あの日本人ドイツ兵グループの1人の正体が "古森善五郎" 氏と判明
 東部戦線に従軍した唯一の日本人とされる軍医、古森善五郎氏とは?

 WWIIサバゲイベント「ヒスサバウエスト16」
 2017年3月18日・19日、和歌山県 バトルランド-1 にて開催予定

 WWII日ソ戦リエナクトイベント「Reenactment 満州1945」
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2014年09月29日

【日系二世】ヨーロッパ戦線初の日系アメリカ人戦死者



Joint Memorial Service 100th-Bn & 442nd-RCT & MIS Japanese Americans」、翻訳すると「第100歩兵大隊 / 第442連隊戦闘団 / アメリカ陸軍情報部所属 日系アメリカ人合同慰霊祭」という感じでしょうか。
知人経由で知りましたが、これは上記の各部隊で亡くなった日系アメリカ人の慰霊祭で、毎年9月末に行われています。
部隊詳細は専門サイトなどにお任せしますが、この「9月末」というのは「ヨーロッパ戦線で初めて戦死者を出した日」との関係があります。

その最初の戦死者とは誰なのでしょうか?

まず最初にその人物の所属部隊の特定となりますが、これは第100歩兵大隊ということがわかりました。

次に、第100歩兵大隊に関するサイト「100th Infantry Battalion Veterans Education Center(http://www.100thbattalion.org/)」の「Listing of KIA By Battle」に戦域別の戦死者リストがPDFファイルでありますので、これを読んでみましょう。
ファイルは8つで構成されています(カッコは翻訳)。



・Salerno-Cassino(サレルノ~カッシーノ)
・Cassino-Anzio(カッシーノ~アンツィオ)
・Anzio-Rome(アンツィオ~ローマ)
・Rome-Arno(ローマ~アルノ)
・Battle of Bruyeres(ブリュイエールの戦い)
・Battle of the Lost Battalion – Biffontaine(失われた大隊の戦い~ビフォンテーヌ)
・Battle of Vosges to Saint-Remy(サン=レミへのウォセグスの戦い)
・Champagne Campaign(シャンパン・キャンペーン)



該当するのは「Salerno-Cassino」です。
その資料の4ページ目にある「Our KIA losses for 29 September, 1943」が最初の戦死者になりますが、名前が2人掲載されていますね。



第100歩兵大隊B中隊軍曹 シゲオ・ジョー・タカタ(Shigeo Joe Takata) ハワイ・ワイアルア出身
第100歩兵大隊D中隊一等兵 ケイイチ・タナカ(Keichi Tanaka) ハワイ・ワイマナロ出身



他で調べたとところ、最初の戦死者はタカタ軍曹とされています。

さて、最初の戦死者はタカタ軍曹とわかりましたが、彼はどんな人物だったのでしょうか。


この写真がタカタ軍曹です。
ちなみに私が着色した白黒写真です。

以下、参考資料から抜粋して(物凄く)翻訳した内容です。

【参考資料】
Baseball's Greatest Sacrifice: Players Killed in Military Service(http://www.baseballsgreatestsacrifice.com/) / Joe Takata (http://www.baseballsgreatestsacrifice.com/biographies/takata_joe.html





シゲオ・ジョセフ ”ジョー” タカタは1919年4月29日にハワイ・ワイアルアで日系二世として生まれました。
野球好きであり、マッキンレー高校時代は「長打力を持つショート」で早くもハワイで注目されていました。
高校卒業後は地元にあるアマチュアのハワイ・ベースボール・リーグのアサヒ野球団(Asahi Team)で野球を続け、1941年11月15日に陸軍へ入隊、翌月12月7日(日本時間では8日)に起きた真珠湾攻撃の影響を受けます。

軍に入ってからも所属野球チームでは攻走守で高い能力を発揮し、さらに名声を高めていきますが、1943年9月に所属部隊の第100歩兵大隊はイタリアのサレルノへ派遣されます。

そして運命の9月29日0915時、天候は大雨、前進中に部隊がドイツ軍からの機関銃攻撃を受けたため、タカタ軍曹は陣地を特定するため敵からの激しい攻撃の中、自ら身を乗り出して囮になる行動を実行しました。

結果としては陣地の制圧に成功しましたが、タカタ軍曹は目の前に着弾した砲撃(管理人補足:公式記録では88mm砲)で負傷、その約2分後にタカタ軍曹は息を引き取り部隊は部隊のリーダーでもある野球のヒーローを失いました(管理人補足:タカタ軍曹は最期まで副分隊長に敵の位置を報告しました)。

