楽しみながら強くなれる!田村装備開発(株)の『ガチタマTV』!
2017年03月20日
祖父が使用した陸軍官給長靴を修復Part1:洗浄編【祖父が遺したもの】
【これまでのお話】
・実物:日本陸軍 官給 長靴 茶革【祖父が遺したもの】(2017年3月12日)
原型は維持しているものの、父曰く少なくとも30年以上は発見場所の倉庫の片隅で眠り続けていた祖父の官給長靴は汚れ以外にも革の硬化やひび割れ、靴鋲の錆、縫い糸の切れなど様々な問題を抱えています。

特に右足用の足首周りは深刻で、変形した状態で完全に硬化しています。
さらに縫い糸の劣化も激しく、少し動かしただけでもすぐ切れてしまいます。
縫い糸は切れても縫い直せば何とかなりますが、革は崩壊してしまうとどうしようもありません。
まずは革の状態改善が先決です。
しかし、この状態の革靴の手入れ方法に悩みます。
以前編上靴の代用として入手したアメリカ軍の硬化したサービスシューズを手入れした際はひたすらミンクオイルを塗りたくり、結局数回の使用で革を崩壊させたことがあります。
今回の長靴は実用するつもりはありませんが、この手段はよくないでしょう。
ということで、友人に助言を求めてみました。
その結果、表革の革靴用洗剤「サドルソープ」を採用することにしました。
サドルソープについての詳細はGoogle先生に丸投げしますが、このサドルソープとやらはかなり有効なのだそうです。
ただ、ここまで古い革靴をサドルソープで洗浄したという話をGoogle先生に聞いても答えが帰ってきませんでしたので正直不安もあります。
使用の影響で状態がさらに悪化する可能性もありますが、覚悟を決めて写真のM.モゥブレィ(M.Mowbray)製サドルソープセットを調達しレッツ・トライです。
こんな孫で申し訳ございません……。
ということで風呂場で作業開始です。
状態がいい左足用から作業を始めます。
まずは長靴全体に水を掛けて水分をガンガン浸透させます。
もうこの時点で私の中での革靴手入れセオリーは崩壊です。
色が薄いところは水分が十分に浸透していないところです。
しっかり浸透していないと仕上がりに影響が出るので注意しましょう。
次に泡立てたサドルソープを靴に乗せ、クリーニングブラシで軽く磨いていきます。
靴底も同じく磨きました。
磨き終わった後は乗っている泡と汚れを落とし、完了です。
また、ついでにホコリまみれの靴の内側も水で流しましたが、水漏れがほどんど無かったことには驚きましたね。
桶に溜めていた水は片方を洗い終わった時点でこうなりました。
問題の右足用も同じように洗います。
崩壊しないことを祈ります……。
足首周りを特に重点的に洗い、そして磨いていきます。
左足用も完了です。
一部水が完全に浸透していない部分がありますが、これ以上変化しなかったため割り切りました。
両足共に無事終わりました。
その次は型崩れの修復と乾燥です。
長靴の中に新聞紙を入れ、シワを伸ばすなど形状を整えていきます。
水分を含んだため、革が全体的に柔らかくなっています。
右足用の足首周りの革も柔軟性が復活したため形状の修復ができました。
しかし、劣化している縫い糸がこの作業に耐え切れず、足首周りの糸がさらに切れてしまいました。
どうやら劣化は想像以上のようです……。
写真の状態を見た時は「革が切れた!」と思いましたが、縫い糸が切れて分離しているだけとわかりホッとしたのは秘密です。
写真ではわかりにくいですが、この画像に写る縫い合わせ部分も広範囲で糸が切れています。
これは大変な作業になりそうです……。
また、右足用に新聞紙を詰めている最中に取っ手部分の縫い糸も完全に切れ、外れてしまいました。
おそらく新聞紙を詰める腕との摩擦の影響と思います。
触れてみると生地はボロボロで少し引っ張っただけで裂けてしまいます。
右足用の取っ手部分は発見時点で根元から切れていました(切れた先は現存せず)ので、完全に残っている左足用を参考に復元してみようと思います。
祖父が憲兵時代に使用していた時に切れたのか、終戦後以降の使用または保管時の経年劣化で切れたのかはわかりません。
次は洗浄前と洗浄後の両側面の比較をしてみましょう。

【洗浄前】
【サドルソープ洗浄直後】

【サドルソープ洗浄後、乾燥2日目、形状修復中】

【洗浄前】

【サドルソープ洗浄後、乾燥2日目、形状修復中】
【洗浄前】
【サドルソープ洗浄後、乾燥9日目】
【洗浄前】
【洗浄後、乾燥9日目】
極端な変化はありませんが、元の状態よりは幾分キレイになったと思います。
完全に乾燥させた後はオイルなどで靴の革表面を仕上げていきます。
祖父が使用していた時はどのような仕上がりだったのでしょうか?
