スポンサーサイト


上記の広告は1ヶ月以上記事の更新がないブログに表示されます。
新しい記事を書くことで、こちらの広告の表示を消すことができます。  
Posted by ミリタリーブログ at

2014年11月28日

WWIIドイツ陸軍 軍服の変革1939~1945 簡易考証資料


1939年から1945年における、ドイツ陸軍の軍服に関わる通達のほんの一部を時系列別に掲載したものです。
メインで使用した参考資料がイタリア語という関係上、語訳の可能性も大いにありますが…。
掲載しているのは基本的にヨーロッパ戦線向けの通達ですが、WWIIイベントでドイツ軍服装レギュレーションを考える際や、年代がわからない写真の時代考証などの資料になりそうでしたら、どうぞご活用ください。
一部どうでもいいことも書いていますが気にしないでください。

※補足
通達名が特定できているものは年月日の後ろに通達名を記載しています。
年月日は命令が通達された年月日ですので、直ちに新型軍服などが前線に支給されたという訳ではありません。
モノにもよるでしょうが、新型が広く使用されるまでには1年以上掛かると思います。

【参考資料】
・イタリア語サイトの通達データベース(http://www.webalice.it/alex.ciavaglia/Uniformologia.html
・Google先生で見つけた数々の国内外サイト





【1939年】
・1939年:
M39卵型手榴弾、重装サスペンダー、Aフレーム採用

・1939年9月1日:
ドイツ軍、白の場合作戦発動、ポーランド攻撃開始、第二次世界大戦勃発。

・1939年11月9日:HM.39, Nr.814
革を節約するため行軍靴(ジャックブーツ)の丈長さを3~5cm低くして生産すると制定

【1940年】
・1940年初頭:
MP40採用、M39卵型手榴弾配備開始

・1940年1月22日:HV.40, Nr.159
防諜のため兵科色と部隊モノグラム入り肩章生産中止

・1940年1月27日:
ヘルメットの塗装をフィールドグレイに改正

・1940年3月:
ヘルメットの塗装をブラックグリーンに改正

・1940年3月18日:HM.40, Nr.381
ガスシートケース装着方法改正

・1940年3月21日:HM.40, Nr.428
ヘルメット右側面デカール廃止

・1940年3月26日:
M40ヘルメット採用

・1940年5月:
M40野戦服採用

・1940年6月10日:
イタリア、イギリスとフランスに宣戦布告

・1940年6月21日:
フランス、ドイツに降伏

・1940年8月8日:
ガマシェン(短ゲートル、レギンス)採用

・1940年9月6日:HV.40C, Nr.1007
夏に限り、襟のホックと第1ボタンを外しての着用を限定的な場面でのみ許可(?)

・1940年9月9日:
イタリア、エジプト攻撃開始、北アフリカ戦線形成

・1940年9月27日:HV.40B, Nr.577
元帥肩章モノグラム改正

【1941年】
・1941年:
重装サスペンダーをオートバイ兵にも支給開始

・1941年4月3日:HV.41B, Nr.207
元帥専用襟章、肩章採用

・1941年5月26日:HM.41, Nr.558
M41野戦服採用

・1941年6月22日:
ドイツ軍、バルバロッサ作戦発動、ソ連攻撃開始、東部戦線形成

・1941年7月18日:HV.41B, Nr.496
アフリカ軍団所属兵士専用カフタイトル(AFRIKAKORPS)採用

【1942年】
・1942年:
G41(M)とG41(W)を東部戦線に試験配備開始

・1942年初頭:
MG42採用

・1942年4月20日:
M42ヘルメット採用

・1942年5月:
MG42を北アフリカ戦線で実戦初投入

・1942年5月28日:HM.42, Nr.483
M42夏季野戦服(HBT野戦服)採用(?)