第100歩兵大隊の基礎訓練を受ける数週間前に結婚したフローレンス・タカタ(Florence Takata、旧姓Sakamoto)夫人にタカタ軍曹戦死の知らせが届いた後、タカタ夫人は受け取った香典を赤十字などに寄付します(管理人補足:香典全額を寄付しています)。

戦死から翌年の1944年6月11日、タカタ軍曹の勇気ある行動を称えてケンダル・J・フィールダー(Kendall J. Fielder)大佐は殊勲十字章を死後授与、その勲章はタカタ夫人に渡されました。

ジョーは陽気でとてもお人よし、そして驚くほど凄い熱意をいくつも持っていました。」トクジ・オノ(Tokuji Ono)、タカタ軍曹戦死後に部隊を引き継ぐ
彼は模範的な兵士でした。偉大なスポーツマンであり、偉大なリーダーです。」ファラント・L・ターナー(Farrant L. Turner)大佐、1955年の式典にて、当時の第100歩兵大隊大隊長

そして戦死から60年経った2003年6月、ハワイのフォート・シャフターにある野球場の名前が「タカタ・フィールド(Takata Field)」と改名されました。

野球場の改名は、自由のために夢を犠牲にして最後に命を代償とした素晴らしいスポーツ選手と兵士に対し、軍が永続的な敬意を払うためのものです。」ジェームズ・キャンベル(James Campbell)中将





抜粋翻訳は以上です。
ブラジルの日本語新聞「ニッケイ新聞」にもタカタ軍曹に関する記事がありましたので、ご興味がございましたらご覧ください。

■第2次世界大戦=日系米兵2つの戦い(2)=志願兵による歩兵連隊編成 1500人募集に応募1万余
http://www.nikkeyshimbun.com.br/040714-62colonia.html

今回の記事はこれで以上です。
  

Posted by Y.A.S. at 22:30Comments(0)雑記

2014年09月27日

【続・やってみた】白黒写真の着色にチャレンジ


「白黒写真の着色にチャレンジ」の続編が早速できましたので記事にしました。
初めての一週間連続更新を記念する記事ですね。



・前回
【やってみた】白黒写真の着色にチャレンジ



今回の素材はこちらです。




着用している野戦服はM40です。
1940年春~1942年9月頃、またはそれ以降に撮影された写真と思われます。
ちなみに兵科は工兵科です。





続いてこちらが着色後の写真です。






首周りに見えるクラーゲンビンデは元写真の色合いからダークグリーンとしました。

色々書きたいところですが、1分後に日付が変わってしまうため切り上げます
手抜きという訳ではありません
第3回も多分やると思います…。



今回の記事はこれで以上です。  

Posted by Y.A.S. at 23:59Comments(0)雑記

2014年09月26日

【やってみた】白黒写真の着色にチャレンジ


今回のお題は「白黒写真に色を加えてカラー化してみる」です。

要するに「自分でやってみよう」ということです。



【参考資料】
ViRATES [バイレーツ] - シェアしたくなるニュース
【画像】歴史的に有名な白黒写真をカラー化 まるで現代の写真のように!(http://virates.com/cool/032108




衝動的にコレをやってみたくなって用意した写真はPCのフォルダにあったドイツ国防軍時代のドイツ陸軍兵士です。
あまりゴチャゴチャした写真だと「途中で挫折する」と判断し、シンプルな写真を選択しました。
襟の色が違う、ベルト用のJフックがある、5つボタンであることから野戦服はM34〜M36、あるいはM40の襟改造型と思われますが、とりあえずM36野戦服ということにしましょう。

編集で使用するソフトは「Pixia」です。


画像を取り込みましたら、次は配色を考えることになります。
あまり深く考えると「途中で挫折する」可能性が非常に高く成るため、Googole先生に協力を打診して手短に考えてみましょう



【Google検索キーワード】
M36 Tunic
M35 Helmet Early



背景はどこかの街ということにします。
後はひたすら色を加えていきます。






























カッチ、カッチ、カッチ、カッチ、カッチ、カッチ、カッチ、カッチ、カッチ、カッチ






























出来上がりました。
ですが、掲載する前にもう一度白黒状態の写真を見てみましょう。











【オリジナルの写真】










そしてこちらが着色後の写真です。











【着色後の写真】










完成度はどうあれ、当時のカラー写真としてはフェイク(偽物)になりますので、その印で画像右下に私の名前を入れています。
ヘルメットの色は1940年1月27日の改正前の、艶ありのアップルグリーンを意識しています。
バックルは無塗装仕様としています。
兵士の配色は様々な写真を基にしていますが、背景の配色は完全にイメージです(途中で考えるのが疲れました)。
背景右上の川も、オリジナルの写真がそれっぽく見えたため勝手にそういうことにしています。
しかし、白黒写真ならこれ1枚で終わりですが、白黒映像になると1フレームごとに着色を行うわけですがら、気が遠くなりますね…
また衝動的にやりたくなった場合は第2回があるかもしれません。