イメージを膨らませつつ、作業を継続していきましょう。
「祖父が使用した陸軍官給長靴を修復Part1:洗浄編」はこれで以上です。
2017年03月12日
実物:日本陸軍 官給 長靴 茶革【祖父が遺したもの】
今回ご紹介するものは父方の亡き祖父が戦時中に憲兵として勤務していた時に使用していた官給品の長靴です。
父の実家にある倉庫を整理していた際、ビニール袋に入った状態で見つかり、持って帰ってきました。
内外共にホコリまみれでしたので、撮影前に軽く清掃しています。
両足の両側面の全体像です。
終戦時祖父は満洲にいたと聞いていますので、おそらくその地でも使用していたと思われます。
官給長靴の実物は数回しか見たことありませんが、使い込まれていたのか、経年の影響か、茶色がかなり濃い印象です。
右足用のふくらはぎ周りです。
左足用のふくらはぎ周りです。
「10.7」の数字は足のサイズ「10.7文」を示しており、cmに直すと25.5cm~26cm辺りです。
ちなみに今時の大人男性の平均サイズは26cm前後だそうです。
素材は牛革でしょうかね?
左足用の足周りです。
右足用の足周りです。
踵にある突起は拍車止めです。
あまり摩耗していないように見受けられます。
固定には5本の釘が使用されています(上段3本、下段2本)。
左足用の足首周りはまだ柔軟性がありますが、右足用の足首周りは変形した状態で硬化しており、さらに縫い糸も一部切れて接合部が分離しています。
ひび割れも多く、下手に動かすと完全に割れて崩壊する危険があります。
つま先部も右足用は硬化があり、ソールも若干外れているなど、右足用は全体的に状態が悪いです。
両足の靴底です。
前方側の靴鋲は両足共に6個あり、おそらく脱落はありません。
後方側となる踵の靴鋲は右足が1個、左足が2個です。
おそらく本来は逆三角形の各頂点に1個、合計3個あったものと思われます。
靴鋲の多くはかなり錆が進行していますが原型は留めています。
また、靴底には薄っすらですが製造年を示す「昭十六製」の刻印を確認できます。
そこから推察すると、祖父は昭和16年(1941年)以降には長靴を使用する身分になったのでしょうか?
製造年の上には製造元の刻印がありますが、摩耗しているため確認できません。
それ以外の印も使用の影響で消えています。
倉庫はかなりボロボロで、屋根の一部は穴が空いてるなど、保存場所としての環境はかなり悪かっただけに、原型を留めてかつ致命的な損傷もなかったのは奇跡でした。
製造から76年、おそらく終戦以降使用しなくなって72年が経過しているこの長靴の状態は決して良いとは言えませんが、状態改善の見込みはあります。
実用レベルにはできなくても、手入れと修復を施し、見た目だけでも元の姿に近づけてみようと思います。
「オリジナルの保存」としましては悪い選択となりますが……このまま放置する訳にもいきません。
しかし、祖父の家にこれがあるということは、復員して家に帰った時はこれを履いていたのでしょうかね?