・1942年6月28日:
ドイツ軍、ブラウ作戦発動、ソ連南部攻撃開始

・1942年6月28日~11月24日:
ソ連・クラスノダールで、ドイツ陸軍将校の古森善五郎軍医少佐率いる日本人研修者一行を現場のドイツ空軍兵が撮影

・1942年7月1日:
カイルホーゼ採用

・1942年7月21日:HM.42, Nr.642
M42略帽採用

・1942年9月8日:HM.42, Nr.796
防諜のため制帽以外の帽子用兵科色ハイピング廃止

・1942年秋(9月~11月? 日本基準):
M42野戦服採用

・1942年11月:
Mkb42(H)を東部戦線で試験配備開始

・1942年12月2日:
G41(W)をG41として採用

・1942年12月11日:HM.42, Nr.1130
ガスシートケース装着方法再改正

【1943年】
・1943年:
重装サスペンダーを自転車兵にも支給開始、RPzB43 パンツァーシュレック採用、M43柄付手榴弾採用

・1943年1月11日:HM 43, Nr.75
1941年7月25日通達の規定「HM.41, Nr.769」について、熱帯野戦服の勝手な組み合わせを禁止(?)

・1943年1月15日:HM.43, Nr.60
アフリカ従軍カフタイトル(AFRIKA)採用

・1943年2月2日:
スターリングラードのドイツ軍、ソ連軍に降伏

・1943年2月5日:HV.43B, Nr.90
ガマシェン(短ゲートル、レギンス)装着方法改正

・1943年4月1日:HM.43, Nr.364
M43野戦服採用(?)

・1943年4月30日:
G43採用

・1943年5月6日:
アフリカ従軍カフタイトルの授与基準改正、基準の1つ「6ヵ月の従軍」を4ヶ月に減免

・1943年5月13日:
北アフリカ戦線の枢軸軍、連合軍への降伏により戦線消滅

・1943年6月頃:
パンツァーファウストK 30m 実戦配備開始

・1943年6月11日:HV.43B, Nr.352
M43規格帽(統一規格野戦帽)採用

・1943年7月10日:
連合軍、ハスキー作戦発動、イタリア・シチリア島攻撃開始

・1943年8月:
パンツァーファウスト30m実戦配備開始

・1943年8月28日:HM.43, Nr.690
ヘルメット左側面デカール廃止(ヘルメットデカール完全廃止)

・1943年9月:
MP43(MP43/1?)を東部戦線で大規模試験配備開始

・1943年9月8日:
イタリア、連合国に降伏

・1943年10月:
G43生産開始、RPzB54 パンツァーシュレック採用

【1944年】
・1944年:
RPzB54/1 パンツァーシュレック採用

・1944年2月29日:HV 44, Nr.159
革を節約するため革製コート生産中止

・1944年4月6日:
G43をK43、MP43をMP44に改称

・1944年5月1日:
兵科色入り将官襟章採用

・1944年6月6日:
連合軍、ノルマンディー上陸作戦発動、フランス攻撃開始

・1944年8月25日:
ドイツ軍のフランス・パリ防衛軍、連合軍に降伏

・1944年9月:
パンツァーファウスト60m生産開始

・1944年9月25日:HM.44, Nr.603
M44野戦服(統一規格野戦服)採用、連合軍のオランダにおけるマーケット・ガーデン作戦失敗

・1944年10月:
MP44をStG44に改称

・1944年10月10日:MV.44, Nr.578
M44野戦服を海軍と空軍の地上部隊にも採用

・1944年11月:
パンツァーファウスト100m生産開始

・1944年12月16日:
ドイツ軍、ラインの守り作戦発動、ベルギー・アルデンヌ攻撃開始

【1945年】
・1945年初頭:
パンツァーファウスト150m採用

・1945年1月:
携行対戦車武器をパンツァーファウストに統一するためパンツァーシュレック生産中止

・1945年1月1日:WKrV, Nr.23
兵士が個人所有する軍服や装備などを政府が購入する案が可決(?)