今回の記事はこれで以上です。  
Posted by Y.A.S. at 19:42Comments(0)雑記

2014年09月25日

WWIIドイツ軍 Kar98k ボルト開放・排莢・弾薬装填・ボルト閉鎖動作考察(実演有)


今回のお題は「ドイツ軍はKar98kで次弾装填する時にボルトをガチャガチャする際、どのよう行っていたのか?」についてです。


Kar98kが出てくるゲームの銃声比較動画(YouTube

この動画の主題は「異なるゲームに登場する同じ銃の銃声比較」で、冒頭からKar98kが登場します。
見方によっては「これは実銃の銃声に似ている、これは似ていない」という感想を持つかもしれませんが、今回私はボルト操作のアニメーションに着目しました。
見ての通り、ゲームによってボルト操作のアニメーションも様々ですね。

さて、ここで読者の皆様に質問ですが「これは実銃の銃声に似ているのか?」と思うのと同じように、「この動作はドイツ軍と似ているのか?」と思うことはないでしょうか?





(1)思う
(2)思わない
(3)そんなことより冒頭の画像のKar98k、タナカのガスガンのボルトストップを半外しにして無理やりフルストロークにしているだろ?





僅差で「(1)思う」が他を上回ったと勝手に想定してお話を続けて行きます。
今回この記事で使用する参考資料は以下の2本の動画です。




ドイツ軍カラー映像その1:WW2 colored footage of german army(YouTube
「1:00~1:01」のシーン


ドイツ軍カラー映像その2:German Army Hell March(YouTube
「4:15~4:18」のシーン



動画は色々あったのですが、わかりやすい動画で絞っていった結果、上記2本の動画を選択しました。

次に、該当シーンを何枚かの静止画に編集したものを見てみましょう。





【「ドイツ軍カラー映像その1」の該当シーン静止画】

(1/7)
装填直前の映像がなかったのでこのシーンは次弾装填後です。
映像は冬季の戦場ですね。


(2/7)
ボルトハンドルに手を掛けました。ボルトの根元近くに親指を添え、人差し指と中指でボルト先端の球体を握っているようです。


(3/7)
上に上げます。
この段階で親指の位置がどうなっているのかは隠れているためわかりません。
また、ボルトを上げる際は拳をあまり左に捻らずに上げています。


(4/7)
引いて排莢します。


(5/7)
戻します。


(6/7)
下に下ろして装填完了です。
見にくいですが、このシーンでの親指の位置はボルトの側面にあるように見えます。
ボルトを持った段階からここまでずっと親指を置いていたのか、ボルトを下ろす時に置いているのかはわかりません。


(7/7)
装填完了です。



【「ドイツ軍カラー映像その2」の該当シーン静止画】

(1/8)
小銃を構えた兵と、それを見守る制帽を被った下士官二人と後方の兵二人が映っています。
この映像はドイツ国内か占領地での訓練所で撮影されたものと思われます。


(2/8)
射撃し、排莢動作に移ろうとしています。


(3/8)
ボルトの根元近くに親指を添えていますね。
この映像でもボルトは人差し指と中指でボルト先端の球体を握っているように見えます。


(4/8)
ボルトの根元に添えていた親指をすぐに離し、握り拳を作りました。


(5/8)
拳をあまり左に捻らずに上へ上げます。


(6/8)
引いて排莢します。


(7/8)
戻します。


(8/8)
下に下ろして装填完了です。
ちなみにその後安全装置を掛けています。





いかがでしたでしょうか?
戦場時と訓練時の射撃映像で比較したところ、姿勢は異なるものの親指の位置を除けば動作は双方共にほぼ同じだと思います。
この動作が映る映像を何十、何百本と検証するとどうなるかはわかりませんが、記事に掲載していない映像も含めて数本を比較し、この記事を書いた段階では(親指の位置は置いておいて)掲載したシーンの動作が教育上の動作だと考えられます。

続きまして、実際に映像の握りを試してみました。




ボルトハンドルを握って上げた状態の左側です(親指をボルトの根元に添えていません)。


右側から見た状態です。


上から見た状態です。
参考映像を見た限りでは、この握り拳の角度は大きく変えずにボルトを操作しています。



日本軍での話になりますが、当時の映像に映る三八式歩兵銃のボルト操作と、検証のため元兵隊さんにトイガンを渡して行ってもらったボルト操作がまったくと言っていいほど同じだったことがあります。
速射性を求めて編み出したボルト操作を行う古参兵がいたという話もありますが、その古参兵も新兵時代がありますので(途中で教育内容が変わっていない限り)身に付けた基礎は同じはずです。