この長靴が祖父の元にやってきて以降歩んだ道はどのような道だったのでしょうか。
「長靴さん、はじめまして。最後の持ち主の孫です」
……ああ、そういえば、内装を撮影するのを忘れていましたね……(爆)
「実物:日本陸軍 官給 長靴 茶革【祖父が遺したもの】」はこれで以上です。
2017年03月06日
PKミリタリア製 複製 / レプリカ: 日本軍 九五式軍刀 末期型(海外製偽物改造品)
名称:九五式軍刀 末期型 模造刀 / 複製 官給刀緒
メーカー:PKミリタリア(ウェブサイト)
今回ご紹介するのは日本陸軍の官給軍刀「三十二年式軍刀」の後継として昭和10年(1935年)に採用された「九五式軍刀」の末期型の複製(模造刀)です。
日本で九五式軍刀の模造刀といえばPKミリタリアと尾形刀剣がそれぞれ発売していますが、これはPKミリタリアが発売したものです。
PKミリタリアの九五式軍刀の模造刀は国内外で実物として流通している悪質な偽物(贋作)をベースにし複製品としたもの(初期発売型)と、PKミリタリア監修で複製前提に造形したものの二種類が存在します。
この末期型は発売時期(2010年には既に発売、2011年8月に再販無しを確認)から考えて偽物がベースと思われます。
九五式軍刀は終戦までに何度か改修されており、戦後の分類ではいくつが名称がありますが、ここでは「最初期型、初期型、中期型、後期型、末期型、最末期型」の6モデル分類を採用します。
後ろから数えて二番目の末期型はそれより前のモデルと見た目が大きく異なり、主な点で「柄の木製化、猿手(軍刀の兜金(柄の頭の保護部品)につく金具)の省略、樋(刀身の溝)の省略」などがあります。
PKミリタリアの末期型はこれがモデルで、尾形刀剣の末期型はこれ以上に省略が進んだ最末期型がモデルです。
鞘から抜いた状態です。
刀身は真鍮製で、末期型の樋無し刀身を再現しています。
写真では確認しにくいですが、刀身は傷だらけです。
これは鞘に収めるために手作業で擦り合わせた影響だそうです。
刀身のシリアルナンバー「35412」と「岐」の刻印です。
「岐」は何を示しているのでしょう?
調べてみると「岐阜の頭文字」というのが出てきましたが、よくわかりませんでした。
柄の両側面です。
最初期型を除き元々はアルミ製でしたが、物資節約のため木製に変更されました。
柄には滑り止め(?)の筋が掘られています。
木製柄という斬新(?)なデザインですが、当時これを支給されたことがあるベテランの感想の中には「アルミ製より滑りにくく握りやすい」という声があったそうです。
表面はニス仕上げされていますが、木材は何を使用しているのでしょうね?
両側面のネジ頭側にある黒い部品は飾り金具の目貫に当たるそうですが、非常に簡素な飾りです。
猿手が省略された黒一色の兜金です。
見た目がどうこうという戦況ではなくなったため、簡素化の対象になったのでしょう。
鍔です。
最初期型と初期型は凝った造形でしたが、中期型以降は簡素化されました。
刀身が鞘から不意に抜けるのを防止するための部品、駐爪の周辺です。
中期型までは柄の縦部にありましたが、後期型で側面に変更されました。
鞘の根元の歪みが目立ちます……。
駐爪を操作して外した状態です。
鞘です。
末期型の鞘のデザインは後期型と特に変わっていないと思います(最末期型で木製化と省略あり)。
マイナスネジは鞘の口の部品を固定しています。
グリーングリーンな色ですが、考証的にはよくわかりませんでした。
素材は鉄です。
鞘の中には木材が入っています。
劣化しているのか、欠けている部分があります。
鞘の最下部にある石突です。
末期型までは形状を維持していましたが、最末期型で大きく変わります。
石突にあるシリアルナンバー「35412」の刻印です。
軍刀と鞘はマッチングナンバーです。
続いて、官給の刀緒です。
末期型の刀緒は中期型以降の刀緒と変わらないのでしょうかね?
固定方法は潔く兜金の穴に直接通します。
末期型より前は固定用金具がありました(最初期型と初期型は兜金側と鍔側の二点固定)。
房です。
最末期型では形状が変わりますが、それより前の変革はよくわかりませんでした。
物珍しさもあって購入したのはいいものの、合わせられる時代が限られるためイベントでは使いにくい代物です。
まあ、イベントで下士官することはまずありませんので、完全に持て余している訳ですがね……(苦笑)
ですが、尾形刀剣の最末期型模造刀は完成度がイマイチ(刀身と鞘が長すぎ、駐爪が省略されている等々)なので、末期型シリーズとしてのクオリティはこちらの方が高いです
まあ、元々が実物と偽った偽物軍刀というのもあるでしょうけども……。
ちなみに、実物と偽ってeBayに出品された偽物末期型の写真は以下の海外フォーラムで確認できます。
【資料】