・1945年1月25日:
ドイツ軍、ラインの守り作戦失敗

・1945年4月16日:
ソ連軍、ゼーロウ高地攻撃開始

・1945年5月8日:
ドイツ、連合国に降伏、敗戦

・1945年6月5日:
ベルリン宣言によりドイツ政府消滅、分割占領決定  

2014年11月26日

WWIIドイツ陸軍 HBT(夏季)野戦服の複製品に対する疑問


トップ画像とはまったく関係ありませんが、今回はドイツ軍の夏季野戦服、HBT(ヘリンボーン)野戦服とも言われるもの(本記事では以降HBT野戦服で統一)の複製品についてのお話です。

【プロローグ】
ある日、私が利用しているとある掲示板で「ドイツ軍のM36のHBT野戦服の複製品を買った」という内容と野戦服を写した写真が投稿されましたが、その写真を見た際に私は違和感を感じました。
返信で私は「これはM36野戦服ではないのでは?」と質問し、その返信で投稿者は「店ではM36として売っていた」という内容と、購入先を教えてくれました。
そして教えて貰ったお店の商品カタログを見た後に「まさか」と思い、これまで撮影した写真や他の人が撮影した写真を確認しました。










「もしかして、M36 HBT野戦服の複製品はボタンが1つ多い?」










ということで本題に入ります。
「ボタンが1つ多い?」に該当するのは野戦服正面の前合わせ部分です。


【元写真:どこかで拾って私が着色した写真】

ドイツ陸軍の官給野戦服は、採用された時代によってボタンの数が異なります。
上記の写真の野戦服は5つボタンですが、M41野戦服の段階でボタンの数が5つから6つに増えました。
変更された理由は野戦服で使用する生地の品質低下説などがありますが、形状の原型となるM33からM40までは5つボタン、M41からM44までは6つボタンということになります


これは私が所有するM43野戦服の複製品です。
ちなみに武装親衛隊に納品される野戦服は陸軍と異なり、M43まで5つボタンでした。

【参考資料】
・Google検索でヒットするサイト、以下検索先URL(クリックで結果に飛びます)
https://www.google.co.jp/search?q=M36+Feldbluse
https://www.google.co.jp/search?q=M40+Feldbluse
https://www.google.co.jp/search?q=M41+Feldbluse
https://www.google.co.jp/search?q=M41+Feldbluse+Waffen-SS
https://www.google.co.jp/search?q=M42+Feldbluse
https://www.google.co.jp/search?q=M42+Feldbluse+Waffen-SS
https://www.google.co.jp/search?q=M43+Feldbluse
https://www.google.co.jp/search?q=M43+Feldbluse+Waffen-SS
https://www.google.co.jp/search?q=M44+Feldbluse





続きまして、今回のお題となるHBT野戦服の複製品をメーカー別で2種類見てみましょう。


1つ目は冒頭で述べたM36 HBT野戦服の同メーカー製複製品です。
ちなみに、そのメーカーとはS&GRAFのマキシミリアンハペン(以降S&GRAF製で統一)です。


一部見にくいものもありますが、ボタンの数を数えると6つになり、規定より1つ多いです
ただ、ドイツ軍の古参兵や将校の一部では「M40以降の野戦服の襟の生地を変えてM36風に改造する」ということが行われており、またM41の段階ではポケットの外観が大きく変わっていないことも合わさって「6つボタンのM36野戦服のように見えるM41野戦服」という感じになりますので、そういう設定ではコレもアリでしょう。
冒頭プロローグにおける私の問いも、その「M36っぽい改造M41野戦服では?」という内容です。


2つ目は海外製のM36 HBT野戦服の複製品です。
持ち主様いわく「洗ったら凄まじく色落ちしてこうなった」とのことです。


ボタンの数は5つで、S&GRAF製と異なり規定に則った数です




本記事での比較は2つだけですが、調べてみたところ、国内メーカーではさらに少なくともカンプバタリオン!!製もM40ですが6つボタンでした。
海外製に目を向けると、5つボタンと6つボタンの両方が混在していました
そして「HBT野戦服に関する何か重要な規定を見落としているのでは」と思い、色々探してみましたが収穫はありませんでした。

ちなみに作業服の話になりますが、作業服の色が無染色無漂白の生成りからリードグリーンに変更されたのは1940年2月12日付の通達(HV.40B, Nr.128)で、北アフリカ戦線などで使用される熱帯地野戦服が支給されない地域の部隊では主にリードグリーン作業服を夏用野戦服として転用する例もあったそうなので、ポケット増設などの現地改造が施された作業服もありそうですね。

STEINER氏によると、通常のウール野戦服と同じ4つポケットのHBT野戦服が夏用として採用されたのは1941年、その後ウール野戦服の改正に合わせてHBT野戦服も形状が変更されていったそうです。
ウール野戦服のように、襟などを個人改造した作業服もあったのでしょうか?