ただ、今回挙げたボルト操作をトイガンで行う場合、もちろんトイガンは実銃並の強度はありませんので、部品の素材にもよるでしょうがこのボルト操作を行うとボルトや、その周辺の部品が変形、破損してしまうかもしれません
BB弾の弾道などにも影響が出る場合があるそうですが、それらも含めた点についての詳細は下記サイトをご覧ください。

ボルトアクションのコッキング方法!(ガンショップFIRST東京アメ横ブログ)



以上で「WWIIドイツ軍 Kar98k ボルト開放・排莢・弾薬装填・ボルト閉鎖動作考察」を終わります。  

2014年09月24日

WWIIドイツ軍 ヘルメット用偽装網代用 雑嚢ストラップ ヘルメット装着方法(実演有)


今回はドイツ軍における、雑嚢のストラップをヘルメットの偽装網として代用する際の装着方法のお話です。

ヘルメットを偽装するために使用する偽装網(ネット)はもちろんドイツ軍でも採用されていますが、支給されていない部隊でヘルメットに偽装を施す必要がある場合はそれに代わるものが使用されます。

その一つが雑嚢のストラップです。
野戦装備においては特に出番がない雑嚢ストラップですが、これをヘルメットに巻くことで偽装網の代用品になります。
ですが、ただ単にストラップをヘルメットの外周に沿ってグルグル巻くのではなく、一定の決まりがあります
巻き方が軍で規定されているのかはわかりませんが、当時の写真でも多く見られる一般的な巻き方をご紹介します。


用意するものはヘルメットと雑嚢ストラップです。
ちなみにヘルメットはS&GRAF製のM42ヘルメット、雑嚢ストラップは東ドイツ軍の実物(代用品)です。
まずは雑嚢ストラップの長さを一番長い状態に調整します。


次に雑嚢ストラップの取り付けですが、調整金具から遠い方の引っ掛け金具をヘルメットの側面に引っ掛けます。
位置は後で調整できますが、大体チンストラップより少し後方です。
写真では右側面に引っ掛けていますが、右側面が起点のもとの、左側面が起点の二種類があります。
今回は右巻きで行いますが、方向はおそらく部隊で統一されていたと思われます。

それとですが、金具を引っ掛けるとヘルメット側のその部分の塗装がガリガリ削れ、傷も入りますので気になる方はご注意ください


雑嚢ストラップを反対側まで引っ張り、大体の位置で折り曲げてヘルメットの後方に行くようにします。


反時計回り、左回りで一周巻き付けます。


もう片方の引っ掛け金具を雑嚢ストラップの隙間に通し、ヘルメットの左側面に金具を引っ掛けます。
位置は反対側と対になる方がいいと思います。


雑嚢ストラップの位置を調整し、長さ調整金具でしっかり締め付ければ完成です。


正面から見た完成図です。
右側起点の場合は雑嚢ストラップの調整金具がヘルメット前面に来ます。
左側起点の場合は後方に来ますが、こちらは金具が前面に来ないようするための巻き方かもしれませんね。


右側面です。
外周を回る雑嚢ストラップは上から通ります。


背面です。


左側面です。


上面です。
上面を通る雑嚢ストラップはヘルメット中央を通るようにするといいですね。



これで巻き付けは完成です。
後はストラップの隙間に草を入れたりして偽装を施します。

何も偽装せず雑嚢ストラップをヘルメットに巻いている当時の写真もありますが、単に偽装していないのか、何かの識別なのか、別の意味があるのかはわかりません…。
ただ、ヘルメットの外観が特徴的になりますのでサバゲなどにおいては個性が出るかもしれませんね。

これにて「WWIIドイツ軍 偽装網代用 雑嚢ストラップ ヘルメット装着方法」のご紹介は以上です。  

2014年09月23日

【続】WWIIドイツ軍 サスペンダー類と肩章の関係考察(実演有)


前回記事:WWIIドイツ軍 サスペンダー類と肩章の関係考察

「サスペンダー類は肩章の下から通すのが制式な着用法だろう」という答えを出した前回の記事ですが、後日某高名な狼氏よりとある質問を受け、そこまで考えておらず「わからない」でその日を済ませてしまいましたので、改めて調べることにしました。
前回同様、「サスペンダー類」は重装サスペンダー前提で進めます