・Fake Late War Wooden Handle NCO Sword - War relics forum:http://www.warrelics.eu/forum/japanese-militaria/fake-late-war-wooden-handle-nco-sword-437652/
「PKミリタリア製 複製 / レプリカ: 日本軍 九五式軍刀 末期型(海外製偽物改造品)」はこれで以上です。
【参考資料】(参照:2017年3月6日)
・日本刀の研究(鋼材・構造・性能):http://ohmura-study.net/ / 九五式軍刀
・Google検索「Fake Japanese NCO Sword」:https://www.google.co.jp/search?q=Fake+Japanese+NCO+Sword
2017年01月15日
中田商店製 複製 / レプリカ:日本軍 三十年式弾薬盒 前期型 前盒 後盒 油缶
名称:三十年式弾薬盒 前期型 前盒 後盒 / 油缶
商品名:N-100 三八式弾薬盒
メーカー:中田商店(ウェブサイト)
価格:18,000円(帯革、銃剣差込み)
今回ご紹介するのは日本軍が(多分)明治30年(1897年)に採用した革製アモポーチ、三十年式弾薬盒です。
中田商店では三八式弾薬盒と呼ばれています。
弾薬盒は第二次世界大戦の終結まで使用されたためマイナーチェンジが何度か行われ、素材の違いなども合わせてバリエーションがあります。
弾薬盒は正面に着用する前盒2つと、背面に着用する後盒1つ、合計3つで構成されています。
前盒です。
この形状は「前期型」と呼ばれるものです。
新品状態では白っぽい色をしていましたが、使用とオイルによる手入れを繰り返した結果現在の色になりました。
また、前盒と後盒共に縫い糸の劣化でところどころ切れています。
一部は補修をしていますので、縫い糸や縫い方が純正と異なります。
側面です。
上から伸びている細いベルトは蓋を固定するものです。
背面です。
帯革(ベルト)に通すためのループが2つあります。
底面です。
上面です。
蓋を固定するベルトを通すループがあります。
後期型はループが2つになります。
蓋を固定するベルトは両側面で固定されていますが、片方の固定を外すと奥に向かって蓋を開けることができます。
見た目では両方外さないと開かなさそうですが、ワンタッチで開閉ができます。
内部です。
複製品の品質によって内装は異なりますが、中田商店製は全て一枚革で構成され、仕切りの片面を除く全てが裏革です。
実物はどのような構造になっているのでしょうか。
実物ではこの中にクリップ入りの弾又は弾が入った紙箱を入れ、前盒1つで30発(紙箱2箱)入ります。
2つ装着で60発になります。
蓋を固定するベルトに通す金具です。
真鍮製でしょうかね?
側面です。
先端は丸くなっています。
後盒です。
前盒より大型にで、見た目も異なります。
こちらも使用と手入れを繰り返していく内に色が変わりました。
背面です。
ベルトループが2つあるのは同じですね。
底面です。
前盒と異なり穴が2つ開いています。
何のための穴でしょうか?
右側面です。
左側面です。
黒いものは小銃の手入れで使用する油缶です。
蓋の固定は前盒と異なり正面の金具1つで行っています。
こちらも複製品の品質によって内装が異なり、こちらは前盒同様一枚革で構成され、仕切りの片面を除く全てが裏革です。
前盒より大きい理由は収納する弾数の違いで、後盒は60発(紙箱4箱)を収納することができます。
前盒と後盒を合わせて120発になります。
蓋を固定する金具です。
同じく真鍮製でしょうか。
側面です。
前盒と形状が異なります。
油缶です。
素材は鉄製です。
背面です。
側面です。
後盒に当たる部分は平らになっています。
底面です。
上面です。
蓋は回すと外れます。
蓋と棒は一体化しています。
気密を取るため、蓋の根元にはゴムがついています。
棒の部分は錆がかなり進行していたため削り落としました。

日本軍でサバゲをする場合、弾薬盒はデッドスペースになりがちですが、私は写真のように小型BBローダーや紙箱などを入れています。
コレにつきましては別記事で扱っています。
2016/03/01
ダミーカートを120発分満載するのが夢ですが、実現するのはいつになるでしょうね……(金銭的な意味で)。
「中田商店製 複製 / レプリカ:日本軍 三十年式弾薬盒 前期型 前盒 後盒 油缶」はこれで以上です。
2017年01月07日
残部隊製 複製 / レプリカ:日本軍 懐中日記
名称:懐中日記
メーカー:擲弾筒分隊 残部隊 / 残部隊商店(Facebook)
今回ご紹介するのは兵隊さんの雑嚢アイテムの1つ「懐中日記」の複製品です。
