ということにしておきましょう(震え声)  

2014年08月22日

【下着軍装】サバゲレポート in COMBAT ZONE KYOTO(京都府):2014年6月15日


2014年6月15日(日)
〒622-0232
京都府船井郡京丹波町曽根深シノ33
COMBAT ZONE KYOTO(ウェブサイト
アウトドアフィールド
参加人数:忘れた





この日はWWII仲間と共にCOMBAT ZONE KYOTOへ行きました。

この日の装備は以下の通りです。



【頭】
・中田商店製:官給略帽
・実物:九〇式鉄帽 中田商店レストア
・中田商店製:鉄帽覆後期型 安価版
・中田商店製:鉄帽用偽装網

【上】
・サムズミリタリ屋製:防暑襦袢
・K.K.MFG.CO.製:防暑被服用襟章台座
・実物:三式一等兵襟章
・中田商店製:帯革
・中田商店製:三十年式弾薬盒 前期型
・海外製:剣差し
・実物:三十年式銃剣 末期型(刀身切断合法品)
・メーカー不明:三十年式銃剣用鞘
・中田商店:昭和十四年型雑嚢
・海外製:昭五式水筒
・海外製:九九式防毒面嚢
・中田商店製:九八式円匙 前期型
・市販の軍手(写真では未装着)

【下】
・メーカー不明:防暑袴下
・海外製:巻脚絆
・ステファノロッシ製:MID CUT SR03115 F12 S/SABBIA(代用編上靴)

【武器】
KTW 三八式歩兵銃 エアコッキングガン


本来は防暑衣と夏袴で予定していましたが、フィールドに到着して着替えている最中に夏袴を忘れていることに気づいたため、やむを得ず襦袢と袴下の組み合わせになりました。
つまりこの日は下着姿でサバゲをしていたことになります。
エロいですね!(謎)


右に写る日本兵A氏は「七生報國」と書かれた手拭いを巻いて気合いを入れています。
正面のドイツ兵はエーデルヴァイス章を付けていますね。
山岳猟兵でしょうか。


チーム「黒騎士中隊」様も体験入隊組を連れての参戦です。
広報用看板も用意して宣伝する気やる気も満々です。


左からS氏、N氏、H氏です。
N氏とはイベントで何度かお会いしていますが、直接的に一緒に遊ぶのは今日が初めてです。
写真ではわかりにくいですが、末期軍装です。


ここからはお昼時の写真になります。
今日のH氏の献立は何でしょうね?


パスタを作っています。
ちなみに使っている鍋は、ソ連名物(?)のバケツ型飯盒です。


いっぱい入ってます。
完成した写真を撮るのを忘れてしまいましたが、分けて貰いおいしく頂きました。
ありがとうございます!


日本軍も飯盒炊爨で昼食作りです。


仕上げ中です。
熱せられた飯盒はとても熱いので軍手を付けて作業をします。


米は大根の葉を入れて一緒に炊きましたが、果たして結果はいかに…?


携帯粉味噌で味噌汁を作ります。
中身は市販のものですが、袋は日本兵S氏の自作です。


完成です。
真ん中のおかずはN氏の持参品です。
なおご飯作りはすべてS氏に丸投げお願いしました。
ありがとうございます!


今日は衛生兵でキメる!」と意気込む黒騎士中隊様体験入隊組仕切り担当、M氏が持ってきた医療関係品(っぽい何か)を取材してみました。
弾薬箱を白で塗装し、赤十字マークを入れています。


それでは中身を見て行きましょう。
…が、コレは何でしたっけ?(爆)


続いてはこちらです。
瓶の中に入っているのはラムネのお菓子ですが、手前のも何でしたっけ…。


えーっと…何でしたk(ry


何でs(ry


集合写真です。
なお、ゲーム中の写真はまったく撮影しませんでした。


日本兵ズです。
こうして見ると、私の色が凄く浮いてますね…。
上下の色が黄色系だったこともあって「某ドラマの日本兵みたいだね」と突っ込まれたのは、また別のお話です。


ドイツ兵ズです。
M氏の白色作業服は市販品を改造したものです。
左腰に三十年式弾薬盒の前盒っぽいものがありますが、これはドイツ軍の医療盒です
三十年式弾薬盒に見えるのは目の錯覚です。
(※代用品です)