さてさて、その「考えていなかった」内容ですが、それは「重装サスペンダーに肩章を通す場合、(1) 肩章のループの間から通すのか、(2)野戦服と肩章の間から通すのか」です。

わかりやすいように写真を掲載します。






(完成図)肩章の下から重装サスペンダーが通っている状態


(1) 肩章と肩章を折り返した部分の間から通した状態


(2)野戦服と肩章の間から通した状態





こんな感じです。
それでは当時の写真を見てみましょう、と言いたいところなのですが、この部分が明確に写っている写真はこの記事を書いている段階では発見できませんでした。
肩章の下部は影で黒くなっているため確認できません。
ですが、それだと「わかりませんでした」で終わってしまうため、根気よく探した結果、「多分こうなっているだろう」という写真を2枚見つけましたのでご紹介します。






【元写真:海外フォーラムから拾ってきた写真】
1枚目です。
M40野戦服と、略帽で兵科を示す山型を確認できることから1940年春~1942年9月辺りの間に撮影されたものと思われます。
中央の二人は肩章の下から重装サスペンダーを通していますね。
注目するのは左に写る略帽を被った兵です。
該当部分を拡大し、さらに画質を変えてみましょう。


拡大したものです。
写真真ん中の肩章の折り返し部分に注目してください。


赤線を加えてみました。
この赤線は折り返した肩章の縁です。
明確に見える部分はここまでですが、その部分の湾曲具合から推測すると、重装サスペンダーはこの赤線より下、つまり「(2)野戦服と肩章の間から通した状態」のように見えます。


【元写真:海外フォーラムから拾ってきた写真】
2枚目です。
元写真を誤って消去してしまい、どこで拾ったのかも忘れてしまいましたので掲載するのは別の場所で使用した編集後の写真になります。
矢印で拡大した部分。同じく肩章の折り返し部分周辺に注目してください。


同じく赤線を加えてみました。
1枚目の写真より明確に見えると思いますが、この赤線の部分は肩章の縁に当たると思います。
そしてこれを基に考えると、この写真も重装サスペンダーが下、「(2)野戦服と肩章の間から通した状態」になります。







写真2枚だけで検証するのはどうかと思われるでしょうが、Google先生で探しまくった結果「都合よくそれっぽいのが写っている写真はこの2枚しか見つからなかった」ので勘弁してください…。
ひとまず今回の個人的ま答えとしましては、「『(2)野戦服と肩章の間から通した状態』が正式な装着法だろう」とします。

考えてみたのですが、「(1) 肩章と肩章を折り返した部分の間から通した状態」では動いた時に重装サスペンダーと肩章が擦れて肩章が痛むかもしれませんね

【続】WWIIドイツ軍 サスペンダー類と肩章の関係考察」はこれにて以上です。  

2014年09月22日

【あれは嘘だ】サバゲレポート in CQB FIELD BUDDY(大阪府):2014年7月13日


2014年7月13日(日)
〒596-0013
大阪府岸和田市河合町964
CQB FIELD BUDDY(ウェブサイト
アウトドアフィールド
参加人数:忘れた





今回はCQB FIELD BUDDYに参加しました。


参加者が増えてきたことでBUDDYの通常ゲームは基本的に第1部と第2部に分かれて行われるっようになりましたが、参加したのは第2部ゲームです。


私の装備は以下の通りです。



【頭】
・古鷹屋製:昭和十三年制定型 官給略帽

【上】
・個人業者S様製:昭和十三年制定型 官給夏襦袢
・中田商店製:昭和十三年制定防暑衣
・個人業者N様製:熱帯地用付け襟
・中田商店製:四五式伍長肩章
・中田商店製:帯革
・中田商店製:三十年式弾薬盒 前期型
・海外製:剣差し
・中田商店:昭和十三年型雑嚢
・海外製:昭五式水筒
・市販の軍手(写真では未装着)

【下】
・メーカー不明:防暑袴下
・個人業者N様製:試製防暑半袴
・海外製:巻脚絆
・ステファノロッシ製:MID CUT SR03115 F12 S/SABBIA(代用編上靴)

【武器】
KTW製:三八式歩兵銃 エアコッキングガン
KTW製:イサカM37 エアコッキングガン(ミリタリーモデルにカスタム)




スナイパー戦では三八式歩兵銃、それ以外ではイサカM37カスタムを使用していました。
私のイサカM37カスタムは射程が非常に短いため相手との距離を詰めないと一方的に撃たれます(爆)