日頃お世話になっている関西で活動する日本陸軍再現グループ「擲弾筒分隊 残部隊」様の販売部門「残部隊商店」で購入しました。
前置きがグダグダ長くなる前に早速見ていきましょう。
表紙です。
サイズは105mm x 130mm、実物の表紙をスキャンして作られています。
植物を背負ったヤギのイラストと「昭和十八年」「懷中日記」「聖戰完遂」「2603」の文字があります。
この複製品の基となった実物は昭和18年(1943年)に販売されたものでしょうね。
「2603」は「皇紀2603年」の意味です(今年は2677年です)。
裏です。
実物の所有者の所属部隊「第四中隊第三區隊」が記述されています。
この写真では編集で消去していますが、氏名と印鑑もあります。
この懐中日記の定価は0.35円、つまり35銭ですね。
丸の中に「停」の意味はわかりません……。
横罫線の入ったページが40ページあります。
日記ではありませんが、私の祖父は従軍期間中に使用した私物のメモ帳を処分せずに残しており、その中には当時記した様々な内容がありました。
サバゲやイベントの記録を色々書き残しておくのもいいかもしれませんね。
「残部隊製 複製 / レプリカ:日本軍 懐中日記」はこれで以上です。
2017年01月06日
個人製 複製 / レプリカ:日本軍 陣中鏡
名称:陣中鏡
メーカー:個人製
今回ご紹介するのは日本軍の兵隊さんの雑嚢アイテムの1つ「陣中鏡」の複製品です。
大きさは50mm x 70mm、素材はステンレスです。
実物では四角型以外にも丸型や多角形型があったそうで、また写真で確認すると鏡の外周にはゴム製と思われる保護カバーや専用ケースがついています。
厚さは1mmです。
ウチのクマーを映してみました。
実用には十分ですね。
もの凄くあっさりとした内容となりましたが、持っていると何かと便利なアイテムです。
サバゲやイベントでは着替えの際の確認、特に襟元など目視では見にくいトコロでは重宝します。
物陰から鏡で前方を映して確認したり、味方への信号に使用したりなどもできそうですね。
「陣中」という名を持つ通り、当時の兵隊さんも色々お世話になったアイテムだと思います。
「個人製 複製 / レプリカ:日本軍 陣中鏡」はこれで以上です。
2017年01月04日
実物 日本陸軍:ロ号水筒(九九式水筒)・ロ号口栓・昭五式水筒紐呂号
今回ご紹介するのは日本陸軍の実物水筒です。
このタイプの水筒はいわゆる「旧型水筒」の後継として採用された1リットル型で、仕様の違いで複数の種類が存在します。
写真のものは「ロ号水筒」「ロ号口栓」「昭五式水筒紐呂号」の3つで構成されています。
こちらはロ号水筒、別名九九式水筒です。
旧型水筒を更新する1リットル型水筒は昭和5年(1930年)に制式採用され、その改良型となる写真のロ号水筒のタイプは昭和14年(1939年)に制式採用されました。
主な改良点は水筒の防腐処理として採用されたアルマイトです。
アルマイト(英: alumite or anodize、almite)は、アルミニウム表面に陽極酸化皮膜を作る処理である。人工的にアルミニウム表面に分厚い酸化アルミニウム被膜を作る事によって、アルミニウムの耐食性、耐摩耗性の向上、および、装飾その他の機能の付加を目的として行なわれる。
Wikipedia日本語版:アルマイト
また上記文章にも出ている通り、水筒の素材はアルミです。
戦争が進むにつれて水筒の素材は変化していきます。
反対側です。
塗装はかなり強く、少々のことでは剥がれないと思います。
底にある製造印です。
水筒に直接打ち込まれた刻印は「丸の中にカタカナの「ロ」、丸の中にアルファベットの「n*a」(*は文字が潰れていて判別できず)」、昭一七とあり、白色のスタンプには昭17、大支、丸の中に「西本」とあります。
丸の中にカタカナの「ロ」はロ号水筒の「ロ」だと思います。
アルファベットの「n*a」はおそらくメーカーに関係するものと思いますが詳細はわかりません。
昭一七は製造年で昭和17年(1943年)を示します。
白スタンプの昭17は上記と同じく製造年、大支は陸軍被服廠大阪支廠の略でこの水筒の検定元、西本はおそらく検定担当者の姓です。
水筒の口部分です。
口が当たる部分は丸みを帯びた造形となっています。
上から見た状態です。
水筒の中身は保存がよかったため、製造から74年経過した現在でも軽く遊ぶ程度には実用可能レベルの状態です。
側面です。
水筒は肩から下げて携行するため、身体に当たる方の面は平らになっています。
底部は水筒を置けるよう平らになっています。
こちらは水筒の栓です。
水筒の栓も複数の種類があり、この「ロ号口栓」はロ号水筒採用から暫く経過してから制式採用されました。
このロ号口栓は木製です。
何の木で作られているのでしょうかね?
