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Posted by ミリタリーブログ at

2015年03月29日

【駄目だ!】イベントレポート in 第11回日本橋ストリートフェスタ


2015年3月21日
大阪市浪速区日本橋
でんでんタウン周辺
第11回日本橋ストリートフェスタ(http://nippombashi.jp/festa/2015/
参加人数:見学合わせて22万人以上





日本橋で毎年行われる一大コスプレイベント「日本橋ストリートフェスタ(通称ストフェス)」に参加してきました。
前回参加したのは第9回ですので、2年ぶりの参加です。

ストフェスはミリタリー系を着込んで参加する場合の規定が厳しく、第9回の時に聞いた話では「現在存在する、または過去に存在した軍隊を象徴するものは総じて装着禁止」ということになっていました。
そのため、当時私が加わったグループでは「国旗などのエンブレム、勲章、階級章などはすべて外し、あくまで架空であることを示す」ことにしていました。

今年のストフェスはそれより規定が緩み、余程ややこしい軍装でなければ基本何でもOKということになったそうなので、現地では様々な軍装の方を見かけました。
艦これコスプレで参加している女性陣を撮影しようとする多くのカメラマンの秩序維持を務める提督な方々もいましたね。
現地で意気投合したコスプレな方々とコラボができるのもストフェスの面白味です。





で、私が何を着込んで参加したのかという話になりますが、チョイスしたのは日本軍です。
規定が緩みましたのでいつも通りの軍装で行く手もありましたが、第10回で計画していたものの参加できなかったためお蔵入りにしたアレを投入することにしました。
そのアレというのがコレです。






「敵の潜水艦を発見!」

「大日本帝国版」というキーワードにピンと来る方なら大概ご存知の、バトルフィールド1942(Battlefield 1942、BF1942)に登場する日本兵です。

【参考資料】
・ニコニコ大百科「大日本帝国版」(http://dic.nicovideo.jp/a/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E7%89%88
・ニコニコ動画 タグ検索ワード「大日本帝国版」(http://www.nicovideo.jp/tag/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E7%89%88
・ニコニコ動画 「【敵の潜水艦を発見】Battlefield 1942 - 日本兵戦闘音声集 【駄目だ】」(http://www.nicovideo.jp/watch/sm5161439






【BF1942の日本兵】

顔の種類は3種類ありますが、最も有名と思われるこの顔にしました。
データ改編でヘルメットを外した状態にしてスクリーンショットを撮影、それを印刷加工してお面にしました。


実際にそれで参加した時の写真です。
兵科は突撃兵にするつもりでしたが、九九式軽機関銃を用意するのは難しかったので、パッチで四式自動小銃に変更される前に工兵が装備していたKar98kにしました。
腰回りもなるべくBF1942に近づけるため似たようなものを用意しましたが、準備不足過ぎてよくわからない状態になりました。
一番悩んだのは、肩紐を使用せずに雑嚢を2つ帯革に吊る方法でしたね(笑)

BF1942の日本兵は襟章と鉄帽の帽章が無く、鉄帽については最初は前後逆に被っていたのですが、頭が痛くなったので正面に戻しました。
また、顎紐もBF1942では存在しませんので再現すると不安定でしたね。
スリング無しでの移動も地味に疲れました(スリング無しもBF1942の再現)。

また、写真には写っていませんが、巻脚絆の巻き方もBF1942風(野戦巻きの十字重ねが2つ版)にしています。



イベント中は終始物凄く混雑しており、撮影したのはこの1枚だけですが、後日「お前が写ってる写真があったぞ!」というタレコミが入り、撮影者様から承諾を得られましたのでご紹介します。


【撮影:ブログ「幻想郷川城重工 黒兎兵工廠 (秋津納)」管理人 - 秋津納様】http://blogs.yahoo.co.jp/tacticalrabbit93

ちなみに撮影の秋津納様は立襟学生服を自前改造した明治十九年制軍衣袴の日本陸軍歩兵で参加されていました(写真左側で背を向けている方も撮影者様と同じ軍装です)。
また、背負っていた毛皮背嚢など、一部装備品も自作とのことでして、それに関する色々なお話を聞きました。
改めまして、ありがとうございます。

襦袢は第1ボタンを外して開襟にした方がよかったでしょうかね。
ちなみに左腕に貼り付けている茶色いテープに書かれた文字は「限られた」です。





で、周りの反応なのですが、「無表情で怖い」という感想が大半でした。


移動の際もこのお面を付けたままでしたので、ぎゅうぎゅうの混雑時にふと私の顔を見た方は声を出して驚いていましたが、よく考えると元ネタを知らなければホラーですね・・・(加えて、基本的に無言でいました)。
あの顔はお面だったのか」という声も少なからずありましたので、条件が揃うと見分けがつかなくなるようです

幸い、元ネタを知方からは「その発想はなかった」と概ね好評で、遥々高知県からストフェス見学にやってきた3人組とは意気投合して定番ネタを一緒に楽しみました。
また、「コミケで同じことをやってる人も見たことない」と言っていましたので、多分私が一番乗りでしょう。
目論みは成功です(自画自賛)


「HEY塩! よくやった!」

今後の課題としましては、装備の再現性と小道具の準備でしょうか。
一応間に合わせてスパナ(キコキコ)医療キット(ショリショリ)を持って行きましたが、使える場面を見い出せずほとんど使わず仕舞いでした。
他のコスプレ参加者を見て思いましたが、台詞や文字を書いた、周りの邪魔にならない程度の看板を用意するのもいいかもしれませんね。
軍衣袴についても、軍衣(上)は戦時制定服(決戦服)の方がBF1942らしいのですが、ボタンの数が違うなど・・・うーん。

ともあれ、来年も参加できるなら、クオリティアップさせていきたいトコロです。



【駄目だ】イベントレポート in 第11回日本橋ストリートフェスタ」はこれで以上です。  

Posted by Y.A.S. at 19:42Comments(1)その他レポート

2015年03月19日

1/6 フィギュアで見る第二次世界大戦における小銃の持ち方考察


今回のお題は、小銃の持ち方についてです。
ここ数年でサバゲにおいてもCQB(Close Quarters Battle、近接戦闘)というのが流行り、CQB的な銃の構え方や動きなどを解説する書籍やサイトも数多くありますが、私は無関心とまでは行きませんが、日頃のサバゲやイベントではあまり重要視していません。


日本兵装備やドイツ兵装備でそのような持ち方や動きをすると「これじゃない感」が物凄いことになります
ですが、「閉所フィールドで三八式歩兵銃を持ってCQBをキビキビ行い相手を倒す日本兵」というのもサバゲ的にはある意味カッコイイと思っていますので、CQBについて学ぶ研修会には時折顔を出しています。
撃つより銃剣で刺した方が早いのでは?」と冗談で突っ込まれたこともありますね(笑)
私のサバゲ経歴をご存知の方なら、某フィールドの伝説(?)を思い起こされる方もいらっしゃることでしょう。

【参考資料】
・Wikipedia記事:CQB(http://ja.wikipedia.org/wiki/CQB
・CQB近接戦闘マニュアル(http://www.cqb.jp/manual/



この記事のタイトルは「1/6 フィギュアで見る第二次世界大戦における小銃の持ち方考察」という大層なものになっていますが、実際の記事内容は非常に限定的かつ独自解釈です
極端に言うと「ドコ軍に関係なく、WWIIイベントでこの持ち方を何気なく行うと一層見栄えがアップすると思います!」という内容でして、これは2014年12月に行われた独ソ戦イベント「ざ・オストフロント」の状況開始前に参加者の共通認識として教えて貰ったコトが基です。


【YouTube動画:The Ost Front(ww2event) Trailer】YouTube

そんでもって、「1/6 フィギュア」とある通り、ソレで再現した持ち方を再現写真として使用します。
元々自分撮りで計画していましたが、セッティングがメンドクサクなったので変更しました(爆)


こちらが使用する1/6 フィギュア、ドイツ陸軍歩兵上等兵(ドラゴン製カスタム)です。
それでは、例によって例のごとく前置きが長くなりましたので、本題に入りましょう。