何となく撮影した襦袢姿です。


B氏は海軍陸戦隊装備で参戦です。
持っているのはAGM製ステンMk IIと中華製M2カービンを改造ベースにして開発したMP18の電動ガンです。


S氏も同じく参戦です。
この日はベトナム戦争のアメリカ軍ではなく現用装備です。


S氏が衝動買いした東京マルイ製SCAR-H 電動ガンです。
ピッカピカの箱出し新品です。


しかしBUDDYの初速レギュレーション(0.2gで92m/s、0.25gで82m/s)をクリアできず使用不可でした。
ちなみに計測数値は「0.2gで97m/s」です。


それではゲーム中の写真に移りましょう。
撮影したゲームは無限復活のメディック戦、全員がメディックになります。


打ち合わせをしているのでしょうか?
第2部ゲームは時間も遅くなりますので夕暮れ戦のような雰囲気になり、フィールド内も薄暗くなります。


ゲームスタートです。


エリアを確保していきます。
レンズの汚れが反射しているので少しホラーな写真になってますね…。


メディック戦ですので皆さんガンガン進んでいきます。


安全を確保、残敵を捜索します。
相手を倒してもいつの間にか復活させられて背後から攻撃されることもありますので慎重です。


ここで激しい交戦が始まりました。
しかし私は移動中に相手とバッタリ出くわし、相撃ちでヒットされメディック待ちとなりました。
辺りではそこら中で銃声と叫び声が響き、大混戦です。


しばらくすると相手チームの人が到着、復活作業を始めます。
復活させるためにはメディックがジャンケンで勝利する必要があり、場合によっては手間取ります。
なおここで復活作業中の人(写真中央)はBUDDY通称「例のヒゲの人」です。


行っちゃいましたね…。
一方私は依然メディック待ちです。
足音も遠くなりましたので、どうやら戦闘区域が変わったみたいです。


足音が聞こえたので期待したら相手チームだったの図です。
この距離でショットガンは勘弁してください。


面白い奴だな、気に入った。殺すのは最後にしてやる。」と思っているのかはわかりませんが、行っちゃいました。
メディーック…。































貴様は最後に殺してやると言ったな。

あれは嘘だ。

※イメージです

戻って来てもう一度銃口を突きつけられる図です。
今度はシルバーなデザートイーグルです。
そしてお互いネタで遊んでいる内にゲームセット、このゲームは全滅による敗北となりました。
ご協力ありがとうございます。


全ゲーム終了後、有志によるセーフティーお掃除タイムです。
サバゲ後に皆で掃除をするのはPCゲーム「Viscera Cleanup Detail」みたいですね(アレはエイリアン襲撃後の掃除ですが)。

参加された皆様お疲れ様でした!  

2014年09月21日

カンプバタリオン!!製 複製 / レプリカ:WWIIドイツ陸軍 下士官兵用 BEVO製国家鷲章 1944年型


商品名:末期兵陸軍鷲国家章
販売元:カンプバタリオン!!(ウェブサイト
定価:1,000円(税抜)





今回はドイツ陸軍が1944年に採用した野戦服用国家鷲章のBEVO製末期型の複製品をご紹介します。
メーカーはカンプバタリオン!!です。


この国家鷲章はおそらくM44野戦服の制式採用に合わせて同時期に採用されたと思われます。
今までの国家鷲章と異なり、国家鷲章の形状に切る工程を省略するため逆三角形の形状をしているのが特徴です。
基本的にこの国家鷲章はM44野戦服に合わせて使用されましたが、M43野戦服などでの使用例もあるそうです(当時の写真ではまだ未確認ですが…)


続きまして拡大写真です。
まずは鷲の左側の翼いきます。


胴体です。


右側の翼です。


足元のハーケンクロイツ(鉤十字)です。

縫い付けはカンプバタリオン!!の業務用ミシンで行われています(別料金)ので頑強です。


野戦服の内側から見た縫い付け状態です。
これを外すのは大変そうですが、この方法が当時に倣ったものなのかはわかりません…。


野戦服(写真はM43)全体で見るとこんな感じです。
ちなみに右袖にある旭日旗は日本人義勇兵が付けていたとされるシールドの自家製複製品です。



1944年(1945年?)のいつ頃から本格的に使用され始めたのかは手元に資料がないためわかりませんが、この国家鷲章は末期感を出すのにいいものだと思います。
これで「カンプバタリオン!!製 複製 / レプリカ:WWIIドイツ陸軍 下士官兵用 BEVO製国家鷲章 1944年型」のご紹介は以上です。  

2014年09月17日

サバゲレポート in ASOBIBA大阪日本橋店(大阪府):2014年9月14日


2014年9月14日(日)
〒556-0005
大阪府大阪市浪速区日本橋4-15-18 3F~4F
東京サバイバルゲームフィールド ASOBIBA 大阪日本橋店(ウェブサイト
インドアフィールド
参加人数:11人ぐらい