横に転がしてみました。
空いている穴は栓を固定する紐を通す穴です。
次は昭五式水筒紐呂号です。
昭和5年に採用された昭五式水筒紐の昭和16年(1941年)改正型です。
生地の表面です。
側面です。
そう簡単には破損しないであろう頑丈な生地です。
検定印は残念ながら薄れて読めません。
長さ調整の金具はアルミ製です。
さらに後に採用されたタイプでは長さ調節の金具が省略されます。
金具の側面です。
連結のところにある金具です。
こちらもアルミ製で、内側には保護がついています。
水筒を納める部分です。
側面です。
底面です。
栓を固定する紐を結び付けるループです。
結び付けた状態です。
紐はオリジナルなのか不明です。
側面から見た状態です。
栓の固定具合ですが、相性が悪いのか思いっきり押さえつけて固定しても水が少し漏れます。
ここ最近は某作品の影響で旧型水筒の人気が急上昇中ですが、私個人は昭五式以降の水筒の方が好みです。
ところで、水筒本体の制式名称はロ号水筒、九九式水筒、どちらなのでしょうかね?
「実物 日本陸軍:ロ号水筒(九九式水筒)・ロ号口栓・昭五式水筒紐呂号」はこれで以上です。
2017年01月03日
メーカー不明複製 / レプリカ:日本陸軍 防暑袴下・昭和十七年制定 夏袴下
名称:防暑袴下 / 昭和十七年制定 夏袴下
商品名:不明
メーカー:不明
価格:安価購入
今回ご紹介するのは昭和13年(1938年)に採用された(のでしょうかね?)防暑袴下(軍袴の下に着用する下着)です。
防暑という名の通り、酷暑地帯向けの衣服でしたが、昭和17年(1942年)に夏袴下へ格上げされ、従来の夏袴下の生産は中止されました。
また、防暑襦袢もこの頃に夏襦袢に格上げされ従来の夏襦袢の生産が中止されており、これらの決定は生産の効率化などが関係していると言われています。
さてさて、私が所有しているのはメーカー不明の複製品です。
色合いは元々写真より黄色が強めだったのですが、洗濯を繰り返している内に色落ちして白くなっていきました。
背面です。
防暑という名を持つだけに生地は薄手です。
ちなみに実物はペラペラなぐらい薄手なのだそうです。
裏返した状態の表です。
かつての色合いの面影が残っています。
背面です。
それでは細かく見ていきましょう。
正面のボタン部分です。
ボタンはプラスチック製で、一番上が茶色、それより下は緑色で構成されています。
このボタン配色は海外製で確認できますので、この複製品は海外製かもしれません。
一番上のボタン以外は生地の裏に隠れて露出しません。
背面のポケットです。
ポケットは左右両側に1つずつ、貼り付けタイプです。
ボタンは正面にあった緑色のボタンと同じものが使用されています。
ポケットを開けてみました。
腰紐です。
生地は防暑袴下本体と同じものが使用されており、1枚の生地を折り返し二重にして作られています。
実物はどのようになっているのかはわかりませんが、中田商店製の防暑袴下は腰紐中央(写真でいう折り目の癖部分)に縫い目があります。
先端処理は先が尖った形状です。
正面側の股です。
背面側の股です。
この部分には補強生地が縫い付けられています(色違い部分)。
裾です。

防暑襦袢と防暑袴下を使用した時の私です。
袴下は軍袴の下に着用する下着として使用するものですが、防暑袴下は酷暑地域において軍袴無しでの着用も想定されています。
ポケットがあるのもそのためで、通常の袴下にはポケットがありません。
他にも裾を絞る紐が無いなど差異が色々あります。
私は夏袴下への格上げ改正を想定して夏袴の下には常にコレ着用しています……が、これは従来の袴下の現行複製品が(多分)無いという事情もあり、それより前の時代の袴下の代用としても使用しています。
夏場にサバゲへ行った時に「二重では暑いのでは?」と聞かれることがありますが、(私の場合は)特に暑いと感じることはありません。
もちろん汗はガンガンかきますが、袴下がまず汗を吸収しますので、汗による軍袴の直接的ダメージは直に着用するより緩和されます。
また生地を一枚挟む分足の保護にも多少繋がるでしょう。
ちなみに上記の袴下でサバゲをした際はすぐ膝を擦りむいて出血しました。
遊び方にもよるでしょうけども、生地が薄いため怪我しやすいです。
「メーカー不明複製 / レプリカ:日本陸軍 防暑袴下・昭和十七年制定 夏袴下」はこれで以上です。
2017年01月02日
スモーキーズガンファクトリー製 複製 / レプリカ:九七式手榴弾