【以下、管理人の独自解釈がガンガン投入されます】











まずは、サバゲにおいても全員この持ち方で写っている集合写真が大量にあるほど浸透している「ツー・ハンド・キャリー(Two Hand Carry)」と呼ばれる持ち方の、銃口を下に向けるバージョンです。
現在の軍隊の写真や映像、映画やゲームでも非常によく見るこの「水平より下に向ける」持ち方ですが、軍隊における小銃の構え方の歴史を見ると、この持ち方が普及し始めたのは2015年から数えてもそう古くないものであり、再現装備をしている場合、その時代によっては「不自然な持ち方」になってしまい、「この持ち方が原因で再現の質が落ちる」ということもあります。
具体的にどの時代からなのかは統計が取れていないので何とも言えませんが、アメリカ軍においては少なくともベトナム戦争(1960年~1975年)辺りから徐々に見られるようになっていると思います。
そして、第二次世界大戦においては訓練された兵なら通常「不自然」に該当する持ち方となります。


【元写真:海外フォーラムから拝借した写真 - 1944年 マーケット・ガーデン作戦中におけるドイツ兵】

ですが、当時の写真や映像を見るとこの持ち方が確認できるものもあり、この写真では左端で伏せている兵の右隣にいる兵が銃口を下にして持っています。
ただ、これらを根拠に「全体的にも自然な持ち方」とは言い切れません
この兵士の場合は、木を寄りかかって盾にしながら右側より前方を覗いており、同じ体勢を再現してみるとこちらの方が素早く構えやすいことから自然とそうなったものと思われます。
このように、状況をイメージするとそちらの方が合理的(かもしれない)というのも出てきますので、何でもかんでも決めつけるのは実際のトコロ難しいです。


不自然じゃない持ち方は何なのか」という答えの一つが「銃口を上にするツー・ハンド・キャリー」です。
本来ツー・ハンド・キャリーは銃口を上にして持つものでしたが、時代の移り変わりと共に現れた前述の「銃口を下に向ける」バージョンもツー・ハンド・キャリーに加えられるようになりました。
「銃口を水平より上に向けて小銃を持つ」というのは、「小銃」というジャンルが生まれて各国軍が採用した頃からある伝統的な持ち方です
これは個人的なイメージですが、



・銃が長いので下に向けると地面にぶつけ、銃口に土が詰まったり変形したりする恐れがある
・そのため、斜め下で持つのにも限度があり、また主流であった密集戦術では周りの邪魔になる
・加えて、着剣すると全長がさらに長くなり、危険もある(斜め上に持つ場合は相手にぶつからない高さに上げれた安全)
・担え銃をする際、斜め下に持っていると動作が遅くなる
・刺突体勢で銃剣突撃する際、銃口を斜め上に向けていれば味方が目の前に現れてもさらに上に向ければ危険を回避でき、敵の場合は下げればすぐ刺突できる
・銃剣をとっさに振りかぶる際、下から上に振り上げる(加えて振り上げた銃剣を振り下げる)より上から下に振り下げる方が素早い(首など急所を狙いやすい)
・ストック(銃床)で相手を殴る際、素早く振りかぶりやすい



などといった運用面から来ているのでは、と思っています。


【YouTube動画:Coldstream Guards 1815 bayonet charge】YouTube

この動画は1815年のイギリス陸軍コールドストリームガーズ連隊戦列歩兵を再現したものですが、何故ロー・レディが不便なのかは大体わかると思います。
当時の兵士や戦闘を描いた古い絵画でも、銃口を下にして持つ姿は、あったとしても極めて少ないでしょう。


【元写真:海外フォーラムから拝借した写真 - 1916年 ソンムの戦いにおいて着剣状態で前進するイギリス兵】


【YouTube動画:Lost Battalion WWI movie DVD extended trailer】YouTube

約100年経過し、歩兵運用が密集戦術から散開戦術に移り変わり、また小銃もボルトアクションライフルが主流となった第一次世界大戦でも銃口を上にして持つ伝統は続いています。
戦時中の話でお世話になった元日本陸軍歩兵上等兵のベテランに三八式歩兵銃のトイガンを渡して扱い方の実演をお願いした際も、銃口を下にして持つことは一度もありませんでした。
ただ、歴史的にはそうだとしてもサバゲなどでは安全管理上銃口を上にして持つのは危ないという場面もあるため(実銃でもそうでしょうけども)、使う使わないはケースバイケースとなるでしょうけども、記事冒頭で述べたように再現性も重視するイベントなどでは意識しておくとポイントが高くなります。


次は片手で持つ際の持ち方の一つです。
これは「トレイル・キャリー(Trail Carry)」と呼ばれる持ち方で、銃を持つ側の腕は伸ばした状態にします。
この持ち方がいつ頃軍に現れたのかはわかりませんが、正しいフォームでしっかり腕を振ると早く走れるという話がありますので、平たく言うと小銃を持った状態でそれを実現する持ち方です。
また、小銃をバランスよく持つと負担が軽減するという効果もあります(画像の傾きを実際に再現するとバランスが悪いです。フィギュアの手の形状の関係でああなっています・・・)。
現在においても、そのためのキャリングハンドルがついた銃もありますね。


【YouTube動画:Recently Discovered Color WW2 Combat Footage[HD]】YouTube

アメリカ兵、イギリス兵、ソ連兵、ドイツ兵、日本兵の戦闘シーンが映っていますが、概ね共通した持ち方をしています。


【元写真:海外フォーラムから拝借した写真 - 1941年 南方戦線で前進する日本兵】


【元写真:海外フォーラムから拝借した写真 - 1943年 タラワ島で戦うアメリカ兵】


【元写真:海外フォーラムから拝借した写真 - 第二次世界大戦において突撃するソ連兵】


【YouTube動画:Recently Discovered Color WW2 Combat Footage[HD]】YouTube

M16を使用している兵士はキャリングハンドルを持っている場面が多いですね。
完全に引き金から手が離れているため射撃体勢への即応性は落ちますが、サバゲでも有効な持ち方です(強度が低いものでやると壊れる可能性がありますので自己責任でお願いします)。


最後にご紹介するのは、別の片手持ち、エルボー・キャリー(Elbow Carry)です。
ストックを脇に挟みながら片手で銃を支えてるというものです。
この持ち方は、どちらかと言うと、非戦闘時や記念写真などで見かける方が多いです。


【元写真:海外フォーラムから拝借した写真 - 1944年、投降したドイツ兵を監視するアメリカ兵】


【英語版Wikipedia:Vietnam War - ベトナム戦争に従軍するオーストラリア兵】




という感じでまとめてみましたが、いかがでしたでしょうか?
トレイル・キャリーは前々から知っていましたが、ロー・レディ云々についてはほとんど気に掛けていませんでした。
そして見慣れた当時の映像や写真を片っ端から見直し、改めて納得しました。
些細なことと思われる方もいらっしゃるでしょうけども、その些細なことにも気を掛けるのも、再現というジャンルでは重要なものだと私は思っています。
それを積極的に実施できているのか、と言われると返答に困りますが・・・

1/6 フィギュアで見る第二次世界大戦における小銃の持ち方考察」についてはこれで以上です。  

2015年03月17日

【続】サバゲでも使用できる簡易ドイツ語集 その2


今年最後の記事は、サバゲでとっさに叫ぶと高確率で周りから「おまえは何を言っているんだ」と思われる簡単なドイツ語集の第2弾です。



【関連リンク】
・サバゲでも使用できる簡易ドイツ語集 & 年末のご挨拶(http://uag.militaryblog.jp/e595986.html



2014年最後の記事の内容に詰まり、苦し紛れで書いた前回のドイツ語集ですが、今回はドイツ語アルファベットや数字などに焦点を当ててみました。
前作も含めて使用すれば、一層「おまえは何を言っているんだ」と思われること間違いなしです!