今回はAz氏と愉快な仲間達と計4人で、今月13日に大阪の日本橋でオープンした新インドアフィールド「東京サバイバルゲームフィールド ASOBIBA 大阪日本橋店」へ行ってきました。
「東京サバイバルゲームフィールド」と冠している通り、東京発祥のフィールドの大阪店になります。


写真は4階フィールドにあるセーフティーを一番手前の席から撮影したものです。
(3Fフィールドは未完成なので今回は使用していません)
壁にはフィールド内にあるカメラを写すスクリーンがあり、写真は撮っていませんが観戦室も別室であります。
受付は3階にあり、トイレと飲料系の自販機も3階にあります。
自販機は(今日の時点で)標準価格が100円になっていましたので、お財布にも優しいです。

階層の移動は入口も含めて階段しかありませんので、荷物が多いと少々大変かもしれません。


更衣室もあります。


この日の私の装備は日本陸軍歩兵です。
ライラクスのポスターの近くで撮影した意味は特にありません(笑)
(是非日本軍装備を作ってください)

使用品は以下の通りです。



【頭】
・古鷹屋製:昭和十三年制定型 官給略帽
・実物:九〇式鉄帽 中田商店レストア
・中田商店製:鉄帽覆後期型 安価版
・中田商店製:鉄帽用偽装網

【上】
・個人業者S様製:昭和十三年制定型 官給夏襦袢
・中田商店製:官給九八式夏衣
・古鷹屋製:九八式一等兵襟章 座布団型
・中田商店製:帯革
・中田商店製:三十年式弾薬盒 前期型
・海外製:剣差し
・中田商店:昭和十三年型雑嚢
・海外製:昭五式水筒
・海外製:九九式防毒面嚢
・個人商店T様製:九六式・九九式軽機関銃用150発弾薬嚢
・市販の軍手の改造品
・中田商店製:陸軍腕時計

【下】
・メーカー不明:防暑袴下
・中田商店製:官給九八式夏袴
・海外製:巻脚絆
・ステファノロッシ製:MID CUT SR03115 F12 S/SABBIA(代用編上靴)

【武器】
個人ガンスミスM様製 一〇〇式機関短銃 前期型 電動ガン



インドアフィールドで日本兵装備をするのは久しぶりですね。
普段使用している三十年式銃剣はフィールドレギュレーションの関係で装備していません。


Az氏(後列真ん中)と愉快な仲間達です。


それではフィールドの中を見て行きましょう。
手前スタート側より右端通路を進み、そこから見たフィールド中心部です。
板で作られた遮蔽物には番号が振られています。
コンセプトはジャングル戦ということで、装飾も加えられています。


上の撮影場所を奥スタートの左端通路から見たところです。


このように一段高くなる場所(この日に付けた名称は「やぐら」)に続く階段もあります。


「やぐら」の下にはトンネルがあります。
ここを通って奇襲をかけることもできそうですね。


続いてゲーム中の写真です。
白い看板の左にある赤いものはフラッグ用のブザーです。
ゲームルールは殲滅戦、フラッグ戦、無限復活カウント戦(スタート地点で復活する際にカウンターを1回押し、最終的にカウント数が少ないチームが勝利)、VIP戦(VIPを相手フラッグに連れて行けば勝利、VIPがやられると敗北)、立て籠もり殲滅戦(攻撃側と防御側に分かれてゲーム)を行いました。
MP5Kのガスブロ2丁持ちはカッコイイですね!


撮影したゲームは無限復活カウント戦、奥スタートからです。
Az氏がハンドガンで交戦しています。


「やぐら」内でも交戦していますね。


「やぐら」の奥でも交戦中です。


そこから見える部分はこんな感じです。
広い視野を確保できます。


半透明のカバーに相手の状況を見ています。
弾が抜けることはまずありませんので、これを利用して相手の動きを監視して状況報告をすることもできます。



Az氏のリロード姿です。
少ないですがゲーム中の写真はこれで以上になります。


最後は集合写真です。

1ゲーム当たりの時間は3~5分と、他のフィールドと比較すると短めですが、フィールドの広さを考えますと適正だと思います。
ゲーム間のインターバルは約3~5分の時と約10~15分の時があり、フィールド側は「5時間で50ゲーム達成!」を目標にしてゲームを回していましたが、現実は「約半分の達成」で終わりました(笑)
通路が極端に狭いということはありませんでしたので、長物でも運用できると思います。
また最初は「フラッグ戦をするのは無理があるのでは」と思っていましたが、いざやってみると普通に成立しましたので驚いたのが本音です。
普通の殲滅戦で終わるだろう」と思っていた第1ゲームで早速フラッグを取られた(防御が崩れた通路を一点攻めされて突破されました)時は正直凹みました(苦笑)

あと、入口の看板を見て興味を持った人達が不定期で見学(無料)に来ていましたが、ほとんどはセーフティーのスクリーンや観戦室で見学していましたのでゲーム進行に支障は特にありませんでした。

それと、知人曰く「フィールドのレイアウトは関東のインドアCQBでよくあるタイプ」とのことですが、関東のフィールドで今現在行ったことのあるフィールドは埼玉県のデザートストーム川越(アウトドア)しかないので、イマイチ実感できずでした(汗)
(それ以前に、地域によってレイアウト傾向があることすら知りませんでした…

これにて今回のレポートは以上です。  

2014年09月06日

WWIIドイツ軍 サスペンダー類と肩章の関係考察(実演有)


今回はドイツ軍のサスペンダー類と肩章についてのお話です。
サスペンダーについては基本的に重装サスペンダーに焦点を当てます。

お題は「重装サスペンダーを装着する場合、サスペンダーは肩章の上から通すのか、下から通すのか、どちらが正確なのか」についてです。

まずは私の装備写真での比較です。


【重装サスペンダーを肩章の上から通した場合】
※当時の写真を見ると、肩章の上からではなく、肩章より内側から通す例もあり。


【重装サスペンダーを肩章の下から通した場合】

両方を試した感想としましては、「後者のやり方は重装サスペンダーの脱着時に肩章を外すのが面倒臭い」です。
サバゲ前提での話になりますが、何らかの理由で脱着する時にそう感じます。
前者の場合でしたら肩章のことを気にする必要がありませんのでスムーズに脱着できます。

続きまして、当時の写真を見てみましょう。


【元写真:海外フォーラムから拾ってきた写真】
休憩中の写真でしょうか。
少々わかりにくいですが左側の兵は肩章の上から、右側の将校は肩章の下から通しています。
被っている略帽に兵科を示す山型があり、兵の襟が同色に見えることから撮影時期は1940年~1942年9月か、山型廃止の過渡期と思われます。

当時にも「面倒臭い」といる理由があったのかはわかりませんが、写真を見ていくと同じ部隊でも両方が混同しています。
また、主に調べたのは陸軍ですが、肩章の下に通していないスタイルは前線らしき場所で撮影された写真に多いように思えます。


【元写真:海外フォーラムから拾ってきた写真】
1943年1月撮影の陸軍グロース・ドイッチュランド師団のMG42班です。
左の下士官は肩章の下から、中央の兵は肩章の上から通しています。


【元写真:海外フォーラムから拾ってきた写真】
空軍の砲兵でしょうか。
肩章の下から通っていますね。
個人的な感想ですが、空軍の地上部隊の写真を見ると、肩章の下から通すスタイルが陸軍より多数派と思えます。


【元写真:英語版WikipeidiaのBattle of Berlin(Wikipedia)】
1945年3月9日撮影、二級鉄十字章を受章しヨーゼフ・ゲッベルスと握手するヒトラーユーゲントのヴィリー・ヒュブナー(Willi Hübner)、当時16歳です。
他の兵はコートの襟で隠れているためわかりませんが、ヒュブナーは肩章の下に通しています。


【元写真:海外フォーラムから拾ってきた写真】
1935年撮影、歌いながら行進しています。
背嚢のサスペンダーは全員肩章の下から通していると思われます。





さて、個人的な考察ですが、少なくとも式典や訓練時など、ピッシリする必要がある場面では肩章の下から通すスタイルが主体、おそらくこの形式が軍が定める制式な着装法と思われます
逆に戦地では肩章に通さないスタイルが目立ちます。
写真を見た限りでは部隊で着装法を統制いるようにも見えませんでしたので、個人の判断でどちらかを選んでいたのでしょうか。
見栄え的には肩章の下から通す方がいいと思います(上からサスペンダーで押さえると肩章が痛む可能性もありそうです)。
おそらく肩章の脱着については、一人で行う以外に、周りの人と協力して行うこともあったと思います。

どちらが正しいか」についての今回の個人的な答えは「肩章の下からサスペンダーを通すのが正式だが、戦地では上から通す形式が多数派」です。
もしWWIIイベントでの部隊編成式など、ピッシリ装備を整える場面がありましたら、肩章の下からサスペンダーを通しておくと、見栄えがさらに「カッコよくなる」かもしれません。

WWIIドイツ軍 サスペンダー類と肩章の関係考察」はこれにて以上です。