名称:九七式手榴弾
商品名:日本帝国陸軍 九七式手榴彈
メーカー:スモーキーズガンファクトリー(ウェブサイト)
価格:定価6,800円
今回ご紹介するのは日本陸軍が昭和12年(1937年)に制式採用した手榴弾、九七式手榴弾の複製品のご紹介です。
九七式手榴弾の複製品と言えばアリイ(マイクロエース)製のプラモデルが最も(?)有名ですが、こちらはスモーキーズガンファクトリー製です。
いつ頃発売されたものかはわかりませんが、スモーキーズガンファクトリーは2008年に製造部門を閉鎖しているため、それ以前に発売されたものと思われます。
側面です。
この形状は私にとって非常に馴染み深いです。
上面です。
上蓋には実物と同じ、炸薬入りの実弾を示す赤い塗装がされています。
底面です。
実物ではこの部分に「延期 四 - 五秒 秒時」と書かれた紙が貼り付けられており、また製造メーカーを示す白い刻印もあります。
信管部分です。
信管の下にある穴は信管を叩いた後に内部で発生する燃焼煙を逃がす穴で、この部分に手があると火傷を負ってしまいます。
キャップの薄い紫色塗装は再現されていません。
分解してみました。
実物の分解写真と比較すると部品に省略がありますが、よく再現されていると思います。
【参考資料】
・Google検索:Type 97 Grenade(https://www.google.co.jp/search?q=Type+97+Grenade)
弾体は樹脂製ですが、質感はいい感じです。
実物では内部に炸薬を入れるため大きくくり抜かれていますが、スモーキーガンファクトリー製は信管をねじ込む最低限の穴しか空いていません。
キャップ(被帽)は金属製です。
内側はこんな感じです。
安全ピンです。
取り付けられている紐は綿紐ですが、実物は麻紐です。
信管は真鍮製です。
この複製品には弾体に固定するためのネジが切られており、実物とは形状が大きく異なります。
信管の上面です。
信管の中に入れているバネです。
実物のバネは円錐バネです。
バネの上に乗せるファイアリングピン(撃針)はアルミ製です。
反対側です。
上蓋もアルミ製です。
綺麗に塗装されています。
裏面です。
側面はこんな感じです。
うろ覚えですが、日本陸軍における手榴弾の一人当たりの携行数は定数二個、直前になって配られるという話だったと思います。
携行方法は軍袴のポケットの中、雑嚢の中、手作り手榴弾嚢の中など色々あったそうです。
私は雑嚢の中身の一つとして放り込んでいます。
アリイ製と比較すると全体的に頑丈な作りなので少々手荒に扱っても壊れないのがいいですね。
サバゲでも時々牽制用のダミーグレネードとして転がして遊んでいます。
「スモーキーズガンファクトリー製 複製 / レプリカ:九七式手榴弾」はこれで以上です。
2016年12月27日
日本軍 巻脚絆の巻き方考察 末端処理編【実演有り】
一、卷脚絆を卷くには、先つ袴の膝部を持ち、裾口を槪ね編上靴の第一鳩目の線まで引上げ、裾口を脚の外側で後ろに折る。
二、脚絆を卷くには、其端を靴に掛け靴紐を蔽ふやうにし、内より外に卷き、始めの二卷は稍堅く卷き、三卷目若は四卷目に於て、表より裏に、次に裏より表に、足の前面に於て二囘折り返し、其後は足に沿ひて卷き上げ、膝下に至り卷き終るやうにして、紐を卷き附け、其端は軍袴の外側、縫目の線で結び得る長さに折返し結び留める。
三、卷脚絆の高さは左右相等しく、紐の端は卷いた紐の下に挟み、外部に出さぬやうに注意するがよい。
ソース:兵用図書「最新歩兵須知」:昭和3年7月
日露戦争まっ只中の明治37年(1904年)に制式採用された巻脚絆は、戦後歩いて戦う兵隊さんを中心に被服の1つとして配備が広く始まり、今となっては日本兵な人がサバゲフィールドで行う恒例行事と化しています。
Google検索:巻脚絆 巻き方
YouTube検索:巻脚絆 巻き方
Google先生やYouTubeが誘導する通り、巻き方につきましては多くの方面で実演解説されています。
若干差異はありますが、大抵は「3段目で裏に折り返し、4段目で表に折り返す(元に戻す)」というのが共通です(差異につきましては当時の現場における個人や部隊統制などが関係してくると思います)。
さてさて、今回の本題「日本軍 巻脚絆の巻き方考察 末端処理編」ですが、答え自体は冒頭の説明で既に出ています。
・其端は軍袴の外側、縫目の線で結び得る長さに折返し結び留める。