カタカナ発音は「それっぽい感じでカタカナにしたもの」ですので、そのまま言うと通じない場合があります
詳しくは専門書か専門サイトをご覧ください(丸投げ)。



【ドイツ語学習参考資料】
・STEINER WW.II ドイツ軍 軍装品 武器類(http://steiner.web.fc2.com/) / 雑記帳 ・ Essay & Military terms / ドイツ語のすすめ
・広島大学VUオンライン・ドイツ語講座(http://vu.flare.hiroshima-u.ac.jp/german/
・ドイツ語発音・聴き取りクリニック(http://web.econ.keio.ac.jp/staff/sakai/hu/hajime.htm
・言語学習ゲーム - Digital Dialects(http://www.digitaldialects.com/nihongo.htm
・Google翻訳(https://translate.google.co.jp/) ※発音確認ができます




【目次】
アルファベット発音
数字
WWIIドイツ軍フォネティックコード
ドイツ語セリフ例





< アルファベット発音 >

【YouTube動画 - Ecomドイツ語ネット発音講座(基礎):アルファベット】YouTube

A...アー
Ä...エー
B...ベー
C...ツェー
D...デー
E...エー
F...エフ
G...ゲー
H...ハー
I...イー
J...ヨット
K...カー
L...エル
M...エム
N...エンヌ
O...オー
Ö...エー
P...ぺー
Q...クー
R...エグ
S...エス
T...テー
U...ウー
Ü...ユー
V...ファオ
W...ヴェー
X...イクス
Y...ユプスィロン
Z...ツェット
ß...エスツェット



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< ドイツ語数字 >

【YouTube動画 - Ecomドイツ語ネット:ドイツ語数字の読み方(1-10)】YouTube

【レベル1】
まずは1から12です。
ドイツ語の2は本来「Zwei(ツヴァイ)」ですが、3「Drei(ドライ)」との聞き間違いを避けるため「Zwo(ツヴォー)」と言い換えられています。
日本語で例えると0を「マル」、1を「ヒト」、2を「フタ」などと言い換える感じです。

0...Null(ヌル)
1...Eins(アインス)
2...Zwo(ツヴォー)
3...Drei(ドライ)
4...Vier(フィーア)
5...Fünf(フュンフ)
6...Sechs(ゼックス)
7...Sieben(ズィーベン)
8...Acht(アハト)
9...Neun(ノイン)
10...Zehn(ツェーン)
11...Elf(エルフ)
12...Zwölf(ツヴェルフ)

【レベル2】
ここからは数字の組み合わせになります。
とりあえず20まで行ってみましょう。

13...Dreizehn(ドライツェーン)
14...Vierzehn(フィアツェーン)
15...Fünfzehn(フュンフツェーン)
16...Sechzehn(ゼヒツェーン)
17...Siebzehn(ズィーブツェーン)
18...Achtzehn(アハツェーン)
19...Neunzehn(ノインツェーン)
20...Zwanzig(ツヴァンツィヒ)

13から19は最後に「ツェーン」と入っていることで共通していますね。
これは、日本語に直すと「3と10」、「4と10」、「5と10」という感じになります。
これは漢数字に置き換えるとイメージしやすいと思います(「十三、十四、十五・・・)。
20は「Zwanzig(ツヴァング)」と表記していますが、ドイツ軍ではこれを「Zwonzig(ツヴォング)」と言ったりするのでしょうかね?
この記事を投稿した段階ではわかりませんでしたので、一部表記のみツヴォーにしています

【レベル3】
次は21から30まで行きましょう。

21...Einundzwanzig(アインウントツヴァンツィヒ)
22...Zwoundzwanzig(ツヴォーウントツヴァンツィヒ)
23...Dreiundzwanzig(ドライウントツヴァンツィヒ)
24...Vierundzwanzig(フィーアウントツヴァンツィヒ)
25...Fünfundzwanzig(フュンフウントツヴァンツィヒ)
26...Sechsundzwanzig(ゼックスウントツヴァンツィヒ)
27...Siebenundzwanzig(ズィーベンウントツヴァンツィヒ)
28...Achtundzwanzig(アハトウントツヴァンツィヒ)
29...Neunundzwanzig(ノインウントツヴァンツィヒ)
30...Dreißig(ドライスィヒ)

長ったらしい単語になりますが、青色の部分は共通しています。
また、この長ったらしい単語は分解すると、例えば21は「Ein und zwanzig」になります。
ドイツ語における長ったらしい単語は、いくつかの単語を繋げて1つにしている場合があります。
そして、Ein und zwanzigを日本語訳すると「1と20」になり、パート2で述べた数え方の法則と一致します。
以降、「2と20」「3と20」という感じで続いていきます。

【レベル4】
10単位で数えて100まで行ってみましょう。

40...Vierzig(フィアツィヒ)
50...Fünfzig(フュンツィヒ)
60...Sechzig(ゼヒツィヒ)
70...Siebzig(ズィーブツィヒ)
80...Achtzig(アハツィヒ)
90...Neunzig(ノインツィヒ)
100...Hundert(フンデルト)

【レベル5】
100まで来ましたが、これ以降も数え方の法則は当てはまります。
1,000まで行ってみましょう。
わかりやすいようにハイフンを入れて区切っています。

101...Hundert-eins
102...Hundert-zwo
103...Hundert-drei
110...Hundert-zehn
111...Hundert-elf
112...Hundert-zwölf
113...Hundert-dreizehn
120...Hundert-tzwanzig
121...Hundert-ein-und-zwanzig
122...Hundert-zwo-und-zwanzig
123...Hundert-drei-und-zwanzig
200...Zwo-hundert
345...Drei-hundert-fünf-und-vierzig
1,000...Tausend(タウゼント)

345は「300と5と40」という感じですね。

【レベル6】
1000兆まで行ってみましょう。

10,000...Zehn-tausend ※1万
100,000...Hundert-tausend ※10万
1,000,000...Eine Million(アイネ・ミリオン) ※100万
10,000,000...Zehn Millionen(ツェーン・ミリオーネン) ※1000万
100,000,000...Hundert Millionen ※1億
1,000,000,000...Eine Milliarde(アイネ・ミリアルデ) ※10億
10,000,000,000...Zehn Milliarden(ツェーン・ミリアルデン) ※100億
100,000,000,000...Hundert Milliarden ※1000億
1,000,000,000,000...Eine Billion(アイネ・ビリオン) ※1兆
10,000,000,000,000...Zehn Billionen(ツェーン・ビリオーネン) ※10兆
100,000,000,000,000...Hundert Billionen ※100兆
1,000,000,000,000,000...Tausend Billionen ※1000兆

例えば「9876兆543 2億1098万7654」を表す場合は以下の通りになります


Neun-tausend-acht-hundert-sechs-und-siebzig Billionen fünf-hundert-drei-und-vierzig Milliarden zwo-hundert-zehn Millionen neun-hundert-sieben-und-achtzig-tausend-sechs-hundert-vier-und-fünfzig
(ノイン・タウゼント・アハト・フンデルト・ゼクス・ウント・ズィーブツィヒ・ビリオーネン・フュンフ・フンデルト・ドライ・ウント・フィアツィヒ・ミリアルデン・ツヴォー・フンデルト・ツェーン・ミリオーネン・ノイン・フンデルト・ズィーベン・ウント・アハツィヒ・タウゼント・ゼックス・フンデルト・フィーア・ウント・フィンツィヒ)



ハイフンを外すと・・・



Neuntausendachthundertsechsundsiebzig Billionen fünfhundertdreiundvierzig Milliarden zwohundertzehn Millionen neunhundertsiebenundachtzigtausendsechshundertvierundfünfzig
(ノインタウゼントアハトフンデルトゼクスウントズィーブツィヒ・ビリオーネン・フュンフフンデルトドライウントフィアツィヒ・ミリアルデン・ツヴォーフンデルトツェーン・ミリオーネン・ノインフンデルトズィーベンウントアハツィヒ・タウゼント・ゼックスフンデルトフィーアウントフィンツィヒ)



【動画資料】
・YouTube動画:Ecomドイツ語ネット:ドイツ語数字の読み方(1-10)(https://www.youtube.com/watch?v=PwTC3j5CRLM
・YouTube動画:Ecomドイツ語ネット:ドイツ語数字の読み方(10-20) (https://www.youtube.com/watch?v=Q-nGBBxkITk
・YouTube動画:Ecomドイツ語ネット:ドイツ語数字の読み方(0-100) (https://www.youtube.com/watch?v=9qKOtBmHOVM
・YouTube動画:Ecomドイツ語ネット:ドイツ語数字の読み方(1-1,000,000) (https://www.youtube.com/watch?v=VQgNB0vuHZU



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< WWIIドイツ軍フォネティックコード >
現在で言うトコロのNATOフォネティックコード(各アルファベットの頭文字を使用してそれぞれ単語を作り、コールサインやアルファベット単体を正確に伝える際などに使用。後者については、自分の名前の漢字を口頭で伝える際に「田中の田は『田んぼ』の『田』です」と言う感じでしょうか)は第二次世界大戦においても使用されていますが、現在のドイツ連邦軍が使用しているコードとドイツ国防軍及び武装親衛隊その他組織が使用したコードは異なっています。
マニュアル上では陸軍と空軍が共通コードで、海軍が一部別コードとなっています(武装親衛隊はわかりませんでした・・・)。
ドイツ空軍機のプラモデルなどを作っている方は、パッケージで「Bf109A アントン」や「Ju87D ドーラ」という表記を見たことも(多分)あることでしょう。

(参考資料)
・Wikipedia「 NATOフォネティックコード」(http://ja.wikipedia.org/wiki/NATO%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%8D%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89
・Google検索「Wehrmacht Phonetic Alphabet」(https://www.google.co.jp/search?q=Wehrmacht+Phonetic+Alphabet)

【陸軍・空軍】
A...Anton(アントン)
Ä...Ärger(エーガー)
B...Bertha(ベルタ)
C...Cäsar(ツェーザー)
Ch...Charlotte(シャルロッテ)
D...Dora(ドーラ)
E...Emil(エミール)
F...Friedrich(フリードリヒ)
G...Gustav(グスタフ)
H...Heinrich(ハインリヒ)
I...Ida(イーダ)
J...Julius(ユリウス)
K...Konrad(コンラード)
L...Ludwig(ルートヴィヒ)
M...Martha(マーサ)
N...Nordpol(ノートポール)
O...Otto(オットー)
Ö...Ödipus(オイディプス)
P...Paula(パウラ)
Q...Quelle(クヴェレ)
R...Richard(リヒャルト)
S...Siegfried(ジークフリート)
T...Theodor(テオドーア)
U...Ulrich(ウルリヒ)
Ü...Übel(ユーベル)
V...Viktor(ヴィクトール)
W...Wilhelm(ヴィルヘルム)
X...Xanthippe(クサンティペ)
Y...Ypsilon(イプシロン)
Z...Zeppelin(ツェペリーン)

【海軍】
A...Anton(アントン)
Ä...Ärger(エーガー)
B...Bruno(ブルノ)
C...China(チーナ)
Ch...Charlotte(シャルロッテ)
D...Dora(ドーラ)
E...Emil(エミール)
F...Fritz(フリッツ)
G...Gustav(グスタフ)
H...Hans(ハンス)
I...Ida(イーダ)
J...Jota(ヨータ)
K...Karl(カール)
L...Lucie(ルーツィエ)
M...Max(マックス)
N...Nanni(ナニー)
O...Otto(オットー)
Ö...Öse(エーゼ)
P...Paula(パウラ)
Q...Quatsch(クヴァッチ)
R...Richard(リヒャルト)
S...Sophie(ソフィー)
T...Toni(トニ)
U...Ulrich(ウルリヒ)
Ü...Übel(ユーベル)
V...Viktor(ヴィクトール)
W...Wilhelm(ヴィルヘルム)
X...Xanthippe(クサンティペ)
Y...Ysop(イソップ)
Z...Zeppelin(ツェペリーン)



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< ドイツ語セリフ例 >


【MG】
発音:エムゲー
意味:機関銃
解説:エムジーのドイツ語読みです。MPならエムペー、StGならエステーゲーです。
改変例文:MG-Schütze! Feuer frei!(MG兵! 自由に撃て!)

【Richtung 12 Uhr】
発音:リヒトゥンク・ツヴェルフ・ウーア
意味:12時方向
解説:前回も掲載しましたが、「~~~時方向に敵!」のアレです。
改変例文:Feindliche Truppen! Richtung 9 Uhr!(敵部隊だ! 9時方向!)

【Koordinate A-2】
発音:コオーディナーテ・アントン・ツヴォー
意味:座標A-2
解説:簡単な座標指定です。
改変例文1:Feindliche Truppen gesichtet, Koordinate L-7.(敵部隊を発見、座標ルートヴィヒ7)
改変例文2:Fordern Artillerieunterstützung, Koordinate J-5, Drei Schüsse, Kommen.(砲撃要請、座標ユリウス5、3発射撃、送れ)

【Das erste und das letzte Wort aus eurem dreckigen Maul wird "Herr Kommandeur" sein】
発音:ダス・エルステ・ウント・ダス・レッツテ・ヴォルト・アウス・オイレン・ドレッキゲン・マウル・ヴィルト "ヘア・コマンデュール" ザイン
意味:口でクソたれる前と後に "ヘル・コマンダール" と言え
解説:じっくりかわいがってやる! 泣いたり笑ったり出来なくしてやる!
例文:Das letzte Wort aus eurem dreckigen Maul wird "Herr Kommandeur" sein! Habt ihr Maden das verstanden! (口でクソたれる前と後に "ヘル・コマンダール" と言え! 分かったか、ウジ虫ども!)



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2015年03月16日

WWIIドイツ陸軍 野戦服の外観変革・見分け方 1933年~1945年


今回はドイツ陸軍の野戦服、特に国防軍時代の変革についてです。
ドイツ軍の野戦服と言えばM36野戦服」と思われる方も多いと思いますが、第二次世界大戦で馴染み深い野戦服の原型は、ヴァイマール共和国軍時代(Reichswehr、ライヒスヴェーア)の1933年に採用されたM33野戦服です。
M33野戦服の採用以降、毎年改良を重ね、3年後の1936年にM36野戦服が完成しました。

以降、ドイツの敗戦の1945年まで様々な野戦服が次々と現れますが、私が知る限りの種類を時系列に並べてみました。
実物か複製品の写真を用意したいところでしたが、用意できるのが複製品2着という有様ですので、特徴をサクッと捉えた手抜きな簡潔なイラストを添えて並べていきます。
イラストは襟章や肩章などをすべて外した状態で描いています。
掲載しているのは基本的に陸軍の野戦服のみです。

なお、Feldbulse(フェルドブルーゼ)のナンバーはコレクターが付けた名称(及び私が勝手に付けた名称)で、ドイツ軍内では識別せずにフェルドブルーゼと呼んでいましたので、戦後識別するため変更通達が出た年号を足して呼ばれるようになりました。





【M33野戦服 / M33 Feldbluse】

採用年月日:1933年4月1日
採用通達:Reichswehrminister Az. 64 t 10V3 (Vlb) No. 31.33 ※5月4日通達
Google検索:German M33 Tunic

「第二次世界大戦のドイツ軍の野戦服」の原型となるのがこのM33野戦服です。
襟の色が同色ですので、撮影時期不明の写真ですと後に採用されるM34やM40との見分けが難しいですが、この頃はまだ内装サスペンダー(ベルトフックを取り付けるために使用する、野戦服の裏に取り付けるサスペンダー)が採用されおらず、ベルトフックを通す穴がありませんので、コレが見分けるポイントです(ベルトで隠れていたらどうしようもないですが・・・)

【1928年頃の野戦服】

Google検索:Reichswehr 1928

「M33より前の野戦服はどうだったのか?」という疑問の答え用に、1928年頃の野戦服のイメージです。
8つボタンで、ポケットの雨蓋が将校用を思い起こさせる形状になっています。

【M15野戦服 / M15 Feldbluse】

採用年月日:1915年
Google検索:German M15 Tunic

さらに遡って、ドイツ帝国時代で第一次世界大戦中の1915年に採用されたM15野戦服です。
少しでも目立たないようにするためか、前合わせのボタンは隠しボタンになっており、全体的にシンプルです。
この頃から既にドイツ軍名物(?)の色違い襟が採用されています。

【M10野戦服 / M10 Feldbluse】

採用年月日:1910年
Google検索:German M1910 Tunic

第一次世界大戦勃発の4年前、1910年に採用された野戦服です。
戦時採用の野戦服と比較すると、別色の線が入っていたり飾りボタンがあったりなど、華やかさがあります。

どんどん時代が古くなってきていますので、そろそろM33野戦服以降のものを見ていきましょう。

【M34野戦服 / M34 Feldbluse】

採用年月日:1934年11月1日
採用通達:HM.34, Nr.83
Google検索:German M34 Tunic

M33野戦服の項で述べた内装サスペンダーが採用されたことで野戦服もそれに合わせて更新することとなり、M33野戦服にベルトフックの穴を加えたM34野戦服が採用されます。
ベルトフックの穴は縦3列1組で構成され、野戦服前面と背面に2組ずつあります。


背面はこんな感じです。
これによりますますM40野戦服との見分けが大変になりました・・・(苦笑)

【M34野戦服 改正型 / M34 Feldbluse】

採用年月日:1934年12月10日
採用通達:HM.34, Nr.136
Google検索:German M34 Tunic

M34野戦服の採用から1ヶ月後、襟の色が変更されました。
再び登場ですね!

【M35野戦服 / M35 Feldbluse】

採用年月日:1935年9月10日
採用通達:HV.35, Nr.505
Google検索:German M35 Tunic

M35野戦服は襟の色が濃くなり(ダークグリーン)、後のM36野戦服のような姿になります・・・と言うより、細かいトコロを除けばM36野戦服とソックリです。
ちなみに1934年時点で既に同型の試作品が使用されていたそうです。

【M36野戦服 / M36 Feldbluse】

採用年月日:1936年12月15日
採用通達:HV.36, Nr.1245
Google検索:German M36 Tunic

M35野戦服の内装を改良したのが皆大好きM36野戦服です。
この段階で、複製品などでも見受けられるお馴染みの構造となります。

【M40野戦服 / M40 Feldbluse】

採用年月日:1940年5月
採用通達:不明
Google検索:German M40 Tunic

M36野戦服で完成の域に到着していたのか、4年ぶりの改正です。
パッと見た感じは、襟が同色になったM36野戦服です。
1940年頃から野戦で目立つ(=敵に視認されやすくなる)部分の改正が増え、国家鷲章や襟章などが目立たない色に変更されていきます。
また、1939年に戦争が始まり野戦服の需要も高まっていますので、生産効率化などもあって襟色が統一されたと思われます。
M33~M34野戦服の頃に戻った感じもありますね。

【M41野戦服 / M41 Feldbluse】

採用年月日:1941年5月26日
採用通達:HM.41, Nr.558
Google検索:German M41 Tunic

パッと見た感じは、ボタンの数が6つになったM40野戦服です。
ボタンの数が6つになった理由は、生地で使用するウールの不足を補うためレーヨンなどの混合率を上げたことによる強度面の低下とも言われています(他にも保温機能などが低下)。
また、品質低下に起因する野戦服の色の変化もこの頃から徐々に始まります。


なお、武装親衛隊に支給されるM41野戦服はボタンの数が5つのままで、ベルトフックの穴は縦3列から縦2列になります。
これはM43野戦服まで続き、陸軍と武装親衛隊は別々の野戦服になります。
この仕様違いは、この頃に武装親衛隊が野戦服の自力生産体制を整えて陸軍に頼らなくなったことが関係しているかもしれませんが、複製品を購入する際はボタンとベルトフックの数にご注意ください(襟章を付け替えて変更する際も含め)。

【M42野戦服 / M42 Feldbluse】

採用年月日:1942年秋(推定9月~11月頃)
採用通達:不明
Google検索:German M42 Tunic

M41野戦服まではM33野戦服からの外観を保っていましたが、M42野戦服でついに省略が始まります。
最も目立つ部分では、ポケットのプリーツ(画像で言うところの縦線、スカートのフリルのようなアレ)が省略され、平面なものになりました。
また、M34野戦服から使用されてきた内装サスペンダーの装着部分も省略され、ベルトフックの穴付近に縫い付けられた布が内装サスペンダーの代わりとなりました。
ウール不足もどんどん深刻になり、生産工場によっては茶色になってきている野戦服も現れます。
この野戦服のデザインを踏襲し生地をHBT(Herring bone Twill、ヘリンボーンツイル、杉綾織りと呼ばれるもので作られた生地)にした夏季野戦服も登場します。

【M43野戦服 / M43 Feldbluse】

採用年月日:1943年4月1日(推定)
採用通達:HM.43, Nr.364(推定)
Google検索:German M43 Tunic

ポケットはさらに省略が進み、雨蓋の曲線がなくなり一直線になりました。
M42と同じく、デザインを踏襲し生地をHBTにした夏季野戦服もあります。

【M44野戦服 / M44 Feldbluse】

採用年月日:1944年9月25日
採用通達:HM.44, Nr.603
Google検索:German M44 Tunic

連合軍のマーケット・ガーデン作戦失敗が確定した日に採用された野戦服です。
この野戦服は陸軍・空軍・武装親衛隊の野戦服を共通化させて生産効率を上げるために登場したもので、これに先立って同年6月11日に略帽の統一品として「M43規格帽」が採用されています。
統一規格野戦服とも呼ばれるものですが、生産効率化による省略は最高潮に達しており、腰ポケットがあった部分は周辺の生地ごと省略され丈が短くなりました。
また、開襟着用を前提としているため襟ホックを省略、ベルトフックの穴も省略されました。

【M45野戦服 / M45 Feldbluse】

採用年月日:1945年
採用通達:不明
Google検索:German M45 Tunic

生産効率化の極みに達したM44野戦服ですが、それでも足りない分を補うため、1940年に廃止し回収した官給礼服の在庫品を野戦服に改造しました。
礼服ですので生地の品質は高いでしょうけども、戦局はドイツ本土も非常に危ない最悪状態です。
礼服改造野戦服はバリエーションがあり、画像のように不必要なものを省いたものもあれば、飾りボタンなどがついたままのものもあります。

【熱帯地野戦服】

採用年月日:1940年~1941年
採用通達:不明
Google検索:German Africa Tunic

北アフリカ戦線に派遣されるドイツアフリカ軍団向けに支給された、日本軍で言うところの防暑衣で、素材はコットンです。
極初期に派遣された部隊の中には通常のウール服を着ている例(うろ覚えでは戦車兵?)もあったらしいですが、日中は物凄く辛かったことでしょう・・・。
ベルトフックの穴は省略されています。
新品の状態ではイラストのような濃い目の黄緑色、OD色ですが、使用と選択を繰り返して使い込んでいく内にどんどん色落ちしていったそうで、中には故意に脱色させて「自分は長く戦っている」とアピールする人もいたそうです。
後に北アフリカ戦線以外のでも使用されます。
デザインにはバリエーションがあるようです。

【野戦服の改造例】

下士官や将校は、官給品の野戦服を購入して自分好みに改造することがありました。
最も人気だった改造例は襟色をM36野戦服のようなダークグリーンにすることです。
M41以降の野戦服で襟の色が違う写真があれば、それは改造品と見て間違いないと思います(M40野戦服の改造品は改造跡が確認できないと判別が難しいと思います)。
この改造はM44野戦服でも見られます。

Google検索:ドイツ軍 野戦服 襟 改造


次の例は腰ポケットの位置を上に上げる改造です。
イラストはM41野戦服の改造例として、左半分を改造状態、右半分を通常状態にしています。

これら以外にも、国家鷲章を将校用にした下士官野戦服や省略されたポケットのプリーツを復活させたものなど、様々な改造例があります。

【非制式迷彩野戦服】

ツェルトバーンなどを素材にして現地で作られたり、オーダーメイドで作られたりした非制式の迷彩服です。
他国の迷彩生地を手に入れて作られることもありました。
画像はスプリンター迷彩の生地で作った迷彩服をイメージしています。
なお、イラストの迷彩は所持品のツェルトバーンを撮影して貼り付けましたので、枠以外は写真そのままです(描くの無理です・・・)

【鹵獲品改造野戦服】


ドイツ軍は鹵獲した敵軍の野戦服を改造して支給することもありました。
イラストはオランダ陸軍野戦服での例で(オランダは1940年5月に降伏)、立襟を折襟に改造し、胸ポケットにボタンを追加しています。
さらに腰ポケットを追加するなど、バリエーションはいくつかあります。

Google検索:German Dutch Tunic WW2





ここまで閲覧された読者の皆様、お疲れ様です!
こういうのを書くと大概長くなりますね・・・。
M40野戦服以降は毎年変更が重ねられていますので、キャプション不明の写真や映像でも、写っているドイツ兵の野戦服を見れば少なくとも「何年以降の写真」というのは大よそ割り出すことができると思います。

WWIIドイツ陸軍 野戦服の外観変革・見分け方 1933年~1945年」はこれで以上です。  

2015年03月11日

WWIIドイツ軍 海外製 複製 / レプリカ - ガスシートケース


今回はドイツ軍が毒ガス攻撃対策で導入していたガスシート(ガスケープ)を入れるケースの複製品をご紹介します。


【元写真:海外フォーラムから拾ってきた写真:第13SS武装山岳師団「ハンジャール」(クロアチア第1)】

正面についていたり、


【元写真:海外フォーラムから拾ってきた写真】

ガスマスクコンテナに縛着されていたりする、アレです。


こちらが複製品です。
ガスシートケースは時期によってバリエーションがありますが、この複製品は初期のゴム引き布バージョンがモデルとなっています。
サイズは約220 x 165mm で、初期型に見られるサイズで再現されています(後のバージョンはこれより大きくなります)。
中に入れるガスシートはまだ所有していませんので、気泡緩衝材を入れています。


裏側です。
ガスマスクコンテナのストラップを通すループが2つあります。
ループの部分もゴム引き布になっていますが、私が見た資料が悪かったかもしれませんが、ループがゴム引きになっている実物写真は見当たりませんでした(普通の布)
実際のトコロはどうだったのでしょうかね?


フタの拡大です。
2つのスナップボタンはフィールドグレーで塗装されています。


裏返してみました。
内側はゴム引き加工されていませんね。


反対側です。
ループの部分にはゴム引き布での当て布がついています。


ゴム引き側の生地の拡大です。
この複製品は新品で購入したのですが、ゴム引き布の部分はまばらな色になっており、ウェザリングが入っているかのような感じです
ロットの関係なのかはわかりません。


裏側です。
ゴム引き布バージョンはコットン生地で作っていたそうですが、コレってコットンなのでしょうか・・・?


実物を触ったことがないので何とも言えませんが、この複製品の生地は厚さが約0.5mmと、かなり薄いです
ループの厚さも変わらず、一応折り返してはいるものの強度に不安があり、擦り切れそうな感じです。

装着方法については既に別記事で扱っていますので詳細は省きますが、制式なものでは以下の3種類があります。


一番最初に制定された装着方法です。


1940年3月18日に改正された装着方法です(1940年式装着方法)。
胸元に置くのは変わりませんが、ループへの巻き付けが増えました。


1942年12月11日に改正された装着方法です(1942年式装着方法)。
装着位置がガスマスクコンテナ側になりました。

【記事リンク】
・WWIIドイツ軍 ガスシート(ガスケープ)ケースの装着方法考察 その1(実演有):http://uag.militaryblog.jp/e590189.html
・WWIIドイツ軍 ガスシート(ガスケープ)ケースの装着方法考察 その2(実演有):http://uag.militaryblog.jp/e623572.html
・WWIIドイツ軍 ガスシート(ガスケープ)ケースの装着方法考察 その3(実演有):http://uag.militaryblog.jp/e623804.html




当時の写真でも多く見受けられる、装具ベルトを使用してガスマスクコンテナに縛着する装着方法は禁止されている方法であり、現場に向けられた改善通達が何度も出されていました
個人的な考察ですが、編成完結式など、着装の乱れに厳しい場面では制式な装着方法をしていたと思いますので、WWIIイベントなどでそういった場面がある時は時代に似合った制式な着装をする方が一層見栄えがよくなると思います(重装サスペンダーなどと同じ感じですね)。

WWIIドイツ軍 海外製 複製 / レプリカ - ゴム引き布製ガスシートケース」についてはこれで以上です  

2015年03月10日

WWIIドイツ陸軍 襟章・国家鷲章・臂章の縫い付けチャレンジ


今回はドイツ陸軍野戦服における襟章(リッツェン)・国家鷲章(アドラー)・臂章(シェブロン)の縫い付けについてです・・・が、先に述べます。

完成度が非常に低いです。

WWIIイベントでM43野戦服がレギュレーションに入っていなかったためM40野戦服の複製品を用意し、「せっかくなので襟章類を自分で縫い付けてみよう」と思い必要なものと必要な資料を用意して実行した結果、残念なことになりました(M43野戦服はカンプバタリオン!!のミシン縫い)。

そもそも、イベント開催前日まで縫い付けをサボり、日付変更線を越えてから作業を始め、眠気と戦いながら朝5時までぶっ通しでやること自体が間違いでした。

主な縫い方の参考資料としたのは普段お世話になっている「黒騎士中隊様」からの情報と、ドイツ軍の複製品製作や研究などをされている「シュミット&ゾーン」のウェブサイトにあるコンテンツ「特別展示室」からです。

【参考資料】
・Schmidt&Sohnドイツ歴史的蒐集精密複製品型録(http://www.bekkoame.ne.jp/ha/schmidt/) / HAUPTEINGANG von JAPANISCHE SEITEN / 特別展示室・レプリカ服のディテールアップと記章・バッヂ類の付け方






【撮影時刻...0:22】

ということで、その無残な結果になるまでの過程を写真を交えてご紹介します。
まずは襟章(リッツェン)の縫い付けです。
この襟章は下士官兵用の台紙なしタイプで、上が右襟用、下が左襟様です。
見分け方は幅が広い部分の斜め加工の向きになります(斜め左下になっているのが左用、斜め右下になっているのが右用)。


裏側です。
襟章は複製品ですが、メーカーは忘れました(爆)


まず、斜め方向に合わせて端を内側に折り込みます。
どこから折ればいいのか、角度はどれぐらいにすればいいのか、などは具体的にわかりませんでしたので、写真をいくつか見ての見様見真似で行いました。
斜めの角度については、襟の外周と襟章の外周が並行になるようにするのが最も美しいと思います。
また、襟章に限らず、折り込んだ後にアイロンなどを掛けて折り目をしっかりつけると縫い付け時が楽です


続いて、はみ出している部分を内側に折り込みます。
資料によっては切ってますが、切らないという話もありましたので私はそちらを選択しました。


出来上がりましたらいよいよ襟に縫い付けです。
縫い付け方法は野戦服の出荷工場や時期によって差異があり、ミシンで一気に縫うこともあればミシン縫いと手縫いの複合もあったとのことですが、私はミシンを所有していませんので総手縫いです。
シュミット&ゾーンの解説によると「端から0.5mmのところを3.0mm間隔で、極力縫い目が目立たないようにまつり縫い」とのことですが、写真では見ての通り完全無視、まつり縫いのやり方も何故か間違い(以降も間違い続けてます)、糸のセレクトも悪いです(爆)

【まつり縫いとは?】
・まつり縫いの仕方 [裁縫] All About(http://allabout.co.jp/gm/gc/42682/
・YouTube動画:How to sew the hem stitch. まつり縫いの仕方(手縫いでのすそ上げ)(https://www.youtube.com/watch?v=QfBVcETu2HM


襟章の位置は、下士官で使用するトレッセ(襟の外周に付ける線)のスペースを確保できるところにします。
写真を見ますとトレッセと襟章の隙間は非常に狭く、トレッセの幅は約9.0mmですので、縁から約10.0mmのところに合わせれば多分大丈夫だと思います。
写真では、どこ吹く風の状態ですが。


【撮影時刻...2:25】

両方の縫い付けが終わりました。
このM40野戦服の複製品(海外製)は襟が大きく、それに合わせて襟章の外周を作ると襟章の形状が悪くなるため、平行にしていません。
それにしても、縫い目がおもいっきり目立っています。


次は国家鷲章(アドラー)です。
これはS&Graf製のBEVO(織出)タイプで、鷲の色が白い1935年型シリーズのものです(1940年型で目立たない色になります)。


裏側です。
BEVOタイプは帯状でまとめて生産されますので、単品として完成した時はこの状態です。


これを形にするわけですが、見た目からして難しそうです。
襟章と異なり、国家鷲章は外周をある程度切ります。
切る際は国家鷲章の縁ギリギリで切るのではなく、10.0mmほど間隔を空けて切ります。
(ミリブロ「ハントの野戦補充大隊(http://feldersatz.militaryblog.jp/)」管理人、ハント様から頂いた情報です。ありがとうございます)

心配性な私は切る部分を大雑把に書きしました。


【撮影時刻...2:29】

線に沿って切りました。
次に襟章の時と同様、余分な部分を内側に折り込んでアイロンをかけ、折り目をつけます。
角の部分や円の部分は縦に切れ目を入れて形を整えますが、あまり深く切り過ぎるとそこからほつれてしまいますので注意です。
(こちらもハント様から頂いた情報です。ありがとうございます)



そして58分後・・・











【撮影時刻...3:21】

物凄いことになっています・・・。


裏側です。
アイロンをかけても綺麗に折れず、悲惨な状態になりました。
これについては後ほど「スチームだけで強引にやったから」ということが判明しました。


【撮影時刻...4:38】
諦めて縫い付けた状態です。
雑っていうのにも限度がありますね・・・。

国家鷲章の位置や縫い方は、襟章と同じく野戦服の出荷工場や時期によって差異があります。
位置については大雑把に分けますと、右ポケットのフタ(雨蓋)の少し上のケースと、フタの上面に少し被るケースの2通りです
私はシュミット&ゾーンの解説でも採用されている前者を採用しました。

縁から0.5mm以下の位置を3.0mm又は5.0mm間隔でまつり縫い、国家鷲章の角度は着用した際に地面とほぼ平行になるようにする」という解説ですが、襟章のときと同様完全に無視しています


最後は伍長勤務上等兵(Obergefreiter、オーバーゲフライター)の臂章(シェブロン)です。
最初に入手した中古のM43野戦服が伍長勤務上等兵でしたので、以降私は伍勤な人で定着していますので用意しました。
これもS&Graf製の複製品で、V字の部分がピカピカの頃のものです(後に目立たない色に変更されます)。


裏側です。


左腕側にまつり縫いで縫い付けます。
規定の位置はあると思いますが、わかりませんでしたので、カンプバタリオン!!での縫い付け位置をパクッて参考にして縫い付けました。


【撮影時刻...4:59】

襟章、国家鷲章、臂章をすべて縫い付けた状態のM40野戦服です。
形にはなったものの、やはり国家鷲章の雑さが特に目立ちます・・・
やる気が出た時にでも付け直しましょうか。

最後までご覧になられた方へ、私の真似をすると写真のように残念な仕上がりとなりますので、実施する際はちゃんとした資料を片手に行ってください。



WWIIドイツ陸軍 襟章・国家鷲章・臂章の縫い付けチャレンジ」はこれで以上です。  

2015年03月08日

WWIIソ連労農赤軍 軍籍証明書 各項目の日本語訳(Красноармейская книжка)


今回のお題はソ連労農赤軍が使用した軍隊手帳、軍籍証明書「Красноармейская книжка(直訳:赤軍の本)」の項目の日本語訳です。
ケンカルテの日本語訳をした勢いでこっちも作りました。


【軍籍証明書紹介動画:Красноармейскую книжку иметь всегда при себе. Не имеющих книжек - задерживать ! 】(YouTube

コレは知人のソ連兵な人が既に全文日本語訳していますが、こちらの日本語訳は私が独断と偏見で作っています。
粛清クラスの誤訳っぷりもあると思いますので、あまりアテにはしないでください・・・(汗)
なお、軍籍証明書の書き方など実用面はサッパリわかりませんので本記事では触れていません。

【実物写真資料】
・Google検索:Красноармейская книжка(https://www.google.co.jp/search?q=%D0%BA%D1%80%D0%B0%D1%81%D0%BD%D0%BE%D0%B0%D1%80%D0%BC%D0%B5%D0%B9%D1%81%D0%BA%D0%B0%D1%8F+%D0%BA%D0%BD%D0%B8%D0%B6%D0%BA%D0%B0




【目次】
表紙
2ページ
3ページ
4ページ
5ページ
6ページ
7ページ
8ページ
9ページ
10ページ
11ページ
12ページ





【表紙】
КРАСНОАРМЕЙСКАЯ КНИЖКА
(赤軍の本)

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【2ページ】
Красноармейскую книжку иметь всегда при себе. Не имеющих книжек - задерживать
  (赤軍の本は常に携行すること。所持していない場合は - 逮捕される。)

1. Фамилия
  (1. 姓・ファミリーネーム)
2. Имя и отчество
  (2. 名・ファーストネームと父称・ミドルネーム)
3. Звание и должность
  (3. 階級及び肩書き)
4. Наименование части (учреждения)
  (4. 一部名称(部隊))
5. Наименование подразделения (батальон, рота)
  (5. 部隊名(大隊、中隊))
6. No_ личного знака
  (6. 認識番号)
Личная подпись владельца книжки
  (7. 直筆署名)

Командир роты
  (大隊長)
”___” ___194___г.
  (日・月・194*年)
(Место печати части)
  ((発行場所))

Место для фотокарточки ВЛаДеЛЬЦа книжки
  (証明写真のスペース)

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【3ページ】
I. Общие сведения
  (基本情報)
1. Номер военно-учетной специальности
  (1. 軍事教育番号)
2. Грамотность и общее образование (если окончил техникум, рабфак или ВУЗ, то указать его название)
  (2. 読み書き能力及び一般教養(大学や専門学校を卒業している場合は校名を記述))
3. Национальность
  (3. 国籍又は民族)
4. Год рождения
  (4. 生年月日)
5. Год призыва (указать также - нормальный или досрочный призыв)
  (5. 徴兵年(通常及び早期徴兵の場合は記述すること))
6. Каким военкоматом призван
  (6. 徴兵兵站局名)
7. Специальность до призыва
  (7. 徴兵時の職業)

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【4ページ】

8. Место рождения и постоянного жительства Домашний адрес, фамилия, имя и отчество жены или родителей
  (8. 居住地住所、妻や両親の姓名及びミドルネーム)
9. Группа крови по Янскому
  (9. ジャンスキー式血液型)

Примечание. Общие сведения записываются в штабе части. Сведения о групповой принад лежности крови вносится санитарной частью.
  (注意。この一般情報は本部に記録される。血液型の情報は衛生部に属する)

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【5ページ】
II. Прохождение службы
  (II. 兵役)
Часть, подразделение, занимаемая должность и звания
  (部門、部隊、状況及び階級)
Месяц и число
  (月日)
Год и No_ приказа
  (年と命令番号)
Расписка командира роты
  (大隊長署名)

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【6ページ】
III. Участие в походах, награждения и отличия
  (III. 戦闘への参加、徽章の授与歴)
Когда, где участвовал в боях. За что награжден
  (参加した戦闘の場所と時期。授与)
Месяц и число
  (月日)
Год и No_ приказа
  (年と命令番号)
Расписка командира роты
  (大隊長署名)

ПРИМЕЧАНИЯ
(注記)
по второму и третьему разделам
  (II. と III. について)
1. Записи производятся командиром роты по данным приказов по части. При переводе в другую часть сведения о прохождении службы подписываются начальником штаба части с приложением печати.
  (1. 記録は部門の中隊長の指示に応じて行っている。これらの情報を別に転記する場合は下部に参謀長の署名と判を押す)
2. По новому месту службы записи о дальнейшей службе делаются в том же разделе.
  (2. 新しい任地になった場合、その場所での従軍記録は追加で記述する) ※?

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【7ページ】
IV. Вещевое имущество
  (IV. 衣類、機器)
Наименование вещей
  (物品名称)

※縦行
Шапка (шлем) симняя.
  (防寒帽(ヘルメット))
Пилотка
  (略帽)
Фуражка
  (制帽)
Шинель
  (外套、コート)
Гимнастерка сук.
  (ギムナスチョルカ сук.)
Гимнастерка хл.-б.
  (ギムナスチョルカ хл.-б.)
Шаровары сукон.
  (フェルト製乗馬ズボン)
Шаровары хл.-бум.
  (乗馬ズボン хл.-бум.)

※横列
Количество
  (金額)
Выдано
  (発行済み)
Сдано
  (賃貸)

ВРЕМЯ
  (時期)
Выдачи
  (支給)
Год
  (年)
Месяц и число
  (月日)
Сдачи
  (譲渡)
Год
  (年)
Месяц и число
  (月日)

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【8ページ】
IV. Вещевое имущество
  (IV. 衣類、機器)
Наименование вещей
  (物品名称)

※縦行
Шаровары ватные
  (綿製ズボン)
Рубаха нательная
  (ルパシカの上) ※ルバシカとも
Рубаха тепл. нижн
  (ルパシカの下) ※?
Кальсоны
  (パンツ)
Полотенце
  (タオル)
Платок носовой
  (ハンカチ)
Портянки летние
  (夏用足布)
Портянки зимние
  (冬用足布)
Перчатки теплые
  (防寒手袋)
Сапоги
  (長靴、ブーツ)

※横列
7ページと同じにつき省略

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【9ページ】
IV. Вещевое имущество
  (IV. 衣類、機器)
Наименование вещей
  (物品名称)

※縦行
Ботинки
  (編上靴)
Обмотки
  (巻脚絆、ゲートル)
Полушубок
  (半外套、ハーフコート)
Валенки
  (フェルト製防寒長靴、防寒ブーツ)
Наволочка тюфячная
  (羅紗製枕カバー、ウール製)
Наволочка подушечная нижняя
  (枕カバーの下)
Простыня
  (ベッドシーツ)
Одеяло
  (毛布)

※横列
7ページと同じにつき省略

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【10ページ】
IV. Вещевое имущество
  (IV. 衣類、機器)
Наименование вещей
  (物品名称)

※縦行
Ремень поясной
  (帯革、腰ベルト)
Ремень брючный
  (ズボン用ベルト)
Ремень ружейный
  (負革、スリング)
Ремень для скатки шинель
  (装具用ベルト) ※?
Ранец (вещмешок)
  (背嚢(リュックサック))
Снаряжение бойца кавалерии
  (騎兵用装備品)
Сумка патронная
  (弾薬盒、アモポーチ)
Сумка для ручн. гранат
  (バラ弾用弾薬嚢) ※?
Котелок
  (飯盒)
Фляга
  (水筒)
Чехол к котелку
  (飯盒ケース)
Чехол к фляге
  (水筒ケース)

※横列
7ページと同じにつき省略

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【11ページ】
IV. Вооружение и техническое имущество
  (IV. 武器と技術機器)
Наименование имущества и вооружения
  (物や武器の名称)

※横列
7ページと同じ

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【12ページ】
VI. Рост No_ _____
  (VI. サイズ番号)

Шинель
  (外套、コート)
Шапка (шлем) зимняя
  (防寒帽(ヘルメット))
Фуражка.
  (制帽)
Пилотка
  (略帽)
Сапоги
  (長靴、ブーツ)
Ботинки
  (編上靴)
Рубаха летняя
  (夏用ルパシカ)
Шаровары летние
  (夏用乗馬ズボン)
Шаровары суконные
  (冬用乗馬ズボン)
Белье.
  (下着)

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Posted by Y.A.S. at 19:43Comments(0)WWIIソ連労農赤軍

2015年03月07日

WWIIドイツ軍 ケンカルテ 各項目の日本語訳(Kennkarte)



今回はドイツ兵が前線勤務の際に携行することがあるケンカルテ(Kennkarte)の内容について触れようと思います。



ナチス・ドイツ時代のドイツ国防軍では人事記録台帳として普段は所属中隊本部が保管し、退役の際本人に返される「軍隊手帳」(Wehrpass、ヴェアパス。直訳では「防衛パス」)と、本人が常時携帯し身分証明書と給与支払記録帳を兼用した「俸給手帳」(Soldbuch、ゾルトブーフ。直訳では「賃金帳」)に分かれていた。なお、最前線地域などで「俸給手帳」を携帯しない場合には「簡易身分証明書」(Kennkarte、ケンカルテ。直訳では認識カード)を携帯した。「簡易身分証明書」は氏名、階級、所属部隊等必要最小限のことが記載され、所持者の顔写真の貼られた(正しくは台紙にハトメで留められた)二つ折りのカード型の物である。これら3点は本人に与えられ、もしも所持者が戦死した場合は遺品として遺族のもとに送られた。

(Wikipedia記事「軍隊手帳」の「ナチス政権当時のドイツ軍の場合」より)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8D%E9%9A%8A%E6%89%8B%E5%B8%B3



早速Wikipediaから転載するという手抜きっぷりですが、要するに非常に簡素な身分証明書です。
調べてみると、項目が異なるケンカルテが数種類ありましたが、本記事で使用するのは「Kennkarte nur für Fronteinsatz」と書かれているケンカルテです。
このケンカルテは1枚の厚紙に両面印刷されています。
独ソ戦イベント「独ソ戦! 1942」の現地エントリーで「所属軍の何かしらの軍用身分証明書を提示する」というものがあり、自分用のケンカルテを製作する際に記載項目を調べてみましたので、実物のスキャン画像を交えながらそれらをご紹介していきます。






【画像をクリックすると別窓で原寸大に拡大されます】

まずは表側です。
携行する際はこちらを表にして縦に半分折り、胸ポケットの中に入れます。
記載されているドイツ語は以下の通りです(カッコ内は手抜き日本語訳です)。



Kenkarte
nur für Fronteinsatz
(前線上のケンカルテ)

Statt Soldbuch
(ゾルトブーフ代用)
Nr.
(ナンバー)

Rückwärts der Rgts.-Gef.-Stände
als Personalausweis ungültig!
(後方の連隊指揮所においては身分証明書として無効!)

※補足
Rgts.=Regiments
Gef.=Gefecht



ゾルトブーフ代用と明記されていますね。
カードの下部には「後方では身分証明書として通用しない」と(多分)書いてあります。
「ナンバー」は発行ナンバーのことでしょうか?


【画像をクリックすると別窓で原寸大に拡大されます】

裏側です。
まずは左側の項目を見てみましょう。



Dlenstgrad: (階級)
Zuname: (姓、ファミリーネーム)
Vorname: (名、ファーストネーム)
geb. am: (生年月日) ※順は「日. 月. 年の下二桁.」
in: (生誕地)
Familienstand: (配偶者の有無)
Religion: (宗教)
Beruf: (入隊前の職業)
Anschrift der nächsten lebenden
Angehörigen: (最も近くに居住する親族の住所)
Grösse: (身長) ※cm
Haar: (髪の色)
Gesicht: (顔の形)
Augen: (目の色)
Besondere: (特徴)



続いて右側です。



Erkennungsmarke: (認識番号)
Blutgruppe: (血液型)
Besoldungsgruppe: (給与体系)
Auszeichnungen: (受章類)
Eigenhändige Unterschrift: (直筆署名)

Die Uebereinstimmung mit den Eintra-
gungen im Soldbuch wird bescheinigt: (これをゾルトブーフと認定し登録することに合意する)
(Unterschrift) (署名)
(Dienstgrad) (階級)
(Datum) (日付)

Feldpoststempel (野戦郵便局スタンプ)
F. P. Nr. schwärzen (野戦郵便局ナンバー入りを黒色で)





これで項目は以上です。
直筆署名から下の部分はこのケンカルテの発行を許可した人が記入する部分ですね。
「独ソ戦! 1942」ではドイツ軍指揮官として参加する方に署名して頂きました。

項目の書き方については、ブログ「東部戦線的泥沼日記 ~WW2 German Military Collection」の記事シリーズ「軍隊手帳と兵隊手帳 (Wehrpass u. Soldbuch)」がとても参考になります。
私の記入例については、その内ご紹介するつもりです・・・。
ちなみに、「独ソ戦! 1942」で使用したケンカルテは残念極まりない出来でしたので破棄しました(笑)

【参考資料】
・東部戦線的泥沼日記 ~WW2 German Military Collection(http://gerhard03.blog61.fc2.com/) / 軍隊手帳と兵隊手帳 (Wehrpass u. Soldbuch)



最後に、私が製作したケンカルテの印刷用画像を掲載します(これまで掲載した画像とはまた別です)。



【画像をクリックすると別窓でフルサイズのpng画像が表示されます】


画像自体を原寸大に近い状態(実物は広げた状態で300 x 105mm)としていますので、そのままWordなどに張り付けて両面印刷し、縁を切ればそれっぽいものができます。
イベント用の小物や練習などにご活用ください。
実物は厚紙を使用しています(具体的な素材や厚さはわかりません・・・)。

WWIIドイツ軍 ケンカルテの項目(Kennkarte)」はこれで以上です。