S氏が九九式背嚢を背負っていましたので、コッソリ撮影しました。


さらに近づいて撮影です。
各装備の配置がよくわかります。




写真は以上です。
軍装してご飯食べて写真撮って終わり!」な感じですが、ゲームはしっかり参加しました。
ようやく手に入れたKTW 三八式歩兵銃を初めて実戦投入しましたが、戦果は例の如く散々でした
精進せねばならんですね…。

今回のレポートは以上です。  

2014年08月21日

日本陸軍 昭和十二年型以降 雑嚢 蓋の紐の結び方







今回は昭和十二年採用の雑嚢から見られる、蓋を固定する紐の結び方の一例をご紹介します。
使用する雑嚢は中田商店製の昭和十三年型雑嚢です。
中にはモノを入れています。


蓋を開けた状態での雑嚢全体です。


蓋の拡大写真です。
それまでの雑嚢は金具にベルト状の革又は同状の紐を通して固定する方法でしたが、昭和十三年型からは幅が3分の1ぐらいに細くなった紐に変わり、固定方法も金具ではなく紐で直接結ぶ形になりました。
(昭和十二年型は中央のみ非金具式になるハイブリット式です)


まずループの上面から紐を通します。


通した紐でループを作ります。
ループを作る紐の方向は左右どちらからでも構いません。


ループの中に紐を通します。


しっかり縛ります。
いわゆる団子結びですね。
蓋側に縫い付けられている紐の根元で縛るのが一番いいと思います。
縛る位置が悪いと蓋がしっかり閉まらず、振動で雑嚢に入れているものが落ちる場合があります。


出来上がりです。


余った紐は雑嚢の中に入れておくと、外観的にもいいかと思います。


残り2ヶ所も同じように結んで完成です。


今回ご紹介した結び方は従軍経験のある方に教えて頂いた方法です。
私は教えて頂くまで紐はテキトーに結んでごまかしていましたが、複雑な結び方なんだろう、と勝手に思っていましたので、団子結びで終わりというのには少々拍子抜けしました。
結び方はこれ以外にも色々あると思いますので、この記事のやり方が「すべてにおいて正しい」ということではありません。
あくまで一例に過ぎません。

これにて「日本陸軍 昭和十二年型以降 雑嚢 蓋の紐の結び方」のご紹介は以上です。  

2014年08月20日

日本陸軍 毛布の巻き方 九九式背嚢(蛸足背嚢)取付時







今回は九九式背嚢(蛸足背嚢)に毛布を付ける際の巻き方をご紹介します。
「巻き方」と一言で言いましても、方法はいくつかありますので、今回の巻き方はその中の一例になります。
なお、使用する毛布は実物です。
※記事では「九九式背嚢用の巻き方」としていますが、それ以前の旧型背嚢でも使えると思います。


まず毛布を目一杯広げます。
毛布はかなり大きいですので、広い場所で広げましょう。
この際、表面を上にするのが通常ですが、肝心な私が表裏の基準を把握していませんので、写真右下にある星マークがある方を表と仮定して進めます。
(検定印と記名欄がある布は剥がされています)
これは「汚れをなるべく表側につけない」という理由から来ており、外套などの畳み方にも共通しています。


写真で言うところの上面と下面を、毛布の真ん中ラインに合わせて内側に畳みます。


両側面を内側に畳みます。
畳む程度ですが、九九式背嚢に合わせる分には、畳んだ際の横の長さが約1mあればOKです。
正方形にする必要はありません。


下面から上面に向けて内側に巻いていきます。
巻く際はなるべくシワができないようにするのが見栄えをよくするコツです。
写真では雑ですが。


上面付近まで巻きましたら、上面にある、左右から内側に畳んだ方の側面の上面縁を少しだけ内側に畳み、三角形を作ります。
これがポケットになり、下から巻いてきた方をその中に入れます。


拡大するとこんな感じです。


ポケットの中に巻いてきた方を入れます。
巻きが緩い場合は適時調整してください。
毛布の汚れは気にしないでください。


ひっくり返すとこんな感じです。


上手くいくと毛布の両端はこんな感じになります。
巻いている部分が隠れていますね。
最後に両端の形状を綺麗に整えれば完成です。


まだまだ練習中ですので見た目はイマイチですが、流れはこんな感じです。
いつ頃から現れた巻き方かはわかりませんが、時代によって巻き方も色々あるのでしょうかね?
以上で毛布の畳み方のご紹介を終わります。