・卷脚絆の高さは左右相等しく、紐の端は卷いた紐の下に挟み、外部に出さぬやうに注意するがよい。
イマドキ風な言い方にすると「紐の端は軍袴の外側の縫い目の線で結べる長さに折り返して結び、巻いた紐の下に挟んで外から出ないようにすること」という感じでしょうか。
時代によって表記の違いはありますが、陸軍のマニュアル上での説明はこの流れです(海軍はわかりません)。
で、このマニュアルを基に「多分こういう感じだろう」というイメージで実際に行ったのがこの写真です(紐は営内巻状態)。
軍袴の縫い目に来たところで紐の裏に遠し、ひたすら巻き付けています。
が、末端処理についても差異はあるようで、これはそのバリエーションの中の1つです。
もっとも、末端処理が明確に確認できる当時の写真をこの記事の投稿段階では見つかりませんでしたので後年の解説と又聞きとなりますが……。
このタイプは最後の巻き付けを3回ほどにとどめ、余った紐は上に伸ばして巻脚絆と軍袴の間に挟むものです。
1番目の末端処理と比較すると巻き付ける手間が省けますので、残りが長い時はこちらの方が楽かもしれませんね。
【ソース】
・サバゲ徒然日記(http://shiran01.militaryblog.jp/)/ 2013年02月17日:巻脚絆の巻き方(戦闘巻き)(http://shiran01.militaryblog.jp/e408558.html)
・YouTube動画「日本軍 ゲートル 脚絆 の巻き方 完全版 How to wrap WW2 Japanese Puttees (gaiters)」(https://www.youtube.com/watch?v=F1KiDVrNMgc)
・どこかで聞いた話(爆)
こちらは「中西立太著「日本の軍装 1930~1945」の巻脚絆の巻き方解説で確認できる末端処理図解を基に行ったものです。
この図解はひよっこ男爵さんのブログ「二線級〈福猫旅団〉」にも参考資料として掲載されています。
文章では説明しにくいので詳細はソースの図を確認してください(丸投げ)
図によると巻き付け場所は2ヶ所あるようです。
【ソース】
・中西立太著「日本の軍装 1930~1945」
・二線級〈福猫旅団〉(http://blogs.yahoo.co.jp/tokyo32015) / 2012年1月28日投稿:歩兵装備を揃えるにあたり…(http://blogs.yahoo.co.jp/tokyo32015/7739354.html)
次はえびふらい さんが作成した図解を基にしたタイプです。
解説を要約すると「下から一周させ、裏から上側へ出る輪を作って紐を再度裏から通し、作った輪を脚絆の裏に入れ、余った紐は巻いた紐に挟む」です(ソース画像見た方が遥かにわかりやすいです)。
輪の大きさは必要最小限にします。
【ソース】
えびふらい さんのTwitter(2015年10月14日投稿 / Google検索:こちら)
その次はウェブサイト「大日本帝國陸軍軍装雑記帳」の管理人さんが日本軍ベテランから伝授されたタイプです。
巻く側の進行方向に片結びの如く輪ができています。
こちらも輪の大きさは必要最小限にし、残りの紐は脚絆の裏に入れています。
【ソース】
・大日本帝國陸軍軍装雑記帳(http://gunsozakkicho.web.fc2.com/) / 雑記帳 / 2014.06.08 巻脚絆の巻き方
最後はブログ「うおぬま奇兵連隊」管理人さんの半井匠さんがお祖父さんより伝授されたタイプです。
お祖父さんは軍隊経験が無いそうなので民間での脚絆使用の経験から来ていると思いますが、「大日本帝國陸軍軍装雑記帳」掲載の末端処理に酷似しています。
私の模倣が間違っていなければ、輪を紐の裏で固定する以外は同じです。
【ソース】
・うおぬま奇兵連隊(http://projecttn.militaryblog.jp/) / 2013年03月13日投稿:日本軍巻脚袢の巻き方(うおぬま奇兵連隊版)(http://projecttn.militaryblog.jp/e415414.html)
(実演の出来はどうあれ)とりあえず私が把握している末端処理は6種類です。
巻脚絆の折り返し位置の説明でも述べたように、このような差異は当時の現場における個人の好みや部隊による統制などが関係してくると思います。
他にもあると思いますので、色々聞いて回るのも面白いかもしれませんね。
「日本軍 巻脚絆の巻き方考察 末端処理編【実演有り】」はこれで以上です。