【参考資料】
STEINER WW.II ドイツ軍 軍装品 武器類(http://steiner.web.fc2.com/) / 陸軍43年型ヘリンボーン野戦服





また、Yahoo!知恵袋にもHBT野戦服に関する質問がありましたのでご紹介します。

【参考資料】
ナチスドイツ軍の軍服について質問です。M36野戦服について調べていたら... - Yahoo!知恵袋(http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1062921125



質問の内容を要約すると「M36野戦服のHBT版は実在するのか?」ですが、ベストアンサーの回答者は作業服の背景から述べて、最後は「実在しない」と答えています。
ですが、日本の場合はウール野戦服を満足に着用できる期間が限られますので、実在しないとしても代用品として重要な複製品だと思うのが個人的な感想です。
ちなみにK氏は今年5月の暑い日にウール野戦服でサバゲに参戦し、数時間後には脱水症状寸前まで陥っていました



ということでそろそろ記事を締めようと思いますが、結局「M36(とM40)のHBT野戦服のボタンの数がメーカーによって違う理由」はわからず仕舞いでした(爆)
しかし、これは今までまったく気がつきませんでしたね…。
私の中では大発見でした(笑)



WWIIドイツ陸軍 HBT(夏季)野戦服の複製品の疑問」はこれで以上です。  

2014年11月23日

日本軍 / WWIIドイツ軍 分間114歩の行進はどれぐらいのペースか考察



今回のお題は「1分間に114歩歩く行進のペースはどれぐらいか」です。
他は置いておいて日本軍とドイツ軍に限定すると、日本軍の通常の行進(歩兵操典で言う「速歩行進」)とドイツ軍の通常の行進は「1分間に114歩」と定められています。

【参考資料】
・SUDOちんの部屋(http://www.warbirds.jp/sudo/) / 歩兵操典 / 第一篇 各個教練 / 第一章 基本 / 第二節 担銃、立銃、行進 / 第20
・Der Erste Zug(http://www.dererstezug.com/) / Articles / Commands, Tactics, Etc... / German School of the Soldier / (Zug, Gruppe, etc...) - MARSCH! (Platoon, Squad, etc..., march)




【Youtube動画:《軍歌》日本陸軍("Nippon Rikugun" - Japanese Army )with Eng/Sub】(YouTube

ちなみに歩幅日本軍で75cm、ドイツ軍で80cmと定められおり、ざっくり計算すると日本軍の行進は1分間で45m、ドイツ軍は48m進むことになります
秒速にすると日本軍は0.75m/秒、ドイツ軍は0.8m/秒のペースです。
50m走の距離…とまではいきませんが、それに近い距離を1分かけて歩くような感じですね。
Google先生によると、日本人の平均歩幅は70~80cmだそうです(Google先生リンク)。

なお、2014年10月現在の50m走世界記録保持者のドノバン・ベイリー氏とモーリス・グリーン氏(5.56秒)は単純計算で45mを5.004秒、48mを5.3376秒で通過します
そして、M8グレイハウンドがティーガーIIを後方から撃破した時の距離は50mの半分、25mと言われています





('A`)






【Youtube動画:wehrmacht hell march】(YouTube

さてさて、1分間に114歩というのはわかりましたが、1分間に114歩というのはどのようなペースなのでしょうか?
60で割り算すると「約0.53秒毎に1歩」になりますが、イメージしにくいですね。
メトロノームがあれば一番手っ取り早いですが…。










しかし、世の中は便利なもので、探してみるとFlashのメトロノームや携帯アプリのメトロノームがあります
これらを活用すればイメージを掴むことができますね!

【参考サイト】
・Flash(フラッシュ)ゲームなど/建井田(http://tateita.com/) / メトロノーム



YouTubeにもいくつかメトロノーム動画がありましたので、その内の1つをご紹介します。


【参考動画:Metronome Clic - 114 BPM - Drums Sound - ternaire】(YouTube



日本軍 / WWIIドイツ軍 分間114歩の行進はどれぐらいのペースか考察」はこれで以上です。