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Posted by ミリタリーブログ at

2015年03月16日

WWIIドイツ陸軍 野戦服の外観変革・見分け方 1933年~1945年


今回はドイツ陸軍の野戦服、特に国防軍時代の変革についてです。
ドイツ軍の野戦服と言えばM36野戦服」と思われる方も多いと思いますが、第二次世界大戦で馴染み深い野戦服の原型は、ヴァイマール共和国軍時代(Reichswehr、ライヒスヴェーア)の1933年に採用されたM33野戦服です。
M33野戦服の採用以降、毎年改良を重ね、3年後の1936年にM36野戦服が完成しました。

以降、ドイツの敗戦の1945年まで様々な野戦服が次々と現れますが、私が知る限りの種類を時系列に並べてみました。
実物か複製品の写真を用意したいところでしたが、用意できるのが複製品2着という有様ですので、特徴をサクッと捉えた手抜きな簡潔なイラストを添えて並べていきます。
イラストは襟章や肩章などをすべて外した状態で描いています。
掲載しているのは基本的に陸軍の野戦服のみです。

なお、Feldbulse(フェルドブルーゼ)のナンバーはコレクターが付けた名称(及び私が勝手に付けた名称)で、ドイツ軍内では識別せずにフェルドブルーゼと呼んでいましたので、戦後識別するため変更通達が出た年号を足して呼ばれるようになりました。





【M33野戦服 / M33 Feldbluse】

採用年月日:1933年4月1日
採用通達:Reichswehrminister Az. 64 t 10V3 (Vlb) No. 31.33 ※5月4日通達
Google検索:German M33 Tunic

「第二次世界大戦のドイツ軍の野戦服」の原型となるのがこのM33野戦服です。
襟の色が同色ですので、撮影時期不明の写真ですと後に採用されるM34やM40との見分けが難しいですが、この頃はまだ内装サスペンダー(ベルトフックを取り付けるために使用する、野戦服の裏に取り付けるサスペンダー)が採用されおらず、ベルトフックを通す穴がありませんので、コレが見分けるポイントです(ベルトで隠れていたらどうしようもないですが・・・)

【1928年頃の野戦服】

Google検索:Reichswehr 1928

「M33より前の野戦服はどうだったのか?」という疑問の答え用に、1928年頃の野戦服のイメージです。
8つボタンで、ポケットの雨蓋が将校用を思い起こさせる形状になっています。

【M15野戦服 / M15 Feldbluse】

採用年月日:1915年
Google検索:German M15 Tunic

さらに遡って、ドイツ帝国時代で第一次世界大戦中の1915年に採用されたM15野戦服です。
少しでも目立たないようにするためか、前合わせのボタンは隠しボタンになっており、全体的にシンプルです。
この頃から既にドイツ軍名物(?)の色違い襟が採用されています。

【M10野戦服 / M10 Feldbluse】

採用年月日:1910年
Google検索:German M1910 Tunic

第一次世界大戦勃発の4年前、1910年に採用された野戦服です。
戦時採用の野戦服と比較すると、別色の線が入っていたり飾りボタンがあったりなど、華やかさがあります。

どんどん時代が古くなってきていますので、そろそろM33野戦服以降のものを見ていきましょう。

【M34野戦服 / M34 Feldbluse】

採用年月日:1934年11月1日
採用通達:HM.34, Nr.83
Google検索:German M34 Tunic

M33野戦服の項で述べた内装サスペンダーが採用されたことで野戦服もそれに合わせて更新することとなり、M33野戦服にベルトフックの穴を加えたM34野戦服が採用されます。
ベルトフックの穴は縦3列1組で構成され、野戦服前面と背面に2組ずつあります。


背面はこんな感じです。
これによりますますM40野戦服との見分けが大変になりました・・・(苦笑)

【M34野戦服 改正型 / M34 Feldbluse】

採用年月日:1934年12月10日
採用通達:HM.34, Nr.136
Google検索:German M34 Tunic

M34野戦服の採用から1ヶ月後、襟の色が変更されました。
再び登場ですね!

【M35野戦服 / M35 Feldbluse】

採用年月日:1935年9月10日
採用通達:HV.35, Nr.505
Google検索:German M35 Tunic

M35野戦服は襟の色が濃くなり(ダークグリーン)、後のM36野戦服のような姿になります・・・と言うより、細かいトコロを除けばM36野戦服とソックリです。
ちなみに1934年時点で既に同型の試作品が使用されていたそうです。

【M36野戦服 / M36 Feldbluse】

採用年月日:1936年12月15日
採用通達:HV.36, Nr.1245
Google検索:German M36 Tunic

M35野戦服の内装を改良したのが皆大好きM36野戦服です。
この段階で、複製品などでも見受けられるお馴染みの構造となります。

【M40野戦服 / M40 Feldbluse】

採用年月日:1940年5月
採用通達:不明
Google検索:German M40 Tunic

M36野戦服で完成の域に到着していたのか、4年ぶりの改正です。
パッと見た感じは、襟が同色になったM36野戦服です。
1940年頃から野戦で目立つ(=敵に視認されやすくなる)部分の改正が増え、国家鷲章や襟章などが目立たない色に変更されていきます。
また、1939年に戦争が始まり野戦服の需要も高まっていますので、生産効率化などもあって襟色が統一されたと思われます。
M33~M34野戦服の頃に戻った感じもありますね。

【M41野戦服 / M41 Feldbluse】

採用年月日:1941年5月26日
採用通達:HM.41, Nr.558
Google検索:German M41 Tunic

パッと見た感じは、ボタンの数が6つになったM40野戦服です。
ボタンの数が6つになった理由は、生地で使用するウールの不足を補うためレーヨンなどの混合率を上げたことによる強度面の低下とも言われています(他にも保温機能などが低下)。
また、品質低下に起因する野戦服の色の変化もこの頃から徐々に始まります。


なお、武装親衛隊に支給されるM41野戦服はボタンの数が5つのままで、ベルトフックの穴は縦3列から縦2列になります。
これはM43野戦服まで続き、陸軍と武装親衛隊は別々の野戦服になります。
この仕様違いは、この頃に武装親衛隊が野戦服の自力生産体制を整えて陸軍に頼らなくなったことが関係しているかもしれませんが、複製品を購入する際はボタンとベルトフックの数にご注意ください(襟章を付け替えて変更する際も含め)。

【M42野戦服 / M42 Feldbluse】

採用年月日:1942年秋(推定9月~11月頃)
採用通達:不明
Google検索:German M42 Tunic

M41野戦服まではM33野戦服からの外観を保っていましたが、M42野戦服でついに省略が始まります。
最も目立つ部分では、ポケットのプリーツ(画像で言うところの縦線、スカートのフリルのようなアレ)が省略され、平面なものになりました。
また、M34野戦服から使用されてきた内装サスペンダーの装着部分も省略され、ベルトフックの穴付近に縫い付けられた布が内装サスペンダーの代わりとなりました。
ウール不足もどんどん深刻になり、生産工場によっては茶色になってきている野戦服も現れます。
この野戦服のデザインを踏襲し生地をHBT(Herring bone Twill、ヘリンボーンツイル、杉綾織りと呼ばれるもので作られた生地)にした夏季野戦服も登場します。

【M43野戦服 / M43 Feldbluse】

採用年月日:1943年4月1日(推定)
採用通達:HM.43, Nr.364(推定)
Google検索:German M43 Tunic

ポケットはさらに省略が進み、雨蓋の曲線がなくなり一直線になりました。
M42と同じく、デザインを踏襲し生地をHBTにした夏季野戦服もあります。

【M44野戦服 / M44 Feldbluse】

採用年月日:1944年9月25日
採用通達:HM.44, Nr.603
Google検索:German M44 Tunic

連合軍のマーケット・ガーデン作戦失敗が確定した日に採用された野戦服です。
この野戦服は陸軍・空軍・武装親衛隊の野戦服を共通化させて生産効率を上げるために登場したもので、これに先立って同年6月11日に略帽の統一品として「M43規格帽」が採用されています。
統一規格野戦服とも呼ばれるものですが、生産効率化による省略は最高潮に達しており、腰ポケットがあった部分は周辺の生地ごと省略され丈が短くなりました。
また、開襟着用を前提としているため襟ホックを省略、ベルトフックの穴も省略されました。

【M45野戦服 / M45 Feldbluse】

採用年月日:1945年
採用通達:不明
Google検索:German M45 Tunic

生産効率化の極みに達したM44野戦服ですが、それでも足りない分を補うため、1940年に廃止し回収した官給礼服の在庫品を野戦服に改造しました。
礼服ですので生地の品質は高いでしょうけども、戦局はドイツ本土も非常に危ない最悪状態です。
礼服改造野戦服はバリエーションがあり、画像のように不必要なものを省いたものもあれば、飾りボタンなどがついたままのものもあります。

【熱帯地野戦服】

採用年月日:1940年~1941年
採用通達:不明
Google検索:German Africa Tunic

北アフリカ戦線に派遣されるドイツアフリカ軍団向けに支給された、日本軍で言うところの防暑衣で、素材はコットンです。
極初期に派遣された部隊の中には通常のウール服を着ている例(うろ覚えでは戦車兵?)もあったらしいですが、日中は物凄く辛かったことでしょう・・・。
ベルトフックの穴は省略されています。
新品の状態ではイラストのような濃い目の黄緑色、OD色ですが、使用と選択を繰り返して使い込んでいく内にどんどん色落ちしていったそうで、中には故意に脱色させて「自分は長く戦っている」とアピールする人もいたそうです。
後に北アフリカ戦線以外のでも使用されます。
デザインにはバリエーションがあるようです。

【野戦服の改造例】

下士官や将校は、官給品の野戦服を購入して自分好みに改造することがありました。
最も人気だった改造例は襟色をM36野戦服のようなダークグリーンにすることです。
M41以降の野戦服で襟の色が違う写真があれば、それは改造品と見て間違いないと思います(M40野戦服の改造品は改造跡が確認できないと判別が難しいと思います)。
この改造はM44野戦服でも見られます。

Google検索:ドイツ軍 野戦服 襟 改造


次の例は腰ポケットの位置を上に上げる改造です。
イラストはM41野戦服の改造例として、左半分を改造状態、右半分を通常状態にしています。

これら以外にも、国家鷲章を将校用にした下士官野戦服や省略されたポケットのプリーツを復活させたものなど、様々な改造例があります。

【非制式迷彩野戦服】

ツェルトバーンなどを素材にして現地で作られたり、オーダーメイドで作られたりした非制式の迷彩服です。
他国の迷彩生地を手に入れて作られることもありました。
画像はスプリンター迷彩の生地で作った迷彩服をイメージしています。
なお、イラストの迷彩は所持品のツェルトバーンを撮影して貼り付けましたので、枠以外は写真そのままです(描くの無理です・・・)

【鹵獲品改造野戦服】


ドイツ軍は鹵獲した敵軍の野戦服を改造して支給することもありました。
イラストはオランダ陸軍野戦服での例で(オランダは1940年5月に降伏)、立襟を折襟に改造し、胸ポケットにボタンを追加しています。
さらに腰ポケットを追加するなど、バリエーションはいくつかあります。

Google検索:German Dutch Tunic WW2





ここまで閲覧された読者の皆様、お疲れ様です!
こういうのを書くと大概長くなりますね・・・。
M40野戦服以降は毎年変更が重ねられていますので、キャプション不明の写真や映像でも、写っているドイツ兵の野戦服を見れば少なくとも「何年以降の写真」というのは大よそ割り出すことができると思います。

WWIIドイツ陸軍 野戦服の外観変革・見分け方 1933年~1945年」はこれで